goo blog サービス終了のお知らせ 

蹴ログ

蹴る、闘う、観る、読む、休む、想う

戸惑いとやり場のない腹立たしさと

2006-01-24 00:58:32 | Weblog
以前、ライブドアによるフジテレビ株買収に絡んで、インターネットとメディア、ジャーナリズムに対して、蹴ログに書いてきた。
業を企み、実行するということ
インターネットは魔法の杖ではない
地上波デジタルとインターネットとの融合は別議論
インターネットとテレビというメディアの融合とジャーナリズムの観点

 ライブドアに捜索が入ってから、会社の図書館で主要4紙を毎日チェックしていたが、どれも、これでもかというほど堀江社長バッシングが続いていた。けど、報道されている内容というのは、これまでにもある程度分かっていたこと。それをここぞとばかりに叩く、そして、堀江社長個人について、これでもかと叩く。しかも他の新聞と同じ論調で、ということに、戸惑いとやり場のない腹立たしさを覚える。

「メディアを変えることができるのはメディアしかない。」

というのが持論だが、旧来メディアに自己反省しようとする姿勢はないのか?

もちろん、堀江社長ら幹部が逮捕されたということで、法に反することが実際にあったのであれば、制裁を受けなければならないのだが、あふれる報道を冷静に見極めるためには、今回の問題の本質を見極める目を養っていかなければと思う。

そして、この騒動が、旧来メディアの欺瞞というか怠慢を助長し、自己反省や改革の芽を摘んでしまうきっかけとならないことを祈る。







ある夜の闘い

2005-07-15 01:39:46 | Weblog
ダース・ベイダーは、2階へと続く階段の真ん中で僕を待ち伏せしていた。
しまった、ライトセーバーは2階の寝室にある。

「ライトセーバーを手放すな」
というオビ・ワンの忠告を守っていないことを今更ながら悔やむ。

仕方ない、旧式の銃で闘うしかない。

2階への階段は、そのほぼ真ん中で左に折れる。
ダース・ベーダーは、その位置関係を利用して、巧妙に隠れている。 
こちらからは彼の姿は見えず、息使いを聞くしかない。
彼のフォースが、僕を威嚇する。ものすごい存在感に僕は圧倒される。

「あなたを殺したくない」

そう思うが、ここで彼を逃しては、帝国の繁栄を許してしまう。闘わねば。

こちらの当てずっぽうな攻撃が、奇跡的に彼のマントをとらえ、彼は仰向けに倒れる。
その隙に、階段を突破し、2階の寝室へ走りこみ、ライトセーバーを手にする。

「今だ!!」

仰向けのままもがくダース・ベイダーにライトセーバーでとどめを刺す。
勝負あったが、何故かとても空しい。彼のフォースは、完全にダークサイドに支配されていたわけではなかったのに。

というわけで、
「ダース・ベイダー」を「ごきぶり」
「旧式の銃」を「蚊取りジェット」
「ライトセーバー」を「キンチョール」

に読み替えてお読みください。









ライフライン

2005-02-22 00:36:53 | Weblog
引越しも3分の2くらい終わり(まだ3分の1残っているのという話もあるが)、今日Bフレッツが開通して、やっとこの家で日常生活ができるようになった。

いわゆる固定電話をひかず、光ファイバーでのインターネット通信。電話は携帯とIP電話で事足りる。約10年前、インターネットに初めて触れたときには、10年後にこうなっているとはさすがに想像できなかった。NTTがベストエフォート型のパケット通信サービスであるOCNを、通信速度128Kbpsで3万円代で提供したことだけでも、革新的だった時代だ。

それが、いまや通信速度は約500倍(回線共用型の光サービスで平均60Mbps)、価格は6分の1以下。そもそもインターネット上で享受できるサービス自体が比べ物にならないほど、多様化している。

競争が技術と利便性の革新のためにいかに大切か。

ただ今日、接続の設定を行いながら、どんな人でも使えるライフラインとして機能するにはまだまだ課題が多いなあとしみじみ思う。まずやらなきゃいけない設定が多すぎる。光回線の終端機器、ルータ、PCをケーブルでそれぞれつないで、Webブラウザ経由でルータの設定をしてと、もしこれが実家で、自分がいなかったら、まず、開通まで辿り着かないだろう。だからなかなか実家には勧められない。もしなんとか開通できたとしても、何かトラブルがあったときに、それをすぐ解決できなければ緊急時に困ってしまう。

また、それぞれの機器がそれぞれACアダプターを持ち、電源を必要とするのも気になる。待機電力が増えるのも気になるけど、災害時に電気がストップしたら、通信もNGになってしまうのが痛い。昔一人暮らしをしていた頃、電気を止められたという痛すぎる経験があるが、その頃の電話は電池だけでもしばらく動いたので、助けを求める電話だけはかけることができた。まあ今は緊急時には携帯がその役割をなすからいいのだけれど。

まあ、まだ加入電話引かずに光だけというのは少数派。あと10年後には、ここらへんの課題は当然解決できてるのかもしれないなあ。


「コーカサスの白墨の輪」

2005-02-03 02:06:28 | Weblog
コーカサスの白墨の輪 世田谷パブリックシアター を2月から一緒に住むことになる妹と観た。

この舞台はまだまだ続くので、いろいろなしかけを書くことは控えるけれど、グルシェを演じた松たか子は、思っていたより小柄で華奢な感じだけど、ちょっとずっと注視して観れないと思うほど、存在感があったというか眩しかった。

Matthew's Best Hit TVで、マシューと絡む、松たか子は、全然かざらなくて、ぶっちゃけてて、とても好感を持っていたけれど、今日刻み込まれた印象はもっと強烈。

誰よりも大きく踊り、笑うときは誰よりも楽しそうに笑い、哀しそうなときは、本当に哀しそう。踊るときのその一つ一つの動作も誰よりも大きくて、最初は華奢だなあと思っていたのが、どんどんたくましく観えてくる。舞台の袖も舞台なのだけど、舞台から退いても、みんなと一緒に歌い、笑い、誰よりも舞台を楽しんでいるように見えた。

そして、赤ん坊(といっても人形なんだけど)を、舞台の袖に移動しても決して離すことなくずっと抱いてた(僕は見逃したけど、背中を叩いてあやしていることもあったらしい)。

役者だから、舞台の上でなりきって演じるというのは当たり前なんだけど、その当たり前を本当に徹底してできるからこそ、あの存在感を発揮することができるのだと思う。

19時開演、22時20分終演という長い舞台だったけど、もっともっと観てたかった。

ラジオという習慣

2005-02-02 01:16:55 | Weblog
ラジオが好きだ。
これまでの日々をラジオとの関わりから思い出すことが多い。

父がいつも寝る前にラジオを聴いていた。幼い頃その隣で寝ていた自分もラジオを聴きながら眠っていた。宇和島のおじいちゃんの家に遊びにいったときは、おじいちゃんもラジオをつけたまま眠っていたから、少なくともこの習慣は3代続いているということになる。すばらしい。

今なお実家で働き続ける、ソニーの高性能なラジオ。ラジオなのに、いろんなスイッチが付いていて、韓国在住の日本人向けの放送やら、分けの分からない言葉で話す怪しい放送やら、FENやらとにかくそのダイアルを微調整するといろんな番組を聴くことができる。

そのラジオで、毎日15分ずつ放送されるNHKのラジオシアター(正確な番組名は思い出せないけれどラジオドラマ)を、幼い頃、いつも寝る前に父と聞いていた。ラジオでドラマを聴くというのは、リアルな映像がない分だけ、自分の中の想像力が呼び起こされる。小学生の頃聴いた「漂流教室」は本当に怖くて、本気で学校に行きたくなくなったことがあり、今でもトラウマになっている。

小学校高学年になって、父と別に寝るようになった後は、ラジオは大人を先取りする手段になって、「オールナイトニッポン」や、地元放送局の著名なアナウンサーがやっている(今もやってるかなあ)「ポップスひこひこタイム」は深夜にも関わらず毎回聞いていた。

「ラジオがついていると勉強に集中できない」というタイプの人もいるけれど、僕は「ラジオを聴きながらじゃないと勉強に集中できない」タイプだった(といってもそんなに勉強していたわけではないけど)。

浪人時代には「谷村有美のとっておきTuesday」に何故かはまり、周りを心配がらせた(今考えるとやっぱりやばいな、余談だけど谷村有美は、いつの間にか日本マクドナルドの原田社長の奥さんになっていてびびった)。

大学生になって辻堂に住み始めると、「FM YOKOHAMA 84.7♪」は日々の生活に欠かせないもので、毎朝9時前に発表される今日の運勢で一喜一憂して1日が始まった。波情報を聞いては、サーファーでもないのに、辻堂の海に自転車を飛ばした。

今、毎日寝る前に聞く「NHKラジオ深夜便」では、毎日0時前に、主要都市の「明日の日の出の時刻」が発表される。西に行くほど、日の出の時間が遅くなって、松山の日の出の時刻が発表されたときは、何とも不思議な感慨が湧く。日の出の時刻というのが現実生活でどのような役にたっているのか分からないけれど、何故か最後まで聴いてしまう。

五感の中で、もっとも人間の感情に働きかけるのは、嗅覚だと思っているけど(自分が季節を匂いから感じる動物なので)、聴覚も視覚的なイメージとそのときの情感を呼び起こすのに重要なファクターだと思う。

今の一押しは、日曜の早朝の短いコーナーだけど、「音の風景」。リスナーが心に残っている音をリクエストして、それを番組の中で再現してくれるのだけれど、例えば故郷の祭りの音とか、戦地で聞いたどこそこの港のにぎわいとか、それは人の思い出なのだけど、自分のことのように共感する。そして今、真面目に「初めて上司と同行した出張で、イスタンブールのガラタ塔から、街の夕暮れを眺めながら聴いたコーランの祈り」というのを投稿してリクエストしようと思っている(実現したら報告します)。

というわけで、今日もラジオを聴きながら眠るとしますか。


何を隠そうNHKの番組好き

2005-01-29 00:31:30 | Weblog
何を隠そうNHKの番組は好きだ。

NEWS10はその時間に帰っていれば必ず観るし、松平アナの「その時歴史は動いた」はとても示唆に富んだ番組だと思う。

寝る前にはスリープタイマーをセットしてNHKラジオ深夜便を聞きながら寝るという老人の流行スタイルを先取りしている。(このラジオを聴きながら寝るという習慣については、別に記事を書いて紹介したいと思うが、僕にとってNHKのラジオは睡眠導入剤の役割を果たしていることが分かってきたので、朝型には努めてInterFMとか違う局の番組を聴いて目覚めをよくしようとしている。)

女子アナだって、決して際立って美人というわけではないけど親近感がもてる有働由美子アナや、
サンデースポーツの青山祐子キャスターは好きだし、彼女たちが観るたびにいい顔になっているのを観て、仕事が充実してるんだろうなあといつも感心している(けど実は今の一押しは、NHK松山の首藤奈知子アナ)。

けどそのNHKを揺るがす最近の話題の数々。

海老沢氏ら顧問を辞退 抗議殺到、顧問制廃止も (共同通信) - goo ニュース

個人にこれだけの批判が集まるのは異例だろう。別に彼自身が不正をしたわけではないのに、辞任を求める抗議電話や受信料不払いが急増し、「海老ジョンイル」とかいう分かるようで分からないあだ名で呼ばれたりするのは、元会長自身も想像できなかっただろうし、相当無念ではないか。

ただNHKに対して視聴者が昔から持ち続けてきた、もやもやしたわだかまりみたいなものが、NHK以外のマスコミにうまく作られたワンマンで隠蔽体質な会長というターゲットに対して集中したのかなと思う。

NHKの良いところは、公共放送として、特定の営利目的のスポンサーの意向などに影響されることなく、あくまで中立の番組作りができることだと思う(今話題になっている政治家の圧力とかいう問題は話がややこしくなるのでここではとりあげないけど)。 というかスポンサーは、受信料を払っている視聴者なので、もっとも理想的な放送のありかただと考える。

けど何より、その受信料の支払いの基準が分かりづらい。

NHKのページから引用すると、NHKの受信料は以下の通りとなっている。

(消費税込み) 期額 (2か月) 6か月 12か月
カラー契約 口座振替 継続振込 2,690円 7,650円 14,910円
           訪問集金 2,790円 7,950円 15,490円

さらに「テレビをお持ちの場合は、NHKと受信契約をしていただくことが放送法で定められています。」とある。

月々1,200円以上という買い物が安いか、高いかというのはここでは言及しない。ただ払う理由を「テレビをお持ちの場合は、、、放送法で定められている」といい放つのはあまりにも経営努力がつたない。同じ有料放送であるWOWWOWや、スカパーはといった有料放送は、スクランブル放送やPay per Viewといった課金の仕組みがしっかりしている(そもそも課金の仕組みがないと成り立たないのだけど)。

けど放送法によって払わなければいけないNHKの受信料は、携帯電話やパソコンにもテレビを観る機能が組み込まれる時代に、電気屋さんでTVやパソコンを買ったからといって、NHKの受信料をその場で契約しなければいけないということはないし、TV機能付の携帯電話を買ったからといって、NHKの受信料も一緒に請求されるわけではない。NHKの料金の訪問集金員の努力によって、転居してきた家や、アンテナが設置された家が見つけられては、納得できないまま料金支払いの手続きが行われるという、なんとも粗末な課金システム、、。

衛星中継やハイビジョン放送、デジタル放送といった放送技術や、テレビという箱は進化しても、「カラー契約」という言葉が残っていることからも分かるように、NHKのその課金のシステムは手付かずのまま、法律を振りかざすだけで、そのことが、払う人、払わない人という不公平感、不信感を生み、積もり積もってきたのだと思う。

NHK海老沢氏、辞任後に全職員へ激励メール (朝日新聞) - goo ニュース

にあるが、「NHKが世界に大きく飛躍する土台を築くことができた」とかいった成果のアピールは空しい。顧客(視聴者)が払う対価(受信料)に対し、より良いサービスを提供すること。そしてその対価を確実に回収する仕組みを整えること。という有料のサービスの根本を見直すことが先だと強く思う。

何を隠そうNHKの番組が好きなので熱くなってしまった。また四戸にきもいと言われそうだな、、。

細胞

2005-01-24 01:09:44 | Weblog
人間の体の細胞は3ヶ月で新しいものに入れ替わるという。とすると、今の自分を作っている細胞があの頃から入れ替わったものだと考えると、多分、自分史上でも、いいレベルの部類に属する細胞たちだ。

けど、毎日、毎日、僕の細胞は入れ替わっているので、日々生き方をさぼれない。3ヶ月経って、体の中の一部分に、ちょっといまいちな細胞たちが混じっていると考えると、そのちょっといまいちな細胞たちに支配されそうな気がするから。

やるべきことをやらないと、やりたいことはやれないという意識を自分の中にはっきりと持ちたい。やるべきことは今じゃないと、やれないんだ。


無事

2005-01-21 23:05:15 | Weblog
トルコに送還されたラモから無事だという電話が友達にあった、と聞き、少し安心した。けど、彼にとってトルコは母国でも故郷でもない。日本から突如送還されてしまったように、いつ何時、彼の身に危険が襲いかかるか分からないことには変わりはない。けど、いつか彼に会いに行く、そして日本にいる間に果たすことができなかった一緒にサッカーするという約束を現実にするためにがんばりたい。

今週は元気がなく、ふわふわしていたが、ラモの無事のニュースと、まめなたむさんが(爪のあかを煎じてのみたい)アップしてくれた先週の天竜の得点シーンの動画を見て、少し元気が出た。

MATO GROSSO戦のレポート

野杁(No.3)選手の新加入後、初の試合で初得点。 (mpgファイル、音声あり)

うちのチーム、点取ったらもっと喜んでテンションあげないとだめだな

「法務省クルド人親子を強制送還」について

2005-01-20 01:29:46 | Weblog
法務省、クルド人親子を強制送還 UNHCRなど抗議 (朝日新聞) - goo ニュース

UNHCRの抗議については、UNHCRニュースリリース

今回の強制送還の法的な正当性の問題提起については、
ProustCafe:難民認定プロセスの構造欠陥

クルド人問題とは何なのかについては、
クルド人問題研究
に詳しい。

今回父親とともにトルコに強制送還されたカザンキラン・ラマザンという青年がどんな人物なのか、あくまで主観的な印象も含めてであるけど紹介したい。

背が高く、骨格はがっちりしていて(彼とサッカーして競り合ったらまず勝てないなと思う)、顔は鼻が高く、眉毛が濃く、顔立ちが整っていてまあイケメンである(これも勝てない)。彼の日本語は流暢で、ひらがな、かたかなの読み書きができる。顔をあわせれば、「~さん、こんにちは」と礼儀正しく挨拶をする。外出するのもままならない生活の中で日雇いの肉体労働のバイトで生活費を稼ぎ、日々忙しい中でも友達のサッカーの試合にも応援に来てくれる。サッカーが大好きで、時間とボールと少しばかりの空き地があれば、周りの仲間を集めてボールを蹴る。家族や自分、そしてクルド人のことだけでなく、どの民族や人種に生まれたからとかいう理由による差別や迫害をなくすという夢を自ら背負っている。

今は、とにかく彼らが強制送還されたという事実をできるだけ多くの人に知ってもらいたい。そして、日本という国が、人道という名の下の大きな矛盾に直面しているという事実をこの国に生きる観点として持ちたい。そしてまず、送還後の彼らが、不当な扱いを受けず、生きる、ボールを蹴る、働くという人間としての権利を享受できるようにと声高に叫ぶ。











年賀状

2005-01-06 00:00:07 | Weblog
本日夜、東京に帰ってまいりました。年賀状を出していただいた方、ありがとうございます&大変申し訳ありません。僕からの年賀状は、今年はまだなんと誰にも出せてません。理由は話せば長くなるので、ここでは控えさせていただきますが、遅くとも来週中(ほんと遅いな)には心をこめてしたためますので、もう少々お待ち願います。この場をおかりしてお詫びします。

明日からやるぞ。



そして2005年

2005-01-01 23:39:11 | Weblog
明けましておめでとうございます。
2005年、大事じゃない一年なんてないのだけれど、とにかく今年は大事な年。

ここに書けるサッカー、フットサルの今年の大きな目標は、
フットサル神奈川県リーグ1部優勝、関東リーグ昇格
F.C Coulisse関東大学リーグ2部優勝、1部昇格
サッカー都リーグ2部復帰

個人的には、
・怪我をせずリーグ戦全戦出場
・フットサルリーグ得点またはアシストを11以上(全ての試合に得点に絡む)

一つ一つのプレーのDetailを日々向上する1年にしたい。

ちなみに今日、薄墨桜で有名な西法寺に初詣し、ひいたおみくじは大吉
"おもいのままに何事もかない、何のさまたげもなきのみにならず仏菩薩の加被力もあるというめでにきかたちなれば好運の矢よりおちざるよう心がくべし"

そしてトレーニングぞめで、走って行った石手寺でひいたおみくじは吉
"ようやく冬が去って春の暖かさと明るさが出てくる運気です。全てに新しい可能性が見られます"

一日一生で闘っていくのみ。今年もよろしくお願いします。




2004年総括

2005-01-01 23:22:35 | Weblog
 僕にとって2004年は、少しでも立ち止まればそのまま片足から沈んでいってしまうようなぬかるみの沼を、とにかく一歩、一歩立ち止まらず歩き続けた1年だったと思う。けどそうやって歩き続けたおかげで、将来の展望がおぼろげながらも見え始めたことが収穫だった。

 今年、妹の上京に始まり、母の病気、兄のワシントン転勤と環境が一気に変わってしまったことで、今まで表面上は何の問題もなかった家族が混乱した。家族の絆はとても強いと思っていたが、それは今まであまりにも平穏だっただけで、家族として乗り越えるべきイベントが一気に巡ってきた事で起こった混乱だった。ただこうした一つ一つの危機を乗り越えていくことで家族の絆はさらに深まったように思う。

 フットサルとサッカーは、一旦足元を見つめなおし、とにかく1試合、1試合を必死で、負けないことを意識して闘った1年だった。結果的には、両方とも無敗で優勝することが出来たのだけれども、選手権予選での負けが示すように絶対的な力はまだまだ足りないことを認識した。曽田、雅也という何年も一緒のチームで闘ってきた仲間が、転勤であっという間にチームを離れることが決まった事で、1試合、1試合、1回、1回の練習が、本当にかけがえのない時間なんだということを噛み締めた。


2004年の主な出来事
2003年の成果を形にした1月
相棒納車
神奈川県フットサルリーグ2部参入戦の勝利
フランスSophia Antipolice 出張

Atlantaで次の目標を見据えた2月
Atlanta出張
LIGA天竜2004開幕

次に向けて考えた3月
駅伝出場
新会社への異動決定

1日1日生きるのに必死だった4月
新会社での新しい仕事の始まり
妹の上京
東京都サッカーリーグ開幕
COPA JAL予選敗退
まっちゃん結婚式
母入院で相棒と共に帰省

週末はフットサルとサッカーでほとんど家にいることがなかった 5月、6月
神奈川県フットサルリーグ開幕
曽田ジャカルタへ

勝ち続けた7月
母手術で帰省
サッカー都リーグ無敗でリーグ優勝3部昇格

頭を整理し直した8月
C級指導者講習(JVillage)
フットサル県リーグ無敗で前期折り返し

自分もチームも変革を迫られた9月、10月
フットサル県リーグ無敗で優勝、1部昇格決定
選手権予選リーグで敗退
雅也シンガポールへ
「蹴ログ」開設
兄ワシントンへ

情熱の赴くままひたすら走った11月
社内全国大会準優勝
F.C Coulisse 関東1部入れ替え戦敗退

失速する足をひたすら叩いた12月
F.C Coulisse都リーグ決勝リーグ無敗で優勝3部昇格


変わらないという意味

2004-12-30 02:50:28 | Weblog
中学校の同窓会があった。14年という時間は、いろんな人をいろんな風に変えていたけれど、少なくとも今日集まり、自分が会った人達は、とても良い方向に進んでいるような気がして、自分のことのようにうれしくなった。

対して会った全ての人から、「変わっていないねえ」と言われた自分の今の在り方は、変わっていなくて本当にいいのだろうかと考えさせられる。

結婚し子を持つ親達の、強さや優しさ、たくましさは少なくとも今の自分にはない。

〆切ドリブン

2004-12-28 23:43:50 | Weblog
〆切ドリブンな自分は、毎年、この年の瀬の押し迫った時期になると、突如、人が変わったかのような行動力と課題解決能力を発揮する自分だが、今年もその例にもれない。
昨日、今日の2日間で手帳に書きとめた思いついた事、やるべきことの一覧がことごとく、消化されていった。最近思いついた事がある。

「〆切ドリブンでここまでできるんだから、いつもこの状態に自分を追いこんでおけばいいんじゃん。」

自分で墓穴を掘るところが真に自分らしい危険かつ簡単な考えだ。

今日、松山の実家に帰ってきた。2004年もあと72時間ちょっとだが、イベントと今年度残項目は目白押し。
〆切ドリブンで最後まで。

2004-12-24 23:48:31 | Weblog
 今年何かと話題になった僕のクリスマス・イブだが(しのへだけかそんなこと気にしているのは)、何とイブにして今年初の高熱を出して終わった。ごほっ。最近、明らかな睡眠不足で抵抗力落ちてたかな。

 寝てるだけもできなかったので、氷枕を枕に、「世界の中心で愛を叫ぶ」スペシャルDVDを観て、はなみずを増幅させてしまった。これだけ話題になりながら、そして愛媛を舞台とした映画(ロケはいろいろだけど)だと知りながら、映画館には足を運べなかったが、今日観るべきして観たのかも。

 残っているのが手紙であれば、自分の中でその時間を昇華できる。写真も、その1瞬のスナップショットとして、その時間を自分の中で昇華できるかもしれない。けどテープレコーダーの音声が残るというのはつらいかもしれない。もう会えない相手の声が残っているというのは、それを聞くたびにどういう気持ちになるのか自分の想像を超えている。ましてや今の時代は映像がリアルに残る時代。この話が今世界のどこかで現在進行形だとすれば、媒体は映像なんだろう。

 そのとき、そのとき、一瞬、一瞬を全力で接していくのみだ。相手に映る自分の映像が、いつどんな場面で残ったとしても、その一瞬、一瞬が輝いているように。

 ごほっ。やっぱまだ熱あるな。

  
世界の中心で、愛をさけぶ スペシャル・エディション

東宝

このアイテムの詳細を見る