イメチャの時、レスのなかの視点が気にかかる。
毎日イメチャに関しての苦言ばかりを書いていると、なにやら俺がとても柔軟性のない堅物、気むずかしい人間のように思われるだろうなぁ。イメチャに関するブログなんて始めたときからそれはもう決定づけられていたのかもしれない。困ったもンだ。
しかしいちおう自己弁護しておくと、俺は最初から最後まで相手への思いやりをすべての根本に置いており、そのうえで思うことをつづっているのであって、決して自分が日頃不満に思うことをただただぶちまけているのではない。
やべぇ、よけいに見苦しくなった。ハハハ。
……気を取り直しましてですね……。やらしていただくんでございます。
・感情移入
イメチャの時、感情移入をどうとらえているだろうか。
俺は自キャラに感情移入し、相手のキャラに感情移入するのが好きだ。相手に自キャラの行動を伝えるとき自分自身が感情移入していないと、ただ上っ面をなでて過ぎ去る台詞やト書きになってしまい、結局相手もそれを敏感に感じて「楽しくはあれど印象深くない」イメチャになってしまうと思うからだ。
臨場感や登場人物への感情移入は、進んでいくストーリーに現実味やたしかな肌触りを感じさせてくれる。ただの言葉遊びをやりたいというのでなければ、それらの感覚を得たいと思うのは自然だろう。
・一人称
自分、相手関係なく、そこにいるキャラに感情移入するためには主観表現をおこなうのが最もよい。一人称で話をする、一人称で説明する、キャラのみたもの、動いた感情をキャラの立場で説明するのだ。するとそのキャラ自身の感情や実際の行動が感じられることになって、これは感情移入を促進する。
セリフは主観的だが、ト書きになるととたんに視点が三人称視点になるレスが結構ある。情景描写が神の視点になってしまうわけだ。「どうやらかんに障ったらしく」などと、自分の心理状態まで客観的になってしまう人もいる。
これは残念ながら視点の混乱をまねき、さらに感情移入をも妨げる原因になるとおもう。なるべく改善したほうがいいと思うんだが、どうもそういうのが当たり前のようだ。なぜか。
レスのやりとりをチャットではなくインタラクティブ小説のように認識しているからではないだろうか。小説であれば本文は三人称として、セリフはその人物のものとして認識されるから、それのどこにも違和感は感じられない。
また、美麗描写過多、非常な長文という傾向を考えるとますますその想いは強くなる。長いのはよいことだという価値観は、会話ではなく文章を評価することと思えば納得できる。
・過去形を使用しない
チャットは現在進行形のおしゃべりであって、その一文全体が過去形に支配されることはない。経験・体験の告白など一文の中のある事象について過去形が用いられることはある。
「そういえばあのとき固まって落ちたんだったね。おしかったなぁ・・(と天井を振り仰ぎながらいい)」というセリフはまさに過去の実感をいま告白しているのである(ちなみにこうした場合もっともいいのは「言う」と完了しないのがより望ましい。チャットは常に進行しているため、完了にしないで相手の言葉で継がせるほうがより進行中であることが強調される)。
「そういえばあのとき固まって落ちたんだったね。おしかったなぁ・・(と天井を振り仰ぎながらいった)」というセリフは、過去のできごとに対する感情を述べおわった、完了した文となる。これは自分の感情を述べたことに対して、今の自分が振り返ってみていることから客観的な表現といえる。
つまり過去形をつかうと、自然に自分を外から観察することになるわけだ。これを使用せず、現在形で片づけるとまさに進行中の事象になり、臨場感が増す。
まだまだ方法論があるとは思うが、ひとまずこのあたりに注意すれば十分だと思う。
視点の問題を掘り下げていくと、イメチャにおいて感情移入を促す言葉づかいが見えてくる。相手を少しでも惹きつけるレスをするには、相手の感情をこちらに引き寄せることが大切だ。と同時に相手への感情移入を深め、一体感を増すと、より印象深い愉しいイメチャになるはずだ。
毎日イメチャに関しての苦言ばかりを書いていると、なにやら俺がとても柔軟性のない堅物、気むずかしい人間のように思われるだろうなぁ。イメチャに関するブログなんて始めたときからそれはもう決定づけられていたのかもしれない。困ったもンだ。
しかしいちおう自己弁護しておくと、俺は最初から最後まで相手への思いやりをすべての根本に置いており、そのうえで思うことをつづっているのであって、決して自分が日頃不満に思うことをただただぶちまけているのではない。
やべぇ、よけいに見苦しくなった。ハハハ。
……気を取り直しましてですね……。やらしていただくんでございます。
・感情移入
イメチャの時、感情移入をどうとらえているだろうか。
俺は自キャラに感情移入し、相手のキャラに感情移入するのが好きだ。相手に自キャラの行動を伝えるとき自分自身が感情移入していないと、ただ上っ面をなでて過ぎ去る台詞やト書きになってしまい、結局相手もそれを敏感に感じて「楽しくはあれど印象深くない」イメチャになってしまうと思うからだ。
臨場感や登場人物への感情移入は、進んでいくストーリーに現実味やたしかな肌触りを感じさせてくれる。ただの言葉遊びをやりたいというのでなければ、それらの感覚を得たいと思うのは自然だろう。
・一人称
自分、相手関係なく、そこにいるキャラに感情移入するためには主観表現をおこなうのが最もよい。一人称で話をする、一人称で説明する、キャラのみたもの、動いた感情をキャラの立場で説明するのだ。するとそのキャラ自身の感情や実際の行動が感じられることになって、これは感情移入を促進する。
セリフは主観的だが、ト書きになるととたんに視点が三人称視点になるレスが結構ある。情景描写が神の視点になってしまうわけだ。「どうやらかんに障ったらしく」などと、自分の心理状態まで客観的になってしまう人もいる。
これは残念ながら視点の混乱をまねき、さらに感情移入をも妨げる原因になるとおもう。なるべく改善したほうがいいと思うんだが、どうもそういうのが当たり前のようだ。なぜか。
レスのやりとりをチャットではなくインタラクティブ小説のように認識しているからではないだろうか。小説であれば本文は三人称として、セリフはその人物のものとして認識されるから、それのどこにも違和感は感じられない。
また、美麗描写過多、非常な長文という傾向を考えるとますますその想いは強くなる。長いのはよいことだという価値観は、会話ではなく文章を評価することと思えば納得できる。
・過去形を使用しない
チャットは現在進行形のおしゃべりであって、その一文全体が過去形に支配されることはない。経験・体験の告白など一文の中のある事象について過去形が用いられることはある。
「そういえばあのとき固まって落ちたんだったね。おしかったなぁ・・(と天井を振り仰ぎながらいい)」というセリフはまさに過去の実感をいま告白しているのである(ちなみにこうした場合もっともいいのは「言う」と完了しないのがより望ましい。チャットは常に進行しているため、完了にしないで相手の言葉で継がせるほうがより進行中であることが強調される)。
「そういえばあのとき固まって落ちたんだったね。おしかったなぁ・・(と天井を振り仰ぎながらいった)」というセリフは、過去のできごとに対する感情を述べおわった、完了した文となる。これは自分の感情を述べたことに対して、今の自分が振り返ってみていることから客観的な表現といえる。
つまり過去形をつかうと、自然に自分を外から観察することになるわけだ。これを使用せず、現在形で片づけるとまさに進行中の事象になり、臨場感が増す。
まだまだ方法論があるとは思うが、ひとまずこのあたりに注意すれば十分だと思う。
視点の問題を掘り下げていくと、イメチャにおいて感情移入を促す言葉づかいが見えてくる。相手を少しでも惹きつけるレスをするには、相手の感情をこちらに引き寄せることが大切だ。と同時に相手への感情移入を深め、一体感を増すと、より印象深い愉しいイメチャになるはずだ。