松下啓一 自治・政策・まちづくり

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★地域政策担当研修会(相模大野)

2018-10-25 | 2.講演会・研修会
 

相模原市南区の地域政策担当の人たちとの研修会があった。

 相模原市は、指定都市なので3つの行政区に別れているが、そのもとに22の地区があって、南区の場合は7つの地区があり、それごとに行政センターがある。ここでは、住民票の発行などを行っているが、もうひとつ地域政策担当者が置かれ、もっぱら地区のまちづくりを行っている。

 その地域政策担当者の定例会で、協働の話と、日頃の悩みに答えるという会となった。

 地域政策担当が仕事をするにあたって、そもそもの部分が座りが悪い。本庁・区役所・行政センターの役割分担をどのように考えるかであるが、大きな方向は、地区に権限、資源を移譲していく傾向は間違いないが、方針が定まっていない点が苦しい。

 私が横浜市で、行政区のあり方を考えていた1980年代は、残っていた旧来の村を基本とした出張所を潰し、大区役所主義のもと、行政区を主体とする一元的なまちづくりをするのが、大きな方向性だった。そのために、抵抗を受けたが、区役所の独自性を活かすための独自予算をつけていった。

 相模原市の場合は、指定都市になる前から、大きな自治体だったので、適切なサービスをするために、旧村をベースとする地区を中心に行政センターを設置し、市民サービスやまちづくりを行ってきた。ある意味、自然な流れだったのだと思う。

 ところが、指定都市になって区役所ができると、区役所と行政センターの役割を整理する必要が出てくる。横浜市のような区役所中心で行くのか、あるいは地区を基本に、地域の自治経営を行っていくのかである。

 これは大区役所主義の内実が問われることでもある。区役所のあり方は、少区役所主義から大区役所主義に変わっていったが、私が、これを考えていた頃は、大阪や京都は、名古屋もそうだったかもしれないが、区役所は出張所の毛が生えた程度で、区長も本庁の局長よりは、等級が下だった。それが、大阪市のように、むしろ逆転させるまでに変わってきた。

 今日では、同じ大区役所主義でも、地区(相模原で言えば行政センター)に資源・権限を移譲していく方式を取ると、区役所そのものは、大きいので大区役所主義であるが、区役所本体は、持株会社のようになっていく。区役所ホールディングスである。

 区役所ホールディングとすると、今度は、区役所は、どういう権限を持つのか、それを考える必要がある。これまでとは全く違う発想なので、他の指定都市のコピペではすまなくなる。新総合計画審議会で、私が問題にしているのは、この点である。

 ただ、すくなくとも、このトレンドで見ると、22の地区が残っている相模原市は、知らないうちに時代のトップに躍り出たということでもある。地区の自治を潰し、区役所に一元化してきた横浜は、今になって、逆に、地区の自治を育て直すという作業になってしまう。これまでトップを走ってきたつもりであったら、気がついたら、時代遅れになってしまったということになる。

 区民会議で、くビジョンを作り、区のあり方を考えた際には、いずれ地区中心の行政運営になると考えて、「7つの風」(7つの地区がある)というキャッチフレーズにしたが、相模原市全体としては、知らないうちにトップに居るという優位性を活かして、ここは頑張るところだと思う。

 1時間ほど、協働の話をして、後半は地区政策担当者の悩みとなった。いずれも難しく、すっぱっとした答えは出ないが、日頃考えていること、区民会議での実践などをお話した。

 話しながら考えたのは、区民会議で8年かけて取り組んできたが、それでもまだまだである。時間がかかるということで、慌ててはいけないということである。しかし、この8年間で、確実に変わっている。軸をしっかり体得し、着実に取り組んでいくことが、大事なのだと思う。

 いくつかのヒントがあったと思うので、それを参考にしてもらって、元気で頑張ってもらいたい。また私も刺激を受けることができた。こういう機会を設定してくれた皆さんには感謝したい。
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