大河ドラマ『義経』。これがまたもう終わるんじゃねーかと思うくらいの勢いでもう石橋山の合戦ですわ。12月まで後8ヶ月もあるんだが、約4掛け8で32回もあるんだよなぁ。どうでもいいか。
石橋山の合戦というのがなかなかすばらしい。負けて安房に逃げる頼朝と南総里見八犬伝は繋がっているのだ。
安房に逃げた頼朝は側近の三人の家来に安房四郡一国を与える。安西氏、東條氏、麻呂氏だ。そのうち東條氏は二郡を領しその後が絶えて摂政神余氏にうつっているが、安房国にはこういう下地があって、「八犬士」というSFの部分をのぞいた現実部分の話は歴史に則っている。そのため、大河ドラマでやっていることは、時代が室町へと下り、八犬伝の世界へと突入するのだ。
梶原平三景時といえば、俺にはもはや『梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)』という歌舞伎しか思いつかん。ドラマでは「へいざ」と読まれていたが、歌舞伎では「へいぞう」である。もう筋は忘れてしまった。義経と対立するこの武将だが、『誉』という言葉が示すように、この歌舞伎はめでたい曲で、梶原平三はイイ奴である。『石切』なので石を切るんだが・・舞台のでっかい石がまっぷたつになるところしか覚えていなく、何でそれをやったのかが全く記憶に残ってない。
おもえばあれが今の歌舞伎嫌いを呼んでいるのかもなぁ・・世話狂言はわりと好きなんだが・・。
頼政、敦盛、巴、二人静、八島、俊成忠度などなど、この義経の舞台を題材にした謡曲はやたら多い。謡曲が書かれた時代からすると当然と思うが、この源平の合戦という奴は、兵どもが夢の跡という句を身に染みるほど思わせてくれる。あっという間だもんな、平家も源氏も。結局源氏は三代しか続かないし・・。
鎌倉右大臣、金槐集の作者源実朝サンは定家を歌の師匠として育った、鎌倉の磯における京風(どういう説明だ)のおもむきで、独特な歌風は今日でも大変根強い人気がある。下の歌は百人一首におさめられた歌。
よのなかはつねにもがもななぎさこぐあまのをぶねのつなでかなしも
……あのな、20代前半の人がこういう歌詠めるってどういう末世なんだ。この人は暗殺されてしまうが、そういうことを抜きにしても・・。
これを読むと将軍としてはやっぱり合わない人だと思うし、人間本来から見ればあまりに無常観に支配された人のように思えてくる。
それはさておき、平家が一時隆盛を誇った平安末期から源氏の嫡流が生き残った鎌倉時代中期までは、あまりに移ろいすぎまた空しい時代だったのだろう。謡曲もたくさん作られているのには十分な理由だとおもう。
ちなみに金槐集は鎌倉の鎌から偏をとり、槐は槐位で中国でいう大臣の位を表す樹木を意味し、よって実朝サンのことを表している。