松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆条例をひとつ作ると、誰かが死ぬ

2022-04-11 | はじめての条例づくり
 「条例をひとつつくると、誰かが死ぬ」というのは、条例制定関係者に密かに語り継がれている言伝えである。私の条例づくりは、2勝1敗1引き分けであるが、この格言によれば、少なくとも2回は死んだことになる。

 環境事業局計画課の課長補佐のときである。ここで、減量・リサイクルの条例をつくった。
 当時の横浜市は、課長補佐級の人事異動は6月中旬ぐらいだった。5月の議会で局長級の職員が助役(副市長)に上がって、それを順次、埋めていくというシステムなので、課長補佐級は、6月中旬くらいになった。

 辞令が出て、6月中旬、環境事業局に移り、仕事は何かと聞くと、ごみ減量・リサイクルの条例をつくるという。横浜市は、それまで、ある意味で、ごみの先進都市で、ごみをどんどん集めてバンバン燃やすということをやっていた。千トンクラスの焼却工場だけでも6つあった。そのごみ行政を大きく方向転換する条例である。
 
 その減量・リサイクル条例であるが、実は、議会で、「9月の議会に出す」と答弁しているという。もう6月である。「条例はできているんですか」と聞いたら、「まだ何もやっていない」という。「松下君の来るのを待っていた」。

 条例を9月の議会に出すということは、その後の議案書の印刷、発送を考えると、原案は7月いっぱいにできていないと間に合わない。あと1か月半くらいしかない。

 なぜ、これまで条例ができていなかったのか。それは私の前任者が能力がなかったからではない。できない訳があった。

 当時の環境事業局は、現業職場ということもあって、独立性の強い職場であった。人事異動の少ない職場で、つまり、優秀な職員は、一度、入ると、囲い込まれ、プロパー職員として育てられることになる。前任者は優秀だったので、ごみ行政一本でやってきた。

 その彼が、減量・リサイクル条例をつくると、周りの仲間から言われることになる。横浜市は、ごみの収集員は直営で2,500人もいたし、6つある焼却工場には多くの職員が働いている。その彼らから、「ごみの減量・リサイクルによって、オレたちの仕事を減らすのか」。有形・無形の圧力を受けることになる。

 そこで、しがらみのない人が送られ、減量・リサイクルの条例をつくることになる(私は、それまで、ごみ問題やリサイクル問題には興味もなかった。そして実際、条例をつくって、私は2年で、次の都市計画局の企画調査課に異動になった)。

 ともかく、1か月半で、条例をつくらなければいけない。当時は、参考にすべき先行条例もほとんどない。実務の継続も重要で、これまでのごみ行政に、減量・リサイクルをうまく接ぎ木しなければいけない。
 限られた時間のなかで、市長の合意を取り、内部関係課との合意を取り付け、利害関係者(事業者や市民)とのぎりぎりの調整を行い、法規係との細かい調整を行うことになる。

 とりわけ最終案ができあがるまでの1ヶ月間は、だいたい1日20時間は考え、だれかと折衝していることになるから、条例が頭から離れることはない。寝ても夢の中で考えて、夢の相手に折衝しているから、目が覚めても、それは夢だったのか、現実だったのか区別がつかなくなってしまう。

 この状態が約1ヶ月続き、もし、あと1週間続いたら、壊れてしまうなという恐怖が襲うころ、条例づくりの仕事は終わることになる。

 なお、この減量・リサイクルとの出会いが、協働というパラダイムとの出会いであった。その後の、私の人生を大きく変えることになる。
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