文字数の多少は問題ではない、という話。
●●チャットの形によって醸成されてきた文化の違い
俺が常駐しているパスチャルームでは、ナリチャ、イメチャ、チャHなど色んなチャットの形を自分の中に持っている人々が入り交じって、独特の空間になっている。そのため、例えばチャHではいわゆるト書きの部分はごく少なく、しゃべった内容=文字の発言というのが一般的だろうとおもう。つまり文字数から行くと少ないわけだ。
つまり自分のしているチャットがどういう由来を持っているかで、発言内容は様々に変化するというわけだ。これはあの場所でイメチャをしている人々が日頃実感していることであろう。
●郷に入っては郷に従え
このように、チャットの文化圏のちがいが混ざり合って本来ならば非常に面白い空間となるはずだが、控えめにいっても大して面白い交流がおこなわれているとはいえない。
それはやはりパスチャの土台となる部分がイメチャであるから、といえよう。つまりチャHでもナリチャでもない文化圏に属す場所であるから、それ以外のものが入ってくると違和感を感じざるを得ないのである。
これは致し方のないことだ。イメチャという認識がある以上、郷に入っては郷に従うのが筋である。そうするとト書きのないチャットは実に厳しい。逆にト書きも台詞も長い、あるいは推敲するので返信に少なくとも10分はかかる、というのも不適当である。
●設定による異文化の吸収
ただしこのパスチャは看板を用いてシチュエーションやルールなどを細かく定めることが可能になっている。つまり公開する部屋にルールを個別に設定することで、文化圏の違いを吸収し、同じWebページで遊べるようになっているわけだ。
しかしこれらの文化の違いをまたぐほどのチャッターはまだ少ないか現れていないと思う。むしろ分けたがっている人の方が多いと感じた一件があった。
●●文字数が多ければいいレスか?
(ブラウザの広げ方にもよるだろう)発言ログの欄に最低二行を埋めないと認めない、と言うような部屋があった。
短文、中文、長文というスラングがある。
あくまで雰囲気だが、短文というのはごく短く、ト書きを含めても40から60文字くらいのものだろう。中文はそれ以上、長文は200文字くらいからであろう。明確にこれと決められているわけではない。ただ文字数がそれくらいだったらそうだ、というほどのことである。
このわけ方は割と便利な面を持っている。それは、イメチャをしたい、と思ったときに趣向としてアピールできる面である。
イメチャは想像力の勝負といってよい。言葉からわく想像を持って共感を得るし、お互いの言葉が交わされ合うことで愉しいひとときを作り出すことができる。意思の疎通がしっかりできた上で、会話という趣味を楽しむようなものである。
●会話を楽しむには
会話を楽しむには話題、間、相手の言葉、自分の言葉などが必要である。実際にあってする会話と違って、チャットでは「抑揚」「身振り手振り」を会話の補助にすることができないから、それをも付け加えた発言が求められてくる。
そのなかで間にあたるのが返信までにかかった時間、と見ることができそうだ。Webでのチャットは送受信時の回線混み具合やキーの打ち込みなどで返事をするのに時間がかかる。IRCやインスタントメッセンジャーのようにはいかない。テンポの良い会話は返信時間がだいたい同じであったり、送られてくる内容が今までの会話の流れに沿っていることが多いだろう。
相手の言葉、自分の言葉は会話の本体である。普通の雑談では話題と言葉はほぼ同等で、千変万化していい。しかしイメチャはあるイメージに沿った会話が推奨されるので、話題自体は一度決めたらそれが下敷きになり、会話の最中突然変わったりはしない。
ここで重要なのは内容がどれだけ充実しているかである。それは「ある程度の文字数」が担保してくれる部分はある。しかし文字数が内容の充実度を保証するのか、と言ったらそれはNOである。
●文字数=上質なログ、ではない
小説を読むとよく分かるのではないか、と思う。
登場人物のセリフがある一定の文字数を満たしているのかというとそうではない。
短い台詞の中に色々な感情を込めている場合がある。
冗長なセリフが続くことで読者には倦怠が生まれるかもしれない。
ト書きがだらだらと長くつづく小説はかえって読みづらい。
文字数が多いからいいというわけでは、決してない。あくまで文字数は表現上どうしても必要になってくる要素を積み重ねた結果であって、その文字数を満たすから良い発言になるわけではない。
細かな動作が見えるセリフや、無言なのにその人間の感情が手に取るようにわかるト書きなど、文字数などという量よりも質を重視して欲しいと思ってやまない。
●●チャットの形によって醸成されてきた文化の違い
俺が常駐しているパスチャルームでは、ナリチャ、イメチャ、チャHなど色んなチャットの形を自分の中に持っている人々が入り交じって、独特の空間になっている。そのため、例えばチャHではいわゆるト書きの部分はごく少なく、しゃべった内容=文字の発言というのが一般的だろうとおもう。つまり文字数から行くと少ないわけだ。
つまり自分のしているチャットがどういう由来を持っているかで、発言内容は様々に変化するというわけだ。これはあの場所でイメチャをしている人々が日頃実感していることであろう。
●郷に入っては郷に従え
このように、チャットの文化圏のちがいが混ざり合って本来ならば非常に面白い空間となるはずだが、控えめにいっても大して面白い交流がおこなわれているとはいえない。
それはやはりパスチャの土台となる部分がイメチャであるから、といえよう。つまりチャHでもナリチャでもない文化圏に属す場所であるから、それ以外のものが入ってくると違和感を感じざるを得ないのである。
これは致し方のないことだ。イメチャという認識がある以上、郷に入っては郷に従うのが筋である。そうするとト書きのないチャットは実に厳しい。逆にト書きも台詞も長い、あるいは推敲するので返信に少なくとも10分はかかる、というのも不適当である。
●設定による異文化の吸収
ただしこのパスチャは看板を用いてシチュエーションやルールなどを細かく定めることが可能になっている。つまり公開する部屋にルールを個別に設定することで、文化圏の違いを吸収し、同じWebページで遊べるようになっているわけだ。
しかしこれらの文化の違いをまたぐほどのチャッターはまだ少ないか現れていないと思う。むしろ分けたがっている人の方が多いと感じた一件があった。
●●文字数が多ければいいレスか?
(ブラウザの広げ方にもよるだろう)発言ログの欄に最低二行を埋めないと認めない、と言うような部屋があった。
短文、中文、長文というスラングがある。
あくまで雰囲気だが、短文というのはごく短く、ト書きを含めても40から60文字くらいのものだろう。中文はそれ以上、長文は200文字くらいからであろう。明確にこれと決められているわけではない。ただ文字数がそれくらいだったらそうだ、というほどのことである。
このわけ方は割と便利な面を持っている。それは、イメチャをしたい、と思ったときに趣向としてアピールできる面である。
イメチャは想像力の勝負といってよい。言葉からわく想像を持って共感を得るし、お互いの言葉が交わされ合うことで愉しいひとときを作り出すことができる。意思の疎通がしっかりできた上で、会話という趣味を楽しむようなものである。
●会話を楽しむには
会話を楽しむには話題、間、相手の言葉、自分の言葉などが必要である。実際にあってする会話と違って、チャットでは「抑揚」「身振り手振り」を会話の補助にすることができないから、それをも付け加えた発言が求められてくる。
そのなかで間にあたるのが返信までにかかった時間、と見ることができそうだ。Webでのチャットは送受信時の回線混み具合やキーの打ち込みなどで返事をするのに時間がかかる。IRCやインスタントメッセンジャーのようにはいかない。テンポの良い会話は返信時間がだいたい同じであったり、送られてくる内容が今までの会話の流れに沿っていることが多いだろう。
相手の言葉、自分の言葉は会話の本体である。普通の雑談では話題と言葉はほぼ同等で、千変万化していい。しかしイメチャはあるイメージに沿った会話が推奨されるので、話題自体は一度決めたらそれが下敷きになり、会話の最中突然変わったりはしない。
ここで重要なのは内容がどれだけ充実しているかである。それは「ある程度の文字数」が担保してくれる部分はある。しかし文字数が内容の充実度を保証するのか、と言ったらそれはNOである。
●文字数=上質なログ、ではない
小説を読むとよく分かるのではないか、と思う。
登場人物のセリフがある一定の文字数を満たしているのかというとそうではない。
短い台詞の中に色々な感情を込めている場合がある。
冗長なセリフが続くことで読者には倦怠が生まれるかもしれない。
ト書きがだらだらと長くつづく小説はかえって読みづらい。
文字数が多いからいいというわけでは、決してない。あくまで文字数は表現上どうしても必要になってくる要素を積み重ねた結果であって、その文字数を満たすから良い発言になるわけではない。
細かな動作が見えるセリフや、無言なのにその人間の感情が手に取るようにわかるト書きなど、文字数などという量よりも質を重視して欲しいと思ってやまない。