この制度の特徴は、個人住民税の特例部分がついていることである。なぜ、こんな優遇措置ができたのか。この制度は、善意の仕組みとしてつくられたためだろう。
ふるさと納税の構想は、 西川一誠・福井県知事による「故郷寄附金控除」 導入の提案が発端とされる(平成18年)。地方では、高校を卒業する18歳まで子どもを育てるが、その子どもは、大学進学や就職を期に都会に出ていく。地方には、就職先が限られているからで、その子どもは、都会で働くが、税金は、当然、都会で払い、地方には払わない。また、その子どもが、定年して退職した後、地方に戻ってくるが、今度は、老後の面倒を地方が見る。地方は、面倒を見る役回りであるが、そこまで子どもを育て、老後も面倒を見る地方に、その部分を回収する方法はないかと考えたということである。さすが、もと自治省の市民税課長さんらしい。
これは余談であるが、自治省の出身者が知事になると、県の職員からは、まるで「課長さん」みたいと言われる。実務にたけ細かいことが気になり、優秀なので、つい口を出してしまうのが原因である。私が力を入れてきたものに、条例の一部改正方式を改め文から、新旧対照表方式に変えることがあるが、これは鳥取県から始まった。当時に知事の片山さんが始めたもので、これは、課長レベルというよりも、係長レベルの話である(閑話休題)。
その子どもの立場から見ると、ふるさと納税の仕組みは、もっと鮮明である。都会で、一生懸命働くが、育ててくれた地方のことは、片時も忘れたことはない。日々の暮らしは厳しいが、何かの恩返しがしたい(寄付する経済的余裕はない)。自分の気持ちの何割かは、地方に住んでいるようなものである。この思いにこたえると、特例分が目いっぱいついて、事実上、二地域に納税したことと同じ扱いになる制度となる。
この制度をリードした、菅官房長官には、おそらく、こうした都会の仲間がいたのだろう。あるいは、自分の思いを代弁したのかもしれない。
菅さんは、秋田から高校を卒業して、横浜に出てくる。工場に努めながら、夜間大学に行き、そして、横浜市議会議員の秘書をやって頭角を現してくる。私は、秘書時代は、知らないが、横浜市議会議員になってから、質問取りに行ったし、質問をつくったこともある。寡黙であるが、いかにも秘書出身者らしい雰囲気を持った議員さんだったことを覚えている。
ともかく、地方から出てきた、こうした真面目な人たちの思いにこたえる制度として、この制度を発想したし、ご本人は税金逃れ、返礼品目当てなど、想像もしていなかったと思う。
日本の制度は、性善説からできていると言われるが、普通は、そんな甘くはない。例外や脱法を警戒し、さまざまなケースを想定して、制度がつくられる。
ふるさと納税は、制度設計が甘いと思うが、それは、この善意が前面に出され、リードする大臣が、人事権をちらつかせ、強く主張するなかで、あまりの善意性の仕組みゆえに、逆に「そんないい奴ばかりではない」と、言えなくなったのではないだろうか。「そんなに悪く考えるのは、卑しい奴だ」と言われたら、多くの人は弱い。特に、インテリは、弱いと思う。
嫌がられても、「こんな悪用があるかもしれない」といい続けるのが、官僚の役割であるが、それを言えなくなった、あるいは、言えないような政治状況になったというのが、この制度設計の甘さにつながったのだろう。
地方創生が、政権の命運をにぎるようになったことが、この制度を存続させることになる。そこで、税金によって下駄をはかせることで、地方の名産品等を売り出し、地域産業を活性化させる機能を果たしたのが、ふるさと納税である。だから、途中で、この制度がおかしな制度になったことに気がついても、もはややめることができない。それどころか、今一段の地方活性化のために、制度の拡大を図るということが行われた。
ふるさと納税は、税金で、実態の実力以上の地域活性化を後押しする仕組みなので、これを止めると、地方の産業や景気は一気にしぼんでしまう。だから、政治側は、簡単にやめると言い出すことができないだろう。
政策側がやることは、ソフトランディングで、本来の寄付にふさわしいものとしていくことだろう。認定NPOの寄付税制という水準があるので、まずは特例分の比率を下げていき、その分、自己負担(寄付)を出しようにして、これが寄付であることを打ち出していく行くことではないか。みんな善意でこの制度を使っているのだろう。その善意性の気持ちを表すものだと言えば、だれも、表立っては反対できないだろう。
その結果、この制度の利用者は減っていくだろう。ただ、いきなり減量は危険なので、時間をかけて身の丈に合った体重にしていこうというものである。
ふるさと納税の構想は、 西川一誠・福井県知事による「故郷寄附金控除」 導入の提案が発端とされる(平成18年)。地方では、高校を卒業する18歳まで子どもを育てるが、その子どもは、大学進学や就職を期に都会に出ていく。地方には、就職先が限られているからで、その子どもは、都会で働くが、税金は、当然、都会で払い、地方には払わない。また、その子どもが、定年して退職した後、地方に戻ってくるが、今度は、老後の面倒を地方が見る。地方は、面倒を見る役回りであるが、そこまで子どもを育て、老後も面倒を見る地方に、その部分を回収する方法はないかと考えたということである。さすが、もと自治省の市民税課長さんらしい。
これは余談であるが、自治省の出身者が知事になると、県の職員からは、まるで「課長さん」みたいと言われる。実務にたけ細かいことが気になり、優秀なので、つい口を出してしまうのが原因である。私が力を入れてきたものに、条例の一部改正方式を改め文から、新旧対照表方式に変えることがあるが、これは鳥取県から始まった。当時に知事の片山さんが始めたもので、これは、課長レベルというよりも、係長レベルの話である(閑話休題)。
その子どもの立場から見ると、ふるさと納税の仕組みは、もっと鮮明である。都会で、一生懸命働くが、育ててくれた地方のことは、片時も忘れたことはない。日々の暮らしは厳しいが、何かの恩返しがしたい(寄付する経済的余裕はない)。自分の気持ちの何割かは、地方に住んでいるようなものである。この思いにこたえると、特例分が目いっぱいついて、事実上、二地域に納税したことと同じ扱いになる制度となる。
この制度をリードした、菅官房長官には、おそらく、こうした都会の仲間がいたのだろう。あるいは、自分の思いを代弁したのかもしれない。
菅さんは、秋田から高校を卒業して、横浜に出てくる。工場に努めながら、夜間大学に行き、そして、横浜市議会議員の秘書をやって頭角を現してくる。私は、秘書時代は、知らないが、横浜市議会議員になってから、質問取りに行ったし、質問をつくったこともある。寡黙であるが、いかにも秘書出身者らしい雰囲気を持った議員さんだったことを覚えている。
ともかく、地方から出てきた、こうした真面目な人たちの思いにこたえる制度として、この制度を発想したし、ご本人は税金逃れ、返礼品目当てなど、想像もしていなかったと思う。
日本の制度は、性善説からできていると言われるが、普通は、そんな甘くはない。例外や脱法を警戒し、さまざまなケースを想定して、制度がつくられる。
ふるさと納税は、制度設計が甘いと思うが、それは、この善意が前面に出され、リードする大臣が、人事権をちらつかせ、強く主張するなかで、あまりの善意性の仕組みゆえに、逆に「そんないい奴ばかりではない」と、言えなくなったのではないだろうか。「そんなに悪く考えるのは、卑しい奴だ」と言われたら、多くの人は弱い。特に、インテリは、弱いと思う。
嫌がられても、「こんな悪用があるかもしれない」といい続けるのが、官僚の役割であるが、それを言えなくなった、あるいは、言えないような政治状況になったというのが、この制度設計の甘さにつながったのだろう。
地方創生が、政権の命運をにぎるようになったことが、この制度を存続させることになる。そこで、税金によって下駄をはかせることで、地方の名産品等を売り出し、地域産業を活性化させる機能を果たしたのが、ふるさと納税である。だから、途中で、この制度がおかしな制度になったことに気がついても、もはややめることができない。それどころか、今一段の地方活性化のために、制度の拡大を図るということが行われた。
ふるさと納税は、税金で、実態の実力以上の地域活性化を後押しする仕組みなので、これを止めると、地方の産業や景気は一気にしぼんでしまう。だから、政治側は、簡単にやめると言い出すことができないだろう。
政策側がやることは、ソフトランディングで、本来の寄付にふさわしいものとしていくことだろう。認定NPOの寄付税制という水準があるので、まずは特例分の比率を下げていき、その分、自己負担(寄付)を出しようにして、これが寄付であることを打ち出していく行くことではないか。みんな善意でこの制度を使っているのだろう。その善意性の気持ちを表すものだと言えば、だれも、表立っては反対できないだろう。
その結果、この制度の利用者は減っていくだろう。ただ、いきなり減量は危険なので、時間をかけて身の丈に合った体重にしていこうというものである。