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...ヨクノポリス...

おぷちまの愛と読書と物欲の日々。RもしくはX指定

文章への愛

2006-01-13 14:44:01 | ―イメチャ・語彙
 文字数の多少は問題ではない、という話。

●●チャットの形によって醸成されてきた文化の違い

 俺が常駐しているパスチャルームでは、ナリチャ、イメチャ、チャHなど色んなチャットの形を自分の中に持っている人々が入り交じって、独特の空間になっている。そのため、例えばチャHではいわゆるト書きの部分はごく少なく、しゃべった内容=文字の発言というのが一般的だろうとおもう。つまり文字数から行くと少ないわけだ。
 つまり自分のしているチャットがどういう由来を持っているかで、発言内容は様々に変化するというわけだ。これはあの場所でイメチャをしている人々が日頃実感していることであろう。

●郷に入っては郷に従え
 このように、チャットの文化圏のちがいが混ざり合って本来ならば非常に面白い空間となるはずだが、控えめにいっても大して面白い交流がおこなわれているとはいえない。
 それはやはりパスチャの土台となる部分がイメチャであるから、といえよう。つまりチャHでもナリチャでもない文化圏に属す場所であるから、それ以外のものが入ってくると違和感を感じざるを得ないのである。
 これは致し方のないことだ。イメチャという認識がある以上、郷に入っては郷に従うのが筋である。そうするとト書きのないチャットは実に厳しい。逆にト書きも台詞も長い、あるいは推敲するので返信に少なくとも10分はかかる、というのも不適当である。

●設定による異文化の吸収
 ただしこのパスチャは看板を用いてシチュエーションやルールなどを細かく定めることが可能になっている。つまり公開する部屋にルールを個別に設定することで、文化圏の違いを吸収し、同じWebページで遊べるようになっているわけだ。
 しかしこれらの文化の違いをまたぐほどのチャッターはまだ少ないか現れていないと思う。むしろ分けたがっている人の方が多いと感じた一件があった。

●●文字数が多ければいいレスか?

(ブラウザの広げ方にもよるだろう)発言ログの欄に最低二行を埋めないと認めない、と言うような部屋があった。
 短文、中文、長文というスラングがある。
 あくまで雰囲気だが、短文というのはごく短く、ト書きを含めても40から60文字くらいのものだろう。中文はそれ以上、長文は200文字くらいからであろう。明確にこれと決められているわけではない。ただ文字数がそれくらいだったらそうだ、というほどのことである。
 このわけ方は割と便利な面を持っている。それは、イメチャをしたい、と思ったときに趣向としてアピールできる面である。
 イメチャは想像力の勝負といってよい。言葉からわく想像を持って共感を得るし、お互いの言葉が交わされ合うことで愉しいひとときを作り出すことができる。意思の疎通がしっかりできた上で、会話という趣味を楽しむようなものである。

●会話を楽しむには
 会話を楽しむには話題、間、相手の言葉、自分の言葉などが必要である。実際にあってする会話と違って、チャットでは「抑揚」「身振り手振り」を会話の補助にすることができないから、それをも付け加えた発言が求められてくる。

 そのなかで間にあたるのが返信までにかかった時間、と見ることができそうだ。Webでのチャットは送受信時の回線混み具合やキーの打ち込みなどで返事をするのに時間がかかる。IRCやインスタントメッセンジャーのようにはいかない。テンポの良い会話は返信時間がだいたい同じであったり、送られてくる内容が今までの会話の流れに沿っていることが多いだろう。

 相手の言葉、自分の言葉は会話の本体である。普通の雑談では話題と言葉はほぼ同等で、千変万化していい。しかしイメチャはあるイメージに沿った会話が推奨されるので、話題自体は一度決めたらそれが下敷きになり、会話の最中突然変わったりはしない。
 ここで重要なのは内容がどれだけ充実しているかである。それは「ある程度の文字数」が担保してくれる部分はある。しかし文字数が内容の充実度を保証するのか、と言ったらそれはNOである。

●文字数=上質なログ、ではない
 小説を読むとよく分かるのではないか、と思う。

 登場人物のセリフがある一定の文字数を満たしているのかというとそうではない。
 短い台詞の中に色々な感情を込めている場合がある。
 冗長なセリフが続くことで読者には倦怠が生まれるかもしれない。
 ト書きがだらだらと長くつづく小説はかえって読みづらい。

 文字数が多いからいいというわけでは、決してない。あくまで文字数は表現上どうしても必要になってくる要素を積み重ねた結果であって、その文字数を満たすから良い発言になるわけではない。
 細かな動作が見えるセリフや、無言なのにその人間の感情が手に取るようにわかるト書きなど、文字数などという量よりも質を重視して欲しいと思ってやまない。

イメチャの記73:汗

2005-06-27 22:15:10 | ―イメチャ・語彙
 汗一つとってもいろいろと表現できることはあるのだけど、そもそも

セックスの時に汗だくなのが好き
セックスの時に汗だくなのはいや

 こういう二つの嗜好に大別されてしまうんではないだろうか。当然両方好きという人も多いだろうが、イメチャの時にどう表現しているか・・たいていこの辺の描写を含めて臨場感を増す手法の一つにしている人はいるだろう。しかし冷房をつよくかけて交われば、汗だくになる状態は結構避けられる。
 汗をにじませ、またそれを伝わらせて女を抱いていると、やはりそれだけで密着している感覚が増す。なんというか、はげしい動きが汗だけで感じられるというか。身体の密着と大きな動きによって汗は噴き出てくる。でもそういった「男が一生懸命感じさせようとしている」という感じよりも、「身も心もしっかりつながり合っている」という温かい気持ちの方が先に立つのではないだろうか。

 汗の表現をせずともそれは可能だ。しかしやはり汗の表現が入ると違う。背中まで汗まみれになる必要はない。こめかみのあたりに汗をにじませるだとか、汗の滴をぽたりと垂らすだとか、そうした一言でもずいぶん違うと思う。
 汗のことさら詳細な描写は要らないな、と今は思う。ことある事に細かい場所へ注目するようこのブログではよく書くが、交わっているとき最初に汗を掻くのはだいたい関節の裏・・膝の裏とかだろうから、そんなところをセックスの問い注目しているわけではないので、いらん。

 終わった後に汗にまみれて冷たくなるシーツとか・・その辺は描いても良いか? だがあの冷たいシーツは・・寝心地悪くて正直あまり好きではない・・(笑)汗だけかというとそうでもないから愛おしいけども。

イメチャの記64:鏡

2005-06-07 09:44:00 | ―イメチャ・語彙
 俺は散々書いているように責め気質なので、責めるために色々考える。そのなかに姿見もあって、これは相手がM気質のときわりとよく使う。鏡に姿を映してやること。これはいい眺めだ。同時に羞恥心を煽れるので、けっこう重宝する。
 後ろから抱いて姿見に真正面から彼女を映してやるのは基本だろう。立っている状態、座って足をM字に広げさせている状態などは誰しもよくやるはずだ。
 また逆もいい。背中を抱きしめ、おしりをぎゅっと掴み・・左右に広げてやるのを鏡映しにするとか、対面座位で同様のことをしたりすると、なにもいわなくても彼女は羞恥をあおられて燃え立つに違いない。

 言葉もある。姿見に映っていることを話して聞かせたりして煽るわけだ。ただひとこと「ほら、姿見があるぞ」というだけでもいい。言葉については自分と相手の没頭の具合などによって、具体性が加減されていい。お互いのめり込んでいると思えば少ない言葉数でもいい。

 バイブのような直接的な道具を使うのも、鏡のような間接的な責め具でも組み合わせたりすることで刺激はどこまでも増すことができる。効果的に利用して女性を翻弄したいものだ。

 最近俺は窓の桟やベランダの手すりが気に入っている。むろん立ちバックなどで掴ませるために窓際やベランダという場面を利用する。そういう、「特有の場面に登場する道具」も観察眼するどく(俺の観察力が特段優れているという意見ではない)探して使うことによって臨場感はイヤでも増すので、よくよく目を養いたいものだ。

イメチャの記56:ト書きを減らす

2005-05-25 09:36:38 | ―イメチャ・語彙
・ト書きは減らす。でも描写は減らさない
 ト書きを読むと楽しい。が、あまり冗長なのは良くないと思っている。小説と違うのだからチャットであることをもっと意識して、返信時間を取らないようにすることが必要であるとたびたび述べてきた。
 自分自身もともとがそれほどの長文でないため描写を減らすと情景が広がらない危険があるのだが、今回の話は描写を減らさずにト書きを減らす方法についてかたる。
 といっても一言で話はすんでしまう類のものだ。すなわち

「セリフに描写を込めればよい」

・セリフの軽さ
 どういうことか。
 セリフは相手の応答だけになりがちである。チャットでは通常、相手への応答にさらにこちらから「なんらかの考え」を示して応答を誘う。この部分が相手の話題の中にない、または関連した新しい話題となってどんどんチャットの時間が織りなされていくわけだ。
 イメチャのなかでもセリフに関しては同様となる。新しい話題を提供するのがうまくセリフを愉しむコツになってくると思うが、イメチャではト書きが加わるためことさらセリフにこだわらなくても良くなっている。ト書きのほうに応えることで、セリフにかかる負担が軽くなるのだ。

・描写の重さ
 描写をするのは結構楽しいが、情景描写、心理描写と表現することは色々ある。ただし主観表現において心理描写はあまり多用しすぎないほうがよい。心理描写を行うとは、つまり自らを客観視することだからだ。相手からの感情移入を誘うとき、客観的すぎるとそれがしにくくなるのはこれまでのブログで書いた。
 とにかくト書き、いわゆる地の文で色々と表現していくとその文章量は結構増えていく。セリフはあまり増やしようがない(延々と語るのはヘンだ)が、ト書きはいくらでも増やせる。
 増やせば増やすだけ確かに字数は増えるが、それに対してどうレスをしていくか考えたとき、取捨選択を考えて応答していけば、それほど字数は増えず、頭打ちになるはずだ。全部に応答しようとするから視点が散漫になり、字数は多くてもなにをいっているのかわからん、ということになってしまう。
 描写に対しては視点を色々巡らせすぎないことだ。そして、視点を移動するならなるべくそこで一端区切り、レスを提示して相手の反応を見るべきだ。そうすれば相手にも視点の移動の自由が与えられ、二人で視線を巡らし、話の趣旨という共通点を二人三脚で歩き回ることができるのだ。
 チャットはあくまで相互協力の産物であって、しかもその内容が問われるわけだから、字数が多いことをその基準にすることからは是非とも脱却すべきと考える。

・ではどうするか
 さて描写について語ったところで、ではト書きを減らしてセリフに移し換えて行くにはどうしたらよいかという話である。
 先程から語っている今回の内容はセリフ、ト書き、描写という三点について語っている。ト書き=描写ではない。セリフの中にも描写は込められるし、そのほうが臨場感が増す、というのが主旨だ。
 さきほど、イメチャではセリフは相手への応答の意味合いが割合に濃く、それはト書きが加わるためであると書いた。つまり話者の関心はト書きに集まるわけだ。ここで話が展開するといっても間違いではない。
 このト書きによる描写を少しセリフに移動してみるのはどうか。
 たとえばト書きの中に風景描写を入れる。

ああ、きれいだね。でも少し寂しい気がするな・・(山の端にかかる夕日が、空にあかね色をもたらしてくれる。見つめてもまぶしくなくなってきた夕日のかなたに鳥の群も飛んでいて・・二人でそちらに視線を向けつつ、彼女の言葉に思わずそう答え)

 一部をセリフに移し換える。

ああ、きれいだね・・夕日の中に鳥もいる。でも少し寂しい気がするな・・(山の端にかかる入り日が空にあかね色をもたらしてくれる。見つめてもまぶしくない太陽・・二人でそちらに視線を向けつつ、彼女の言葉に思わずそう答え)

・セリフへ移し換えた結果
 上の例では二人で一方を見つめているからそれほど効果的ではないかも知れないが、ト書きで提示されるのと台詞で言われるのと、若干感じ方が変化する。それにト書きの量も若干減り、文章量が増えすぎる事態をふせぐ効果がある。
 セリフは増やしにくい性質を持っている。あまりべらべらしゃべり続けるキャラはいないであろうから、ト書き部分を少しセリフに混ぜることで肥大化を防ぐというわけだ。
 またセリフに新しい描写が加わることで集中すべき箇所が分散され、相手のレスの自由度も増す。ト書きに凝り固まらなくなるわけだ。
 ただセリフになにもかもを詰め込むと説明ゼリフになってかえって味気ないのですこし抑え気味にし、少々重みづけをかえるくらいに思っていた方がよい。

 セリフとト書きをうまく均衡させ快適なチャットをおこなうと、それだけで続けたくなるのではないだろうか。濃縮した時間を楽しくすごしたいものだ。

イメチャの記51:笑い

2005-05-18 09:52:42 | ―イメチャ・語彙
 おはようございます、おぷちまでございます。本日はことさらイメチャに限ったことではなく、通常の雑談やキャラクターによる雑談、いわゆる雑ロール、昔からチャットの世界に身を置いている人にはバカチャなどというのにも係わってくる話題でございます。

・チャットにおける笑い
 ひとえに笑いは攻撃である。
 チャットにおいて(笑)とかwとかvvとか、とにかく笑いの表現は頻繁に用いられる。いまでは「爆弾発言」の意味合いが強いが、元々(爆)は爆笑だった。
 ともかく雑談、バカチャ、集まった人々が放談するとき、(笑)はほぼ100%使われるといっていい。
 笑うときには、なにか面白い発言がふられたときや自分で自分が面白い、楽しいと思ったことをいったときつけるのが普通で、つける様子によって誰が楽しいのか分かる。

・(微笑)の経験談
 おそらくイメチャから生まれた表現に(微笑)というのも登場した。ずいぶん昔にはやり、今ではそれも下火になったが、たまに(微笑)を禁止するなどという設定も見かける。単純にきざったらしいからか。使われすぎるからか。鼻につくからか……確かに微笑し続けるのは俺も変だと思う。
 俺が初めてこれを見たとき、まだ「w」はIRC内でしかなかったように思う。チャットでは(笑)というカッコづきのこの表現がほぼ全てだった。
 ある日俺はとあるチャットルームで一人の男性と話をしていた。その人は俺よりだいぶ年上で、チャットも俺より何十倍も上手な人だった。
 その人と話をしているとき、多分俺は弱音を吐いていたのだと思う。なんとなく沈んだ気分で、色々優しい言葉を掛けてもらったのだけは覚えているのだが、その時初めて(微笑)という末尾のレスをもらったのだった。

 びっくりした。

 ああ、表現とは色々だ、そうしてこんなに暖かく包まれるレスをもらったのは、そして本当に肌にぬくもりを感じたのは初めてだったからだ。言霊とはいうが、実際にその威力を感じたのだ。
 今振り返ると表現としてはきざったらしかったのかも知れない。しかしそういうことは全く感じなかった。驚き、感心し、暖かく感じたのだ。二人の間の笑いはいままで全て(笑)だった。そしてたった一度の(微笑)に込められた思いやり、これほどじんと温まるレスはないと、俺は心底びっくりしたのだ。

・くすくすと、笑った。
 話は少しそれるが、イメチャの時「くすくす」笑いが非常にもてはやされて(?)いるのはどういうことだろうか。なかなか下火にならない気がする。しかもなぜか男性キャラに目立つ。PLがこんな笑い方をするとは到底思えないので、何か理由があるのだ。
 この笑い方で例えば陵辱イメチャはできまい。……よほど耽美なSMだったら、あるか? ――すらりと長身の、絹のドレスシャツを着た御曹司風の人物が、くすくすと笑みつつよつんばいになって尻を突き出すマダムをいたぶっている――俺の想像力は貧弱だと改めて知らされる例だな。はっはっは(爆)←これは自爆
 個人的には男性が「くすくす」を使うのはどうかと思う。男がこのような笑い方をしたとして、果たしてどんな空気をつくれるのか。きざったらしさをふんぷんとさせるか、単に気持ち悪いだけだろうと思うのだが、いかがだろうか。

 さて、このように笑いは様々な雰囲気のなかで頻繁に生まれ、互いに影響を与えたりする。チャットほど「笑い」が絶えない環境はないのではないだろうか。良いことである。これが実生活でも同じくらい生まれるなら、会話がなんでも楽しくなる気がする。

・笑いは攻撃である
 ところでチャットやイメチャになれている人特有と思われる笑いをひとつ紹介したい。冒頭でも述べた「笑いは攻撃である」ことについての、ひとつの表現をである。
『(苦笑)』。
 これを何気なく使っている人は多い。どちらかというと自嘲の意味で使っていると見受けられる例が多いようだが、苦笑はそもそも自分で自分を笑う行為ではない。自分への発言や行動などに対して相手へ返す応答の一つの形であって、多分に攻撃的だ。
 辞書の中にある苦笑という言葉は以下のように示されている。

  心中の不快や動揺などをまぎらす笑い。

 苦笑で返答するというのはレスや態度が不愉快だからであって、つまりは反撃である――例えばその気のない相手からの熱烈な告白に苦笑で返す――。このように笑うことで攻撃になってしまうものには、冷笑や嘲笑、集団で一人を嗤う、などもある。
 これらは確実に相手への攻撃になっており、決して自分のことをへりくだる意味で笑うわけではない。むしろ笑いという記号に隠れて自らを保護し、そして相手を叩く効果を持っている。
 これについては民俗学者柳田國男の著作にもあるが、とにかく「笑い」は結構強い意味を持ち、かつ影響力は高い。とくに攻撃手段になる(苦笑)は絶対に自分を笑う言葉ではないので、はき違えないようにすべきであるとおもう。でなければいちじるしく、自分の品位を落とすことになりかねない。

 ことさらキザにすることはない。今ある自分を下げなければいい。そうして文字を使う交流ならばことさら言葉に敏感であるべきと、俺は思っている。

イメチャの記48:ト書きの小技

2005-05-13 23:11:49 | ―イメチャ・語彙
 こんばんは、おぷちまでございます。今回は更新時刻がこんな時間になってしまいまして・・申し訳ないです。毎日更新というのも無謀な企画でございますが、よろしくどうぞ。今回はレス中のト書きについて、この前試した小技でございます。

 ト書き中の小技、繰り返しについて。
 これは自己満足の部類にはいるのだが、一つ聴いてくれ。レスは相手に呼応するため、台詞やト書きなどがある程度流れに支配されていて、自分の思うとおりにならないのは周知の通りであるが、これを巧く自分の好みに引き寄せることも大事になる。
 自分の好みと相手の好みの融合が展開をよりおもしろくするわけだが、ここになるべく含めたいのが演出である。台詞のうちの言葉を強調したりとか、音だけをまず提示する、とか・・今までのイメチャの記でも演出についてはだいぶ小技を書いてきた。

 今回わざわざ小技として紹介するのは、繰り返しのフレーズを使う、だ。しかも、始めと終わりに。あるいはしばらく開けて。特に情景描写を行うときこの小技を使うと締めがリフレインのように余韻を残せる。
 どういう風にやるのかというと、情景描写をしたときの言葉を、イメチャの一番最後のト書きでそのまま繰り返すだけだ。
 たとえばある部屋でイメチャが進行しており、情景描写の中で「雨がそぼ降る肌寒い夜更け、ただ雨だれの音だけが・・」などと一度書いたとすると、それをイメチャの最後などに全く同じことを書くのだ。

 歌によくある「※くりかえし」である。

 相手に気づいてもらえないことには、相手に余韻の情を起こすことはできないかもしれないが、残ったログ中に同じ文句が見えていれば効果的と思う。ただし、同じようなフレーズを既に何度も描写に盛り込んでいたりするとかえって逆効果なので、そこはよくよく気をつけねばならない。
 レスのメリハリというのはともするとぼうっとしがちであるし、絶対違う言葉を使わねば・・・と言う思いがあるはずだから、演出とはそういうものでもないというのを、ここに示した次第である。

 繰り返す言葉は自然強調の意味合いを持ってくる。以前一度聴いたものがもう一度繰り返されれば、それは残響のようになって、聴く者の心に新しい刺激を与えるはずだ。

イメチャの記41:キス

2005-05-04 17:05:03 | ―イメチャ・語彙
・口づけの魔力
 キス。キスはすばらしい。行為自体がすばらしい。心を込めたキスはなにより嬉しいとおもうし、してやりたい。
 プレイでは陵辱イメ、ラブイメ両方で使える。俺はキスがかなり好きなので、レスにいつでも含めがちである。キスをただ単にするだけでなく、膝の上にのせた女性に音を立ててついばむとか、後背位で交わっているときに背中に被さり、横顔を向けさせて口づけにふけるなんてのはよくやる。いわば合わせ技といえるか。
 口づけは愛情を確かめあい性愛を高めあう手段として、また陵辱のさいの女を汚す行為、彼氏から奪い取るなどという意味合いを込められるので非常に強い行為になる。

・キスの仕方
 唇は手指の次にいろいろと動かせるのではないだろうか。表現も雰囲気によってさまざまに変わるし、人それぞれといってもいいかもしれない。

くちづけ
口付け
口づけ
接吻
キッス
キス
唇をつける
唇を重ねる
唇をついばむ
唇を吸う
唇をねぶる
唇を盗む
キスを盗む
キスを奪う
唇をはむ
唇を吸いあう
・・・漢字やひらがなの混ぜ具合は初めの口づけのところを参考にして欲しい。

 唇はかなり動きを複雑にできるので、ひとくちにキスといってもやたらやりようがある。もしかすると1回のイメチャのなかでおなじ表現にならないように工夫できるのではないだろうか。それくらい豊かに表せる行為だ。

・舌
 唇を交わすほかにも、舌の動きがある。舌を絡め合うのは必須といっていいくらいではないだろうか。キスするときに口の中、外で舌を絡めたり、唇を舐めたり、頬をべろっと下品に舐めたり・・舌を使うことでいやらしさや時には汚らしさまでもエロティックさをくわえつつ表現することができる。

・キスに込める意味合い
 女の唇を奪うこと。これは女性の心の貞操に影響を与えることをしっかり思いあわせる必要がある。ここちよくとろけるのにくわえて心を奪う行為でもあるからだ。今しているイメチャの雰囲気がキスの意味を変える。それにあわせて汚らしく無理矢理うばうこともあろうし、優しくついばんで温めながら重ねあうこともあろう。
 手を変え品をかえて表現していくキスは、同時に女をどう扱うかという意味ももつ。その部分を強調して口づけを愉しむと、より濃厚なイメチャになると思う。

 キスは思い入れが強すぎて、なんだか客観的にものが見られないな。推敲しなおし、加筆するなどしていずれもう一度アップしなおそうかと思う。

イメチャの記40:最近俺のレスに誤字が多い件について

2005-05-03 12:23:51 | ―イメチャ・語彙
 ごめんなさい、猛省します。
 初心に返らねばなぁ・・見るもむざんやな、な状態である。本人はモニタのむこうで冷や汗かいてるんだが・・気をつけます。
 発言欄が非常に広くなって使いやすくなった俺の常駐チャットから別のところでチャットしようとすると、ほんと・・誤字率はねあがる。思い出すだけで恥ずかしいよ、ほんと・・。お相手下さる方々、申し訳ない。この場を借りて自己ログの一部を晒して精進しなおします。

 俺の誤字の一番恥ずかしかった言葉:「♀肉」←牝肉のつもり

 未だかつてこんな誤字打ちしたことなかったのに!

 あ゛~~~~~ッ(林家三平風・・)

イメチャの記33:語彙の探求-後を撰ぶ-

2005-04-22 08:53:17 | ―イメチャ・語彙
・動作の細やかな表現
 動きをしめすさいにいきなりとかゆっくりとかいうようにその速さで意味合いを変えることができる。緩急に気を配ると相手の反応もまた練り込んでもらえる。動くときはどういう状態なのかを端的にしめしてやると、所作の表現は豊かになる。
 すばやく、ゆっくり、そっと。動作につくこのような言葉は普段から使われている。これにもう少し気を配って

  ふりかえりしなに
  ふりかえりがけに
  ふりむいたおり
  ふりむきざまに
  ふりむくままに
  ふりむきながら
  ふりむきつつ
  ふりむくと
  ふりむいて
  ふりむいたとき
  ふりかえったところで
  ふりむいたら
  ふりむけば

などと動作の語の末尾の工夫によって雰囲気をこともできる。この辺りの語彙を増やすとおなじ言葉で香りが変化する。そうして相手への想像を増すことができるし、なにより単語の単純な増加よりも使い出がある。単語そのものは使いどころが限られるが、これらは動作に附属するため色んなところで使用される。
 こういう頻度の高い部分のみなおしは、語彙の増加にかなり有効かと思う。

 なにより同じ文章が続いているという印象をぬぐうことができる(そこまで神経質にならいでもとはおもうが・・)。小説のなかでなにかをするときに「~しつつ」だけをつかうとか、たとえば「しかし」しかつかわない文章だったらへんだと思うのと一緒だ。
 意味合いの微妙な違いや雰囲気の違い、同じ文章にしないためのこうした工夫は小説のうえの作法といえるが「物語」をつくるうえで必要になってくるため、当然イメチャをするときにも生かして利用することができる。

イメチャの記29:擬音のタブーに挑戦

2005-04-18 09:12:43 | ―イメチャ・語彙
・擬音使用上のタブー
 擬音そのものがタブーだという描写原理主義は音の描写において直接感覚(聴覚)に訴えるという面で不自由があり、心情的にはじゅうぶん理解できるが俺自身それをとるかというとそうはならない。
 そういう、ある種過激な思想がでてくるくらい擬音はろくな使われ方をしていないことがわかるのだが、あえてこれに挑戦してみた。といっても普段からあるていど擬音をもちいているので、今回は擬音の禁忌に挑戦した。

 擬音の禁忌とは何か。
 単調に繰り返される「ぐちょぐちょぐちょぐちょ」「ぱんぱんぱんぱん」という音の表現だ。
 これのなにがいけないかというと
1 描写がいっさいない
2 ただ単調な音の表現がくりかえされているだけ
3 しかもそれをレスとしてなんども使う(いろんな音の表現はするかもしれない)
 つまりなんの描写もなく、ただ音のような言葉が連なっているだけで、意味を読み取ることも情景を汲み取ることもできないのがよくないのだ。それになにより読んでいてこれ以上つまらないものもないだろ。

・擬音はそもそも単調ではない
 こうした単調な音というのは、実はあんまりありえない。繰り返し腰を振ったとして、中でかき混ぜられる音は全く同じではなく、ほんのすこしは違った音になるはずだ。腰の振り方だってただただ前後するだけではない。横にこすれたり、上の壁、下の壁に当たったり、ボルチオを突いたり激しい前後、ゆるい前後があったりする。だから音の繰り返しといえども破調があらまほしいのだ。
 だが、この繰り返し音に俺はあえて挑戦してみた。もっとも、だいぶ工夫はしているのでまるで同じかといわれたらそうではないと思う。骨子を同一にするといえばいいか。
 勘違いしないで欲しいのは、この挑戦は「今日はこれをやるぞ!」と意気込んでとりくむなんてことではなく、イメチャの最中にふと思いついてしてみた結果を振り返っているだけだってこと。わざわざこれをやろうと確定するのは流れを悪くする可能性があるのでお勧めしない。

・課題:挿入の繰り返し音をイメチャの中で使用する
1 音そのものの表現を単一にせず、表現を多少変える→(ぱんぱんぱん、ではなくぱんッ、ぱむ、ぱん・・ッなど)
2 必ず描写とセットにし、そういう音が出ているのだ、ということを丁寧に描写する(ぱんッ、ぱむ、ぱん・・ッ(やわらかい美肉に激しく打ち付け・・)など)
3 音を使うレスにはせりふをいっさい使わず、繰り返し音のみで聴覚に訴える
4 イメチャの中で一回だけ使用する
5 お相手の女の子の様子(描写中の濡れ具合、レスの長さ、返信時間など)を見つつ、投入するタイミングは自分の経験に任せる

 書いてみると煩雑かもしれないが、レスを返す分にはそれほど意識しなくてもできるはずだ。ログそのものをここに上げるわけにはいかないので、例をあげてみる。人名は今思いついた勝手な名前だ。

ぐちゅッ・・ぐ、ちゅッ・・ぐッ・・ぐッ、ぐん、ぢゅる、ぢゅくぢゅッくぢゅッぷッ(加奈子の反応を見ていっきに欲情が増し、ささやきかけていた淫語さえもなげかけられないほど夢中で腰を振りたて、徐々に早めていくまま下品な音が結合部から何度も漏れ、飛び出す)

 と、こういう感じだ。ううむ、イメチャの最中でないとやはり文章は作れないな・・。音の表現も中黒や読点による区切りも単調なものではないが、擬音だけを使用するという目的にはかなっているように思う。これより前にはこんなにたくさんの擬音をだしていないし、おもにささやくせりふなどが入って擬音自体は添え物以上にしてない。そういう下地があってこれをつっこめば、多少なりとも許せる擬音になりはしまいか。
 結果としてはレスの重なりの中では違和感なく見えたし、これによるお相手さんの反応も良かった。ただしPLさん自身にはこれについて聞いていないので、こんど試したら聞いてみようかと思う。

 そんないうわけで、誰もが嫌悪する繰り返し音についての利用法を実地で試してみた。擬音の再考に一役買えたらさいわいだ。