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...ヨクノポリス...

おぷちまの愛と読書と物欲の日々。RもしくはX指定

もう月末

2006-04-25 14:06:47 | ―イメチャ・設定
 いかんでしょう。もう月末ですか。つい先日「櫻」という記事をエントリーしたような気分でしたがな。むぅ。まったくもって。

 ネタもはやつきはてつ。3月末まさに幾星霜(大げさ)。最近の出来事を書いてもしょうがないし、さてなにをかこうか。

 最近は普段通っている(笑)イメチャサイトではなく、イメチャ・なりチャ混在の2ショットをのぞくことが多い。そこは先に入った人がある程度の設定を掲げているので、趣味が合えば飛び込んでいって話し合う形になる。細かく書いてくれる人の場合は吟味しやすいので、それだけ入りやすくなるというわけだ。
 だがなりチャも混在と書いたように、キャラになりきることの方がどちらかといえば多いので、その作品を知らなければならず、またごっこ要素が強すぎて食指が動かない。いきおい、看板を眺めるだけになる。
 またそこは両性具有、いわゆるふたなりがもてはやされる傾向があるようにおもえる。そうなるとさらに入れない。

 と、いいのか悪いのかいまいち分からない場所ではあるが、気分転換とでもいおうか。変な記号やら罵倒、ヤジなどを見なくて良いだけましである。
 イメチャは愉しいが、それにばかりかまけているわけにもいかないので、少しずつ離れているのはいい傾向だと思う。入り浸るよりもしたいことをする時間をとれるし。

 昨日はひさびさにヰルキンスン・ジンジャーエールを入手したので、一緒にレモンを買い――ライムでも良かったが――、ついでにグッドヘルスのポテトチップを買って帰った。ジンと混ぜればジン・バックである。呑みながらイメチャというのもいいけど、近頃疲れているのか9時頃猛烈に眠い。酒なんか飲んだら再起不能になってしまうかも。・・一日くらいいいか。たまには22時就寝というのも・・。

乱交系チャットについて:前段

2006-02-02 10:45:58 | ―イメチャ・設定
 今度の話題は表題通り。ただし、書き出した原稿が結構な長文なのでシリーズ化して書き込む予定。

 さて、乱交系というと、エロイメチャをする人にとってはひとつの目標にも成り得るおおきなシチュエーションのひとつだとおもうが、割とこれでうまく活躍できる人は多くない。

 そこでどうやったらうまくいくのかを、実際に行動している自分の状況を内省しつつさぐってみたい。

・「乱交」の種類
・参加するときの心構え
・チャットの心構え
・参加するタイミングについて
・タイミングがまずかった場合
・入室してからのチャットの心構え
・どういうレスをするか
・一人の時の文章の提示のしかた
・いかにして場を盛り上げるか
・PL発言について

 こういったことがらについて、少しずつここに書いていくつもりだ。普段から遊んでいればこんなもの読む必要がないほどの情報ばかりで、ちっとも面白みに欠ける代物になってしまったが・・。
 チャットにおけるマナーも含めて書いているので、同じ話題が重複することもある。とくに心構えと称する題名が重なっているところがそれに当たるだろう。どの話題も「乱交」と言うひとくくりの中の話題なので、繋がってきてしまう。そのためくりかえしになるが、そこはご了承いただきたい。

 ひとつ分かったことは、自分に文才はないということだ。読んでいて面白い文章を書くにはどうしたらいいのかねぇ・・。

イメチャの記72:嗜好を生み出す

2005-06-20 10:10:37 | ―イメチャ・設定
 なぜ相手に合わせなければならないのか?
 会話のやりとりとその連続性、二人の間の協力態勢、感性の呼応を整えるため。

 相手に合わせるとは全部相手の嗜好のまま、相手の望むレスを返すことではない。「自分らが持っている嗜好を出しつつ」「相手の嗜好を読み取って望むようなレスを加味する」つまり二つの要素が入り交じっている。どちらか一方では納得いかないイメチャにしかならない。
 あまりにも持っている嗜好が違う場合は最初からイメチャをすることが不可能かも知れないが、こうした場合は相手のことをよく読み取る方が重点的になるかもしれない。あるいは協力し合う中で、自然と交互に自分をだしあうかもしれない。
 嗜好が違う者同士の会話というのは社交性とか相手をおもんぱかる気持ちがより要求されてくる。チャットでは文字しかないため感覚が逆に鋭敏化する。つまり文章から受け取るイメージが、相手の表情や声音を遮断されている分だけ強まるというわけだ。そうすると現実世界で対面しておこなわれる日常会話ではささいな言葉でも、イメチャや雑談になると強い言葉になってしまい、しばしばトラブルになることがある。
 こうした経験は誰しも持っているが、嗜好のささいな違いについても大げさに「全然合わない」と思ってしまうことも単語と同様、ありえる。

 そうした場合にはコミュニケーションを諦める方がいいという風潮があって、なんとも寂しいと思う。時間は無限ではないのだが、刹那の出会いで感覚の合う人を探そうというのが無理な相談なのだ。もう少しこらえて少しずつ歩み寄っていきたいところだ。
 完全に嗜好を合わせることは無理だ。自分自身と遊ぶわけではないのだから。しかしそこに近づく過程で、二人の間にあらたな嗜好が生まれる可能性もある。嗜好をコピーするのではなく、独特な嗜好を生み出すというわけだ。多種多様な細胞が生まれ、生き物が生まれたように、嗜好も二人の間で新たに生み出される。
 してみると、二人が会話を交わして歩み寄るというのは、それですでに交尾なのかもしれない。

イメチャの記70:69

2005-06-16 09:48:58 | ―イメチャ・設定
 前回書くべきだったなぁと。投稿してから気が付くほどに昨夜は興奮(爆)していたようである。

 69。これはなかなかしづらくてねぇ。しゃぶられると気持ちいいでしょうが。なのに責めねばならない。フェラに夢中になって指入れに無意識になると自分で行為が制御できなくなることもしばしば。指をひたすらぬるぬる入れてやるだけになったりして、割と下手になる。

 しかしそれ、逆もまたしかりのような気がする。

 俺が多少冷静になって指での責めを開始すれば、女性は一生懸命に口に含んでくれるけれども感じてきてしまって動きがあやふやになってしまう、というわけだ。
 シックスナインはなんというか・・そばからその行為を見て楽しむ方が快楽が大きい気がしてきた。カップル喫茶なんかでソファの上でそれをしている男女をみると、女性側、男性側、どちら側からみても愉しいし、横から全体の様子を眺めても非常に愉しい。じつは他人に見せるための行為じゃないのかと極論づけたくなるほどに。

 69は多分本気になっちゃいけないのかもしれないですなぁ。つまり甘く含んでやり、甘く舐めてやる。重点的に攻め込んではバランスが悪くなるから、ほどほどに責め合い、快楽を得つつ長く二人でそのいやらしい感触を楽しみ合うのが本則なのかもしれない。
 もちろんハードに責めて無理矢理くわえ込ませるなんてのも手法のひとつだが、人を選ぶ。
 緩慢に長く楽しみ合う行為として位置づけると、会話をしながら、つまりどうなっているのかお互い説明し合いながら、応えながら長めにゆったり行ってやると・・いいような気がする。
 でもイメチャとなるとその描写は詳細になるので、制御しにくいな・・いい知恵はないものか。そこで字数制限か。詳細描写を抑えてゆっくり小刻みにレスを重ねていくと。実際の行為と違って集中できなくなるという状態には余りならないだろう。
 問題なのは「行為を施す」「行為に応える」の二つの動作を必ず含めてレスを作らねばならないことだ。つまり字数が増えるわけだ。この点に留意しながら若干物足りないくらいにレスをしてやると時間的に文字数的にもしっくり来るのではと思う。

 でも、何も考えずに責めまくってしゃぶられまくるのが一番いいよな。結構無理だけど。

イメチャの記69:ロリのスイッチ

2005-06-15 21:38:12 | ―イメチャ・設定
 どうも時たまロリ趣向のスイッチが入る。

 ロリと言ってもいろいろある。服装で言えばピンクハウスのような女の子女の子したかっこう、いわゆる甘ロリ(いいんだよな?)であるとか、中世、18-19世紀風の雰囲気を醸すような重厚な服飾ゴシック・ロリータ、年齢は幼女から中学生くらい・・感じ方が人様々だから一口にロリと言っても種々雑多である。
 俺が今のところロリだな、と思うのは・・高校生から大学生、16から20くらいの年齢で、プリーツのミニスカ、ブラウスにオーバーニーソックス、髪型は頭の両脇から垂らしたいわゆるツインテールのかっこうである。つまり服装や髪型が幼い女の子っぽいというふうな。

 で・・こういう格好をさせるのが好きで、いつまでもプリーツのおしりに顔を埋めてしまったり、ニーソから漏れている太ももをなめ回したりと簡単にヘンタイになる。
 いつこのスイッチが入るのか解らないが・・・そう言うかっこうをされると理性が消し飛ぶのでいけない。まぁイメチャしていてめったに見ないからいいんだが・・リクエストしているくらいだし・・ははは・・はぁ。

 ふぅ・・・書いているうちにおかしくなりそうになってしまった。いけませんなぁ・・いい大人が・・・(爆)ツインテールでなくとも・・ニーソとミニスカとか、やばいね。こんな俺を見放さないで・・・(誰によ)

イメチャの記67:お屋敷系の妙

2005-06-10 11:53:20 | ―イメチャ・設定
 M気質というのも貫禄がないが、それにしても主人だからといってことごとく命令一辺倒なのはいかがかと思う。立場を利用してほしいままにメイドをもてあそぶのも悪くはないが、そればかりではなくねぎらってやることも重要だ。
 メイドの立場は主人とは比べようもないわけで、はなから地位など考慮しなくてもよい。つまり命令などしなくてもささいな言葉であっても服従する義務があるのだから、ことさら命令口調でなんやかやと叫ぶ必要はないのだ。
 もちろんそういうのが楽しいという人はいるかも知れないが、主人こそ寛容であるほうが俺はいいのではないかな、と思う。それは余裕があるように見せられるし、それによりなによりも静かにじわじわと責めるS気質を発揮し、その後の激しさ、テンションの高まりへとつなげることができるからだ。

 あとは冷静ぶって妙なですます口調であるとか、前も書いた覚えのある「くすくす笑い」をぜひやめて欲しいと思う。大体この二つはセットになっている。屋敷、大邸宅、大企業の会長、御曹司・・どうにもくすくす笑いが絶えないのは一体いかなる記号だろうか。
 イメチャの言葉は完全に自由ではあるが、その自由をもう少しうまく使いこなすべきではないかと思う。

 ああ、ネタ切れなのが丸わかりの独り言だな。つまらん文章だのぅ。

イメチャの記66:病院イメチャ少々

2005-06-09 09:09:47 | ―イメチャ・設定
 病院はなかなか難しい題材だと思う。想像できることは色々あるが、イメチャに馴れた人にとっては少し魅力に欠ける部分があるのではないだろうか。
 病院といって思い出すのは看護婦(師)と医師または患者、女医と医師または患者。患者と見舞客、といったようなところだと思う。ほかにあれば是非取り入れてみたいが・・ぱっと思いつくのはどうしてもこんな所ではないか。
 つまりキャラに扮する職種や場所が他のイメチャよりもだいぶ固定されてしまっているのだろう。これはほかも似たようなものかもしれない。が、病院イメチャの場合は場所が病院(いわゆる総合病院)だ。大きな病院は施設も充実してはいるが、結局プレイできる環境にそれほど広がりを見せられない。
 とくに男性は「診たがる」。医者(さらにいえば産婦人科医)になって看護婦と遊ぶか患者を診察するかになってしまうだろう。そうして学校の授業などのようによく見知った風景ではないので、使う道具や投げかける言葉も結構限定的になってしまうから、長期的に発展させるにはお互いの想像力がかなり必要になる。
 病院イメチャはわりと短期的に、患者や医者が入れ替わり立ち替わり、たくさんの人と交流するのに向いているかも知れない。なかには色々とシチュエーションを考えて遊んでいる人もいるだろうが、長期的に続けるにはちょっと苦しいような気がする。

 それでもやはり男性にとって看護服の中身をもてあそぶのはあこがれだろう。俺はそういう趣味が全くないので看護婦といわれてもぴんとこないが、そのコスプレ趣味を全開にするだけでもいい。白衣の男性がいいという女性もいるし、冷静な目でじっくり診察される状況に興奮する女性もいる。

 病院というのは場や物語が類型的になりやすいところが短所だが、気分転換などにはもってこいなんじゃないかとおもう。うまく二人で考えていい物語を作ってもらいたいものだ。

イメチャの記62:設定にこだわらない

2005-06-02 22:49:22 | ―イメチャ・設定
 ある程度相手の人や設定に思い入れがある人、どうしてもこういう設定でしたい、と言うつよい希望のある人以外は、割と自由にイメチャを愉しんでいるのではないだろうか。けっしてその願望を否定するわけではないが、あまり自分の思いをしつこく持ちすぎても、その設定は成就しにくい。相手の設定を受け入れなければチャットは決してうまくいかないから、自分が、自分が、という自分中心の考えに拘泥することは得策ではない。

 しかしよくよく考えてみればその設定は多少崩れてしまったとしても原形を保っている限りはいくらでも想像の幅がある限り発展させたり収束したりが可能なわけであるし、イメチャ相手という乱数発生装置がいる以上きっちり決まった設定にこだわることがどれほどの意味を持つものか。
 チャットをしたい、という時点で「変化する時間」を受け入れたことになるのだから、きっちり決めた設定というこだわりにはほとんど意味がないことが解る。意味がないというよりももう少しはっきり「矛盾」している。

 設定に固執するのではなく、その設定を生かしてどう変化をつけていけるのか・・こんな所に注力するほうが楽しめるはずだ。
 設定というのはあくまでも素材である。加工しないと使えない。加工とは変化であり、相手と反応しあうことをも意味する。イメチャのスタイルを見知らぬ相手とイメチャするのは確かに冒険かもしれないが、それでも初めからの安定はあり得ない。どんなときでも多少なりとも飛びこむ土台は高いのだ。

 相手を許し設定をむしろ解体して新しいものを二人でくみ上げるくらいのこだわりをいったん捨てた心で接すると、自然と失敗は少なくなると思う。設定ばかり凝視してそれからはずれてしまうから「失敗した」と思うのである。
 はずれることは知らない(あるいは知っている)相手とのチャットという行為においてなくてはならないものだ。それを失敗と考えるのはちょっとおかしい。

 イメチャで遊ぶより設定を大事にすることの内容、調和を大事にしたいものだ。

イメチャの記59:複数で愉しむ 後編

2005-05-30 13:15:51 | ―イメチャ・設定
 複数ができない、という人は割と多い。したことがない、複数でするタイミングを掴みづらいというのが大きいと思う。鑑賞するのも複数プレイなのだが、煽りのログをさしはさむタイミングや、それを受け入れる心の余裕がない場合が極めて多い。下手に合いの手を入れて雰囲気を壊してしまい、見学している人からツッコミが入るなんてこともある。
 複数プレイ可能、という設定において流れが速くてついていけない、というのはありえる。考え考え打ち込んでいる人にとってはそうなってしまうと思う。チャットで長考というのも俺にはいまいちよく分からないのだが・・そういうことで向き不向きはどうしてもある。
 周りが上手なのに自分は下手なので見せられない、という人はちょっと自意識過剰であるから改めるといい。そんなに比較してないし、そういう人が全体の流れから浮いていることはまずない。むしろその拒否反応こそしらける。
 自信がないならよけいに大きな波に揉まれるべきと思う。

 失敗が怖いというのはもっともだと思う。ただここで考えなくてはならないのはなにを持って失敗とするのか、だ。
 例えば自分が雰囲気について行けない。
 言葉が周りの人に比べて稚拙すぎ、みなとつりあわない(と思っている)。
 周りの人が煽ってくれるのにそれに反応できない。
 そもそも相手と盛り上がれない。

 色々あるかも知れない。雰囲気について行けない場合、これはもう気分の問題になるだろうからダメだと思えば丁重に告げて落ちるしかない。
 自分の文章が稚拙でみなと釣り合わないという場合。ほんとかおい? 冷静になって読み返してみるといい。本当にそう思ったならもっと分析的にどこがどういう風に稚拙か突き詰めてみるといい。こういうことを言う人はたいてい突き詰めることができない。なぜなら明確な証拠がないからだ。ただ何となく下手だからダメだと妄想を抱いているだけである。
 こういう手合いは相手をしていて正直腹が立つ。そんなばかげたことを言う前にレスしな。こういうのは自分を可愛がって相手を省みない卑劣といってもいい拒否反応であり、周りをただ萎えさせる効果しかないのだ。
 周りの煽りに反応できない。これは、しなくていい。煽られて気分良くなれればそれでいい。もしなれない場合は残念だが向いてないかも知れない。煽る言葉が下手という場合も多々あるから、その場にいてみないと向き不向きは判定できないという問題はあるにせよ。

 言葉うんぬんではなく、場の空気を読めないのが一番の下手だ。

 複数といってもそんなにあわてることも構えることもない。その濃い空気を感じられればそれでいいと俺なんかは思う。もちろん人のを眺めることができれば煽ることも自ら煽られることもできるだろう。
 複数の一番の主旨は、みんなで絡み合うことではなく皆が同室した濃い空気を吸って染まりあうことだと思う。

 複数の型についても書こうと思ったが、なんだか面倒なので(爆)やめた。

イメチャの記58:複数で愉しむ 前編

2005-05-27 11:03:32 | ―イメチャ・設定
・複数プレイ拒否
 複数ではとてもじゃないができない、やったことがないし人のを見ている余裕はない。流れも速いしついていけず、なにより自分の下手なのを見られたくない――複数プレイをしたくないという人の理由はこれ以外ないのでは、と思う。言い分はよくわかる。
 だが、よくよく解きほぐしてみるとこれらの理由はさしたるものではない。前例がないからできない、という尻込みとほぼ同義である。一度もしたことのない単なる食わず嫌いなひとも同じ理由を挙げているところをみると、どうやらそのように解釈した方がよいようだ。
 今回は複数で愉しむことを取り上げてみる。少しずつ見つめてみれば、案外難しくないことが分かるだろう。

・複数プレイの種類
 複数プレイといって真っ先に思いつくのは3P、4Pだろう。つまり一人の男性または女性にたいして異性が群がるというアレだ。男のロマン(爆)ともいうべき性行為の至高であるが、なにも複数プレイというのはこれだけではない。

 同室
 部屋にカップルが複数同席し、そこでそれぞれが遊ぶ。複数のカップルは声が聞こえたり姿が見えたりするが、互いの交流はない。こういうのも複数プレイになる。
 カップル喫茶というのがある。カップルが複数同席しそこで遊ぶというもので、カップル同士の交流ももちろんあるが、全く関わりを持たず、他のカップルのしている様子を見て刺激を受けたり、逆にして見せたりして暗黙のうちに交流をおこなうというのもごく普通だ。
 こういうのを相互鑑賞といって、これがどんどん発展して親密になってくればたとえばお互いのパートナーを交換(スワップ)したり、乱交になったりする可能性もありうるが、ともかく同室してそこですることが主旨である。

 つまり複数プレイというのは複数の男女が同居していないと始まらないかわりに、同室していればそれがどんな形であってもよいわけだ。ここを柔軟に考えれば、もし複数でしたくなったときでも経験に応じたプレイを選択できることになる。
 初心者であれば誰かがしているところをじっくりみるのでもよい。そのうちパートナーの手を触り、足を触ってもっとしたくなってくることもあるだろう。自分たちがそうした行為を始めれば、あとは見ようが見まいが没頭すればよく、逆にそれを見ようと周りが視線をむけてくれるに違いない。
 もちろん交換はしたくないとか、見られたくないとか強い禁止の希望があればすべきではない。見られたくないというのはこの項には根本的にあわないので除外するが・・。

 相互鑑賞がエスカレートしてくると、たとえば抱いている彼女をそのカップルの隣に運んでそこで性交したりとか、女性どうし手を繋がせたりとか身体の交流が小さく実現してくることがあって、これが段々こういう空気の中での気心となり、最終的には乱交状態にまで発展することがある。
 初めは誰しも乱交と聞いて尻込みするだろうが、そうした絆の結びあいを経ていくと、案外すんなり乱交に移行できるのだ。

 こういうのは慣れとか経験とかよりも、どれだけパートナー同士堅く気持ちを結び合っているかだと思う。相互鑑賞にしたって人に見られるのだから、相手との結びつきが強くないと気が散ってしょうがないとおもう。
 初めから相互鑑賞をするつもりでチャット部屋にはいり、そこで初めて異性と交流しだすなんて時、その人には心構えが既にできあがっているので純粋に初めての人とは言いがたいと思う。こういう人は想像上ではあっても状況についてはシミュレートしており、知識はある程度持っているからだ。

 なんだか話の方向が散漫になってきたので、この辺で一端打ち切り、次回は冒頭の拒否反応について少し解説し、複数の種類に上げた若干の型を説明していきたい(講義じゃないって)。

(後編へ続く)