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蹴ログ

蹴る、闘う、観る、読む、休む、想う

侵食

2004-12-20 01:26:15 | Weblog
 暖かい冬の日と言うよりも、冬の終わりを感じさせる陽気に、少し戸惑いながら、1年点検に出していた相棒を迎えに、甲州街道を歩いた。6キロという距離に、何も考えず歩くことを選んだけれど、歩き始めて少し後悔。けどたまには歩くことの距離感と時間を頭に刻んでおかないと、地に足を付けているとは言えないな。

 オイル系を入れ替え、各部をメンテナンスしてもらった相棒は、エンジンをかけて、動き始めた瞬間、点検に出す前と比べて、とても活き活きとしていて、少し緊張した。1年1万キロという行程の中で、少しずつひずみや消耗や汚れが生じること。それはいつも乗っていると分かりにくいけれど、確実に現実に起こっているということを実感する。

 何でもそうだ。人間関係だって、恋愛だって、サッカーだって、いつも同じようにやっている中で、少しずつお互いの誤解が生じて、気がついたときにはメンテナンス不能になっているということはよくある。車のように1年法定点検とかあればまた別なのだけど、そんなのないので、それは自分や周りが気がついたときに、メンテナンスしていかなければ。

 となんで、こんな陽気のよい冬の日のドライブで内省的になってるんだ、とふと振り返ると、AUDIOで流れる鬼束ちひろのせいだ。いつの間にか深い世界に侵食されている、、、。鬼束ちひろは好きだけど、いつもこのDeepな世界に引き込まれていたのでは、体がもたんな。
鬼束ちひろ ~THE ULTIMATE COLLECTION~
鬼束ちひろ, 羽毛田丈史
東芝EMI

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 今日はほとんどの予定をキャンセルして、とにかく自分のために使った。今日届いて一気に読んでしまった「サッカーのコーディネーショントレーニング」大修館書店 は、最近自分が思っていたラダーや、ボディアタック(ボクササイズ)がサッカーのトレーニングに有効だということの理論武装と方法論の積み上げにとても参考になった。
サッカーのコーディネーショントレーニング

大修館書店

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 2004年はあと11日なのに、一応の年の区切りなんて考えず、いろんなことが頭を巡りまくって、集中している今の自分の状態はとても良いかもしれず、とりあえずメンテナンスは必要なさそうだ。

あの海を見たい

2004-12-13 23:32:25 | Weblog
1996年の2月16日。大学2年の終わりの春休み。首都圏に大雪。
電車が止まり、10時からのサッカー部の練習の中止連絡がまわった瞬間、ふと思いついたアイデアに珍しく早く起きだして、当時の愛車と共に朝7:30に家を出た。20センチの雪に当然自転車はこげず、ほとんど歩いて40分くらい。向かったのは辻堂海岸。

「絶対こんな雪の中、しかも朝一で海に行くやつはいないはず」

予想はぴたりと当たり、海の紺色と混ざり合って、幻想的な風景を織り成す、辻堂海岸を独占した。

誰の足跡もついていない、辻堂の砂浜にとりあえず、しっかり足跡を残して、撮ったのがこの写真。

この海があるから、この街を大学生活の場に選んだ。もう思い立ったら海。暖かい春の日には、キャンパスに向かう途中に思い直してUターンし、本を買って、海に向かった。オフシーズンには、走って行って、波打ち際をジグザグに走った。友達と共に、初夏の冷たい夜の海に飛び込んだこともあった。いろんな思いを海に投げ捨てて、いろんな勇気を海からもらった。

と、と、なぜ回想モードに入って、海を思い出したかというと、録画で観た「ラストクリスマス」で、由季が「もう一度あの海を見に行きたい」という気持ちが、よーく分かったから。 しかし、ちょっとまじで、由季が死んでしまいそうで悲しい。今日もじだんだを踏むが、昨日もってかれて捻挫した左足がしみる。

猿にもできる反省

2004-12-11 00:50:41 | Weblog
ここには、あまり仕事のことは書かないつもりなのだけど、今日はあまりにも凹んでしまったので、自戒をこめて。

作成した打ち合わせ資料の精度悪すぎ。昼ごろ、ちょっと難しい問題があって思考の無限ループに陥り、資料の見直しの時間をもてなかったのが原因だけど、だめだめだ。説明しながら、バグを一杯見つけてしまい、恥ずかしくてしょうがなかった。

そして極めつけは、2つ目の資料で、内蔵DISKが、全て内臓DISKとなっていたこと、、、。昨日の読み合わせの時からこうなっていたのに、全く素で間違えていた。説明した後に、前の席に座っている方の資料を見ると、臓が囲ってあって、あちゃーと思って気づいた。ありえない、その間違い、、、、。けど、そんなのみんな呆れて指摘する気にもならんよなあ。そして不覚にも、サーバの中で、内臓がごにょごにょとうごめく姿を想像して、一人思わず吹き出しそうに。

準備不足。その一言に尽きる。土日でもう一度、仕事への意識を考え直して、体勢を立て直し、残る2004年を過ごさねば。

今日の等々力の公園での暗闇での練習。 1年間ここで練習したOGばんばさんの言葉にはっとした。その環境でできることを、できるだけ。暗闇もポイントを絞ればある意味すごい良い練習になる。このクラブを創り上げたそのOG陣の意識の高さを、受け継いでいかないと。

変わらないもの

2004-12-10 00:18:53 | Weblog
家に辿り着いて、TV(というかPC)をつけると、ちょうどNHKの夢・音楽館で、ドリカムが今日のゲストだった。

「ハッピー・ハッピー・バースデー」をThe Voices of Japanとアカペラ。
「うれしい!たのしい!大好き!」をAFRAと共演、などなど。
録画しておけば良かったなあ。

吉田美和って変わらない。もう中学生の頃から聞いているのに。変わらない。
その時々を通り過ぎる音楽も良いけど、
(ちなみに、今カーオーディオで流しっぱなしなのは、鬼束ちひろのベスト『the ultimate selection』、重たーいけれど強い世界にどっぷりはまっている)

ドリカムのように、いつも、そこにあって、いつでもあの時に戻れる存在っていうのは、日々刻々代謝されて、3ヶ月毎に入れ替わる体の中でも、ぜったい変わらない場所があるという安心感を与えてくれる。

さてさて、今自分の中にどっしりとのしかかる大仕事は、年末に故郷で開催される、卒業以来はじめての中学校の同窓会の出欠確認。クラス幹事なんて、そんな役があったこと自体知らなかったし。識者はうなずいてくれると思うが、最も自分には向いていない仕事だ。

大体、このご時世、幹事を名乗って同窓会の電話なんかしたら、「おれおれ詐欺」の新種だと思われて、すぐ切られるに違いない。

そもそも、「○○中学校 3年3組で誰々君(もしくは誰々さん)と一緒のクラスで、クラス幹事の××と申しますが、同窓会の連絡のためお電話しました。誰々君(さん)いらっしゃいますでしょうか。」なんて言っている間に途中で一回かんで、最後まで言うまでもなく電話をきられるに違いない。

とまだ一つも電話をしていないのに、悪いイメージばかり思い浮かべているが、「決戦は土曜日」。困ったなあ。

思う

2004-12-07 23:42:40 | Weblog
今週から火曜日をトレーニングオフ日にした。うまく一週間のトレーニングのリズムを作っていきたい。

さて、インターネットマガジン12月号の特集 "インターネットおもしろ企業ガイド2004" に、GMO・グローバルメディアオンライン(株)熊谷社長の座右の銘が紹介されている。

"夢あるところに行動がある。
行動は習慣をつくり、
習慣は人格を作り、
人格は運命を作る"。


自分の中にいろんな夢があっていい。そしてその夢の一つ一つに対してまず行動を起こせているか。自問自答の日々は続く。

10000キロを走る

2004-12-05 21:56:14 | Weblog
12月4日 清水丘でのOPTIMIST練習に向かう途中、府中本町を通り過ぎたくらいのところで、相棒の走行距離がとうとう10000キロを突破した。今年の1月7日に納車されてからだから、11ヶ月足らずの付き合い。思えばこの1年はこの相棒と共に、フットサルにサッカーにあちこちを駆け回った1年だった。(掲載写真は、安全な場所に停車し撮影したものです。)

どこへ行くにも地図をにらみながら、おそるおそる運転していた乗り始めの頃。どんなに遅く仕事から帰っても真っ先に車に向かい、あてどなく近辺を走った時期もあった。海外出張で1週間家を離れるだけでも、いない間にどうにかなってないか心配だった。

1ヶ月点検も終わり、道も覚えてきたころ、世田谷の細い道でミラーを電柱に少しぶつけて、車のダメージ以上に自分がへこんだこと。

4ヶ月ちょっとたったゴールデンウィークの時期には、なかなか耳の病気が治らず入院してしまった母を見舞い、この相棒の白が少しでも、幸運をもたらしてくれるように願をかけて、妹と共に、往復1800キロの松山への道を、行きは20時間、帰りは14時間かけてロングドライブしたこと。鳴門海峡大橋を渡り、社会人生活をスタートした地でもある徳島を通ったとき、見慣れている松山の通りに辿り着いたときの感動は今でも忘れない。

それからは、相棒ともかなり打ち解けて、フットサルで清水丘、砧南中、西区体育館や、秩父宮、神奈川県立アリーナ、小田原アリーナ、平沼体育館を何度も往復し、試合や練習でどんなに疲れていても、運転だけは苦にならなかった。

外れれば故障が多いという車種だと言われていたのにも関わらず、今まで故障らしい故障はほぼなく、ただ自分の運転技術の下手くそさで、11月に縁石に乗り上げて、左リアの下部を少しへこませたりしたことは、悔やんでも悔やみきれないが、そういったことを通じて、更に大事に乗ろうという意識は最近更に高まってきている。

これから2万キロ、3万キロ、そして10万キロと、この相棒と共に走り続け、その道中で獲た出会いや闘いによって、自分自身も成長していきたい。


チェ・ジウな夜に「デザインのデザイン」を読む

2004-11-22 23:35:08 | Weblog
今日はトレーニングのオフ日だったので、仕事を忍法 七方出の術でさっさと終わらせ帰宅。

「ラストクリスマス」にじだんだを踏み、今日の狙い、ビストロSMAPでチェ・ジウを観る。
一言、チェ・ジウにもってかれました。同い年とは思わなかった。背が高い。ユン・ソナ、チェン・ジヒョン、BoAには元々はまっていたけれど、一気にチェ・ジウに1位の座を明け渡してしまった感じ。

それはさておき、デザインのデザイン 原研哉 著  岩波書店刊を読み返している。

"デザイナーが関与する部分は情報の「質」であり、その質を制御することで力が生まれる。それは素早く伝達したり大量にストックしたりという「速度」や「密度」そして「量」と言った観点だけで実現する力ではない。「いかに分かりやすいか」「いかに快適であるか」「いかにやさしいか」「いかに感動的であるか」というような尺度から情報を見ていく視点こそデザイナーが情報に触れるポイントである。"
デザインのデザイン(岩波書店) p.209

良いデザインという言葉に対して、この本を読む前は、「センス」という言葉が最初に連想された。しかし、今は「パッション:情熱」が思い浮かぶ。根底にあるのは熱さ。紀里谷和明がCASSHERNの試写会終了後、一人舞台裏で号泣している姿を、番組の制作過程を映すドキュメンタリーで観たことがある。失礼ながら、正直、UTADA が結婚したときは、そのやさおとこぶりに大丈夫? だまされてないか?と思ったものだけど、この人こんなに熱い人だったんだ、と。何かを形にするということというのは、製作者の情熱の証であることは、デザインに関わらず物事を生み出すもの全てに共通するだろう。

ただし、
"コミュニケーションに関与するデザイナーの仕事は、物事の本質を把握し、それに相応しい情報の形を与え、最適なメディアを通してそれらを社会に還流させていくことである。"
デザインのデザイン(岩波書店) p.204

とあるように、物事の本質を掴むとはどのようなことか、ということを、デザインという曖昧な概念を、熱く、かつ論理的に語るこの本は教えてくれる。

時を刻む

2004-11-16 01:15:31 | Weblog
今日(11/15)の日経MJの3面に、旧東ドイツの時計メーカ、グラスヒュッテ・ウィーレンベトリーベ社の社長へのインタビューが掲載されている。

グラスヒュッテは、全て手作りの高品質の時計を1845年から作り続けてきたが、第二次大戦後、旧東ドイツの共産主義体制配下で国有化され、低価格品の量産を強いられたこともあった。しかしその技術は脈々と引き継がれ、今では西側資本を取り入れて、オリジナルの復興をとげ、世界市場へ進出しつつある。その中の言葉、

~キャンペーンなどの販促戦略を話した上で~ しかしそうしたこと以上に良い製品をつくり続けることに力を注ぎたい。時間はかかるかも知れませんがそれが我々の最大のマーケティング戦略です。

今日、昨年参加していたWorking GroupのMLを久しぶりにチェックすると、ドキュメントの中のAcknowledgementのたった一文を巡って、アイルランド、イギリス、オランダのお馴染みのメンバーたちが、熱い議論を何通にも渡って繰り広げていた(まだ結論はでていない、、)。傍目から観れば、こんなのどっちでもいいじゃんと思う面もあるが、細部までこだわっていい仕事をすることということに関して、少なくとも僕が関わったヨーロッパ出身の人たちは、手を抜かない。人間として時間の捉え方が決定的に自分とは異なっているのではないかと感じることはしばしばだった。

今週は4月から取り組んできた7ヶ月の仕事の集大成。既に、そのプロセスを振り返ると、至らないことばっかりで、うまくやればもっと時間をかけずに出来たんではないかという反省はたくさんあるが、この7ヶ月の成果がどのような結果になるか。この1週間を楽しみたい。

ヴェネツィアに思う

2004-11-03 00:51:49 | Weblog
少し反応が遅れたけれど、
水上都市ベネチアが冠水5日目 (ロイター) - goo ニュース 
というニュースに動揺した。

 ヴェネツィアはちょうど1年前、トランジットの7時間ほどを使って、「ヴェネツィアの夜」の雰囲気のほんの一端を味わっただけだが、ちょっと路を外れて、小さな運河に区切られた古い建物が作る迷路に迷い込んでしまうと、静かで、おそらく中世からほとんど変わっていないであろう風景の中に飲み込まれて、自分が今現代に生きていることを忘れてしまうような、不思議な街だった。

 ヴェネツィアの街が絡んだ映画として、ちょうど当時、日本からローマに向かう飛行機の中で上映していた、The Italian Job 邦名:ミニミニ大作戦(だれだこんな邦名つけたのは) はこの歴史ある街で、激しいボートチェースをするなど滅茶苦茶なことをしているけど、街の作りを感じる上ではお薦め。
ちなみにこのときのシャリーズ・セロンに惹かれて、1フライトで2回も繰り返して観てしまった。

 また、海に浮かぶ街というのがぴったりの写真を見付けた。これを観るともう一度ここを訪れて長く滞在してみたいと心から思う。takeのイタリア通信

 サッカーで、僕の好きな選手の一人、Jubilo磐田の名波選手が、この1年間このヴェネツィアのチームでプレーしたが、この街を訪れたとき、この中世からの歴史をそのまま留めて蓄積したような重たいこの街で、ただ一人の、そしてチームで初めての日本人選手として、大変だったのだろうなあ、けどよく頑張ったよなあと素直に感動した。

 けどこの街も海面上昇により、この何十年かのうちに、街自体水没してしまう危機に見舞われている。水中堤防の技術の知識がないので何とも言えないけど、街全体を水中堤防で覆って、海水の流入を調節するなんてことはできるのだろうか?

 僕が訪れたときにも、冠水に備えて、サンマルコ広場など一帯に、冠水したときの通路になる渡り板が置いてあって、そのときは、その板の意味が分からず何だろうと思った覚えがある。どこへ行くのにもボートか、渡り板で行くというのは、ヴェネツィアに長く住む人にとっては慣れたことかもしれないが、生活の場としては相当不便だと思う。そして歴史ある建造物が、冠水のたびに侵食されるのを、古くから住む方々は悔しい、無力な思いでみているのだろうか。

 人間として一人前になったらロンドン発プラハルートのオリエントエクスプレスで、ヴェネツィアへという旅をしてみたい。(本当はオリエントエクスプレスの起源であるイスタンブール発ヴェネツィア着の旅がいいのだけれど、今は運行していないみたいで残念)

 自分が大人になるまでとは言わず、いつまでも今の街を保って、人が、本能的に憧れるような場所を残していってほしいと思う。





藤原紀香を観る

2004-11-02 00:20:18 | Weblog
 実はNHKの23時ドラマ(今は15分開始)、結婚のカタチを毎回観ている。ちょうど家に帰る時間でたまたま1話観たのがきっかけだったけど、それ以来、金曜の深夜の再放送を全て観てしまうくらいにはまっている。

 お互いに自分のキャリアを大事にし、事実婚というカタチで生活する夫婦(というかカップル)の微妙な気持ちのすれ違いが元々のテーマで、藤原紀香が奥さん(というかパートナー)の有里役。
 しかし、紺野まひるが演じる、取引先「サロン・ド・高見沢」の娘、恭子が、だんなさんに恋してしまってから(元は優柔不断なだんなが一番悪いんだけど)、恭子がだんなを手に入れるために、あの手この手で有里を追い詰める、家なき子と小公女セーラを一緒にして2で割ったくらいの、悲劇的ないじめと嫌がらせがメインになってテーマは吹っ飛んでしまった。

 恭子の嫌がらせと言うのが、だんなの観る前で、わざと演技をして有里に階段から落されたようにみせかけてみたり、取引先の権威を使って有里の仕事の邪魔をしたり、子供ができたといって周りを大混乱に陥れたり、恐るべしの連続なのだが、その苦難に対する有里(藤原紀香)の表情がすごい。 悲劇的な表情のバリエーションってこんなにあるんだというくらい、藤原紀香の顔を見ているだけで飽きないんだ。これが。
 
 藤原紀香は、すごい努力家だと聞いたことがある。まあ努力なしでは、そもそもあのスタイルは保てないだろうと思う。ハリウッド進出を狙って、英語も流暢に使いこなすと聞く。顔芸だけでも勝負できそうなあの表情も、相当な努力の賜物なんだろうなと思う。

 あと2週で話は終わってしまうが、もう今となっては事実婚の結末がどうなろうと関係ない。藤原紀香の表情を追い続けたい。伊藤美咲といい、藤原紀香といい、スタイル抜群で中味まで備わっているとかなわんね。
  

休む

2004-10-31 00:11:16 | Weblog
久しぶりに対外的な予定のない土曜日。完全なオフ。自分のためだけの日。
昨日、この土曜日を有意義に過ごすために立てた計画。
7:30 起床
8:00 朝食
8:30-10:00 部屋の片付け、洗濯
10:00-12:00 友人の結婚式のビデオ編集
12:00-13:00 昼食
13:00-14:00 洗車とコーティング
14:00-17:00 (続)友人の結婚式のビデオ編集
17:00-20:00 KONAMI SPORTSでトレーニング

今日の現実の生活
6:45起床 だが、10:30まで2度寝
10:30-12:00 朝食、新聞3誌をただ読む
12:00-14:00 これではいかんと友人の結婚式のビデオ編集
14:00-16:00 いつの間にか鹿島v.s横浜 TV観戦
16:00-17:30 はっとわれに帰って友人の結婚式のビデオ編集
17:30-18:45 しかし疲れて眠る(すまん しのへ)
19:00-20:00 夕食
20:00-22:00 そしてまた疲れて眠る
22:00-23:30 やっぱり恋のからさわぎスペシャル,,,

あいたた。雨にやられたというのは言い訳。仕事で疲れていたというのも言い訳。
たまにはこんな日があってもいいじゃんというのは何の効力もない慰め。

一つだけ、予定外のいいことは、
2月2日(水) 松たかこ主演「コーカサスの白墨の輪」 のチケットが手に入ったこと。ブレヒトを予習しとかなきゃいけません。

10月最終日(はやいねえ、、)の明日もこの調子で過ごすわけにはいかないので、明日の予定も立てておきますか。

10/31の夢の予定
6:45 起床
7:15-8:45 移動
9:00-12:00 OPTIMIST練習(千代田区体育館)
12:00-15:00 昼食、買い物 jogarbolaをチェックする
16:00-18:00 Hair Cut
18:30-22:00 KONAMI SPORTSでトレーニング

これがどういうことになるかは、こうご期待。


MR ハイファッション

2004-10-29 00:43:03 | Weblog
「ファッション」というのは、外見のおしゃれだけでなく、その人の生き方そのものだ。 

ということを「MRハイファッション」という雑誌から学んだ。

 学生時代は「ファッション」なんて言葉とは無縁で過ごした自分だが、卒業旅行で出会った知人に、この雑誌をすすめられて手にして、どっぷりはまってしまって以来、偶数月の発行を待ちわびて、書店に何度も通った。

 この雑誌のよかったところは、「人の生き方」と「服」が密接に結びつくことをテーマとしていたことだと思う。
 流行をおしつけるような誌面はなく、人と、服を中心とした写真が並ぶ。コレクションの紹介も、ただただデザイナーごとの写真が並ぶ。何がよいかの選択はあくまで読み手の感性にゆだねられている。デザイナーが何を考えて、何を目指しているのかというインタビューが最も好きで、2ヶ月の間に何度も読み返した。
 自分に手の届く範囲の価格の服はほとんどなくて、それが現実的に、自分の服装の一部となることはなかったけれど、どんな時代の流行にも惑わされない、生き方という意味のファッションを身に付けていく自分でありたいという意識は、この雑誌からもらった。

 MRは2003年6月号で突如休刊となり、同じ思想を持つ女性誌のHF ハイファッションに吸収された。その最後の6月号の表紙を飾るのは、ダンサーの笠井 叡(かさい あきら)。59歳という年齢が信じられないほど磨かれた肉体は、服など着なくても、その生き方とともに、強烈だ。

 この雑誌を紹介してくれた知人は、今、新潟でサッカー選手をしている。相次ぐ地震と寒さに、歯を食いしばって耐えている被災地の方々に、彼が今まで闘い、身に着けてきたファッションを存分に発揮して、勇気を与えてほしいと思う。


人が人であることを思う

2004-10-24 02:31:27 | Weblog
「どの民族でも関係なく、平和に楽しく暮らしていける世界にしたい。」
クルド人だというだけで、いろんな迫害や差別を繰り返し受けてきた彼なのに、それでも笑顔や、優しさを失わず、みんなの平和を願っている。

彼に会うまで、恥ずかしながら、平和ボケしていた自分がいた。
けど彼らは今も、人が人として生きることの当然の権利を求めて闘っている。
川口のトルコ国籍クルド人2家族、「国は難民認定を」
難民認定を求め7/13から連続座り込み中

彼らは、いつ収監されて迫害や拷問の待つ本国に強制送還されるかわからない。
けどそんな悲壮は微塵も見せない彼らの強さと温かさは、きっと人と国を動かすはずだ。いや動かなくちゃいけない。

歩く

2004-10-22 02:39:06 | Weblog
今週のサッカーマガジンの、西部謙司氏のコラム 「サッカーの言葉」のテーマ「平常心」の中で、

畳のヘリの上を歩けと言われれば、誰でも歩くことができる。ところが、それが高さ5メートルならどうか。100メートルならどうか。

と、剣豪、宮本武蔵の言葉として紹介されている。

全く偶然だが、19日に蹴ログに、
幅50センチの板の上を渡る に思う
ということで、高校時代の体育の先生、俊野先生の言葉として紹介したが、元は宮本武蔵だったのか。そういえば、俊野先生は、剣道の先生でもあったなあ。なるほど。

その言葉があるゆえに、どんな苦境に陥っても、がんばることができるという言葉がある。

自分にとってその言葉は、
「どんな遠い道のりでも、歩みを止めなければ必ず辿り着くことができる」

ということだ。これは他の誰の言葉でもない、自分自身が体験から感じ取った言葉だと思っている。

 高校3年の夏、自分の進路に迷ったとき、松山から、祖父、祖母の住む宇和島までの96キロの距離を2日間かけて歩いた。父の運転する車ではよく通った道だったが、いざ歩いてみると、とても辿り着かないのではないかと途方に暮れた。それでも元気だった1日目はまだよかった。2日目に宇和に至る峠を越えた頃には、足も心もやられ、何度も、歩くのをやめて汽車に乗ろうかと考えた。歩く速さもだんだん遅くなっていった。しかしここで負けてはと思い歩き続けた。宇和島の闘牛場が見えたとき、そして和霊神社の境内に辿り着いたとき、ふらふらだったけど、どんな距離でも、進んでいれば辿り着くんだという確信が持てた。

 大学卒業旅行として位置づけたスペイン旅行で、友達のCamino de Santiago(サンチャゴ巡礼)を一区間だけ分けてもらい、スペイン北部のLeonからAstorgaという街まで歩いた。その距離は43キロほどだったけど、0度を下回る気温の中、しかも時折、強い向かい風を受けながらすべて舗装されてるわけではない道を歩くことのつらさは、宇和島に行ったときの比ではなかったかもしれない。巡礼者の道案内のために書かれたFlecha Amarilla(黄色い矢印)を途中見失って道を戻ったり、向かい風のために1時間歩いて3キロほどしか進んでいないということもあった。やっとのことで16キロほど歩いてvilla dangosという町に辿り着いたときにはもう暗くなっていた。この街で巡礼者のために用意されたAlbergueと呼ばれる施設で泊まったが、暖房などなく、気温0度以下の中で毛布1枚に包まって寝た。

 次の日も冷たい風に悩まされながら、ひたすら歩いた。周りの景色や、友達のペースを気にする余裕もなく、ひたすら歩いた。その距離27キロ。歩いているのにも関わらず、寒さで足が動かなくなると言う経験をしたのは初めてだった。明るいうちには辿り着かず、道さえどこにあるのか分からない暗闇を、とにかく街の明かりを求めて歩いた。そしてついにAstorgaの街を見渡せる丘の上に着き、ライトアップされた教会が見えたときに、宇和島に辿り着いたときと同じ、どんなに遅々とした歩みでも、歩みを止めなければ目標に必ず辿り着くという実感をまた味わえたことに心が震えた。

 選手権に負けてから、歩みをとめて、なかなか前に足を踏み出せない自分に今日になって気がついた。また一歩一歩、進まなくては。目標は見えている。休んでいる場合ではない。








ガソリン高に思う

2004-10-20 01:14:59 | Weblog
米ガソリン小売価格、1ガロン=2ドルを突破 (ロイター) - goo ニュース

1ガロンは3.79リットルで全米平均約2ドルということは、1ドル(108円)で1.895リットル分買える。
僕の最寄のガソリンスタンドではレギュラー1リットル118円。大まかに言って日本のガソリンはアメリカの2倍するということか。高い高いといってもさすがアメリカというか、日本はそもそもガソリンが高い。

レギュラーが90円くらい、ハイオクで103円くらいだった今年の1月に車を買った自分としては、今の値段は異常だが、過去を遡ってみると1996年くらいには同じくらいの値段だった時期があったようだ。

垣見油化株式会社 全国県別ガソリン軽油灯油価格 

小学生の社会の授業で、世界各地であと何年分石油の埋蔵量があるかといった表があって、最も埋蔵量があるところでも50年くらいだったような気がするが、その表は今でもあってその年数は自分が年をとった分(約20年くらい)少なくなっているのだろうか。

経済成長による需要急増で今の原油高の一因と言われる中国ではオイルショック的な様相も垣間見える。
中国混乱 ガソリン買い占め、合成繊維も高騰 (産経新聞) - goo ニュース

子供のときに読んだ北斗の拳で、ガソリンを巡って筋肉質な男たちが殺し合いをしていたようなような覚えがある。限られた資源で、それが人間の生活になくてはならないものだということは、それを巡る争いが起こりうるということに少し背筋が寒くなり、少し将来を悲観した覚えがある。

ガソリン高による財布圧迫は相当痛い。けど大人になった今でも、石油が限りある資源であることの現実感が襲って来ないことを考えると、石油製品に囲まれた自分の生活を見直すいい機会になるのかもしれない。