私の長年の憧れであり、大変尊敬している画家の女性から思いがけずお手紙を頂きました。
私の作品を長く愛用して下さっておられ、
新作をお届けする度に感想やお礼をお電話や人づてにお聞かせくださるのですが、
改めてお手紙を頂くのは初めての事です。
お手紙には私の器に対する優しい思いや、制作を続ける私への励ましの言葉、
ご自身の制作活動の様子などが美しい文字で綴られています。
繰り返し読む程に、スッと伸びた背筋や優しい笑顔、そして何よりも私の愛する作品の数々が思い出され、
心が豊かになって来ます。
が!
何度か読み返すうち、いや~なプレッシャーが首をもたげて参りました。
「礼を尽くす。」これは私が何よりも重んじる事でございます。
という事は、私はこの美しく心のこもった直筆のお手紙にお返事を書かない訳にはいかないのですっ
何もかも、メールに任せている昨今の私のていたらく。
最後に手紙を書いたのは何時の事だったか思い出せません。
手紙を書くのは話しているように書けばいいんだ、その人と話しているつもりになって。
初めてのとき、手紙を見ただけで会ってみようかという気持ちになることもあるし、
逆の場合もある。だから、手紙は大事だね。書きかたは、結局、気持ちを素直に出すことですよ。
あくまでも相手に対面しているというつもりでね。そのときにおのずから全人格が出ちゃうわけだ。
それで悪ければしようがない。(池波正太郎先生著 男の作法より抜粋)
私が人生の師と仰ぐ池波先生がこのようなことを仰っておられるのですよ。
励まされているとも取れますし、『お前には無理無理』と言われているようにも思えて微妙。
いずれにしても、私は書かねばなりませぬ。
真夏の午後の数時間、汗だく(ま、冷や汗ですな)で書きましたとも。手紙を。
書きながら私は強く強く思いました。時には手紙を書かなければ駄目だと。
キーボードを叩けば自動的に連なる文字を並べたメールと、
一字一句に思いを込める手書きの手紙との間には、
絶対に埋めることの出来ない違いがやはりあるのです。
書き終えて眺むれば、情けなく悲しい文字の連なりよ。
果たして私の思いは届くのでしょうか?
かしこ