今一番会って話を伺いたい方である湯浅健二氏が、
湯浅健二のサッカーホームページの最新トピックで、予選リーグ3連勝したドイツに触れ、
「・・あくまでも基本に忠実に、ギリギリまで闘う意志を高揚させて全力を尽くす・・それがドイツのサッカーなんだ・・」
と表現した。できることを徹底してやる。ゲルマン魂強しである。
この強いドイツをまざまざと見せられて、思い浮かんだのが、頼りの須賀敦子「ヴェネツィアの宿」の「カティアが歩いた道」。
留学先のパリのルームメートとして出会った、ドイツ人「カティア」の「歩き靴」(chaussures pour marcher)についての一節。
"たんすの上のカティアの「歩き靴」に、私があるまぶしさのようなものを覚えたのは、それが、歩くことを通して子供たちに土地のつながりの感覚をおぼえさせるという、ヨーロッパの人間が何世紀にもわたって大事にしてきた、文化の伝統の一端をまざまざと象徴しているように思えたからだった。"
ブラジル、そして主にフランス、ドイツのシステムのいいとこ取りで積み上げてきた日本のサッカーには、まだ確固とした日本サッカーとしてのスタイルはない。伝統というものは数えきれないチャレンジとその結果の振り返りにより作られるもので、一朝一夕では作られない。今日本代表は(というより日本のサッカーは)、何が自分達のスタイルなのか試行錯誤している段階である。
慶應義塾体育会ソッカー部女子も、まだ始まったばかり。しかし慶應としての伝統は受け継ぐことができる。それは大きな強みの一つだ。大学時代には合宿所に何気なく置かれているその色紙の重みを理解していなかったが「練習は不可能を可能とす」という小泉信三氏の言葉。「魂のディフェンス」(このディフェンスという言葉にはいわゆる受け身な守備ではなく、攻撃的な守備という意識が刻み込まれている)に代表されるあきらめない慶應魂。その伝統を受け継ぐだけの魅力と個性をもった選手は揃っている。そのベースの上にいかに自分達のサッカーを作り上げていくか。「歩き靴」による一歩一歩を踏み出していることを忘れてはならないと思う。
湯浅健二のサッカーホームページの最新トピックで、予選リーグ3連勝したドイツに触れ、
「・・あくまでも基本に忠実に、ギリギリまで闘う意志を高揚させて全力を尽くす・・それがドイツのサッカーなんだ・・」
と表現した。できることを徹底してやる。ゲルマン魂強しである。
この強いドイツをまざまざと見せられて、思い浮かんだのが、頼りの須賀敦子「ヴェネツィアの宿」の「カティアが歩いた道」。
留学先のパリのルームメートとして出会った、ドイツ人「カティア」の「歩き靴」(chaussures pour marcher)についての一節。
"たんすの上のカティアの「歩き靴」に、私があるまぶしさのようなものを覚えたのは、それが、歩くことを通して子供たちに土地のつながりの感覚をおぼえさせるという、ヨーロッパの人間が何世紀にもわたって大事にしてきた、文化の伝統の一端をまざまざと象徴しているように思えたからだった。"
ブラジル、そして主にフランス、ドイツのシステムのいいとこ取りで積み上げてきた日本のサッカーには、まだ確固とした日本サッカーとしてのスタイルはない。伝統というものは数えきれないチャレンジとその結果の振り返りにより作られるもので、一朝一夕では作られない。今日本代表は(というより日本のサッカーは)、何が自分達のスタイルなのか試行錯誤している段階である。
慶應義塾体育会ソッカー部女子も、まだ始まったばかり。しかし慶應としての伝統は受け継ぐことができる。それは大きな強みの一つだ。大学時代には合宿所に何気なく置かれているその色紙の重みを理解していなかったが「練習は不可能を可能とす」という小泉信三氏の言葉。「魂のディフェンス」(このディフェンスという言葉にはいわゆる受け身な守備ではなく、攻撃的な守備という意識が刻み込まれている)に代表されるあきらめない慶應魂。その伝統を受け継ぐだけの魅力と個性をもった選手は揃っている。そのベースの上にいかに自分達のサッカーを作り上げていくか。「歩き靴」による一歩一歩を踏み出していることを忘れてはならないと思う。
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