「願興寺」悠久の1200年

最澄縁の願興寺ブログ。2015年には開基1200年祭を予定。本堂、24体の仏像が国指定の重要文化財。

文化財というもの

2010-06-30 13:52:44 | 願興寺
今日、願興寺公式サイトの釈迦如来三像の写真には、光背が写ってないが、youtubeの動画には光背があるのは何故かという質問を受けた。私自身それには疑問を持ちながらも解決できないでいた。そこで質問があったので、今までの疑問の解消のためにも町の学芸員に聞いてみた。

確かに光背があった方が立派に見えるし、あるのが当然とも思う。願興寺の釈迦如来は特に至宝ともいうべきもので、各種の雑誌や書籍に取り上げられることも多い。過去には各地の博物館に展示されたこともあった。

光背は傷んだときには、修理することもある。そうなると製作時とは違うものになってしまうこともあろう。そんな関係で、博物館に展示される場合は、確実に文化財と呼べる部分だけを展示する場合があるという。

公式サイトの写真は、御嵩町が発行した「図録御嵩町の文化遺産」という書籍の写真を生涯学習課の許可を得て、掲載したものであり、この写真は展示されるときに光背を外した状態で撮ったものではなかろうか。というのが見解である。何ともいい加減な私たちにはそうなんですかとしか、言いようがない。

願興寺公式サイト

願興寺釈迦三像動画

武田信玄軍の兵火に焼かれた願興寺

2010-06-30 09:15:02 | 願興寺
元亀3(1572)年、武田信玄配下の秋山伯耆守の軍の兵火によって、焼失してしまった。このときには、近隣の禅寺愚渓寺の僧侶たちの献身的ともいえる救済によって、仏像群、大般若経600巻は焼失を免れた。

信玄はもともと仏教に帰依しており、東美濃を代表する願興寺を焼失させてしまったことに対して、深い落胆を感じていたのであろう。信玄は願興寺境内内で、民衆に対して願興寺再興を約束し、秋山伯耆守を厳しく叱責し、降格としたとされている。残念ながら、信玄は翌元亀4(1573)年に没しており、信玄による願興寺再興は果たせなかった。

それによって、近隣の玉置与次郎を中心に民衆、寺社等々が結束して願興寺の再興を果たしたわけであるが、信玄の再興が望ましかったという人もあるかもしれないが、民衆の総力の結集といえる現存の堂宇に今以上の自信を深めたい。願興寺の歴史については、願興寺公式サイト内の願興寺縁起にて…

願興寺公式サイト

願興寺のある御嵩町というところ

2010-06-29 22:27:25 | 願興寺
御嵩町は依然大きな話題になった町です。どちらも関連する事件でしたが、産廃処分場問題で最初に住民投票を行い、産廃NOを突きつけました。それと相前後して、町長襲撃事件が起きました。そんなことで随分田舎なんだろうな…というイメージが出来上がったと思われます。実際は名古屋から1時間程度の交通の面でも比較的、便利な場所にあります。

そんなところにある願興寺で、これだけの仏像を主体とする文化財を有する寺院ですから、もっと、もっと注目を集めてもいいのではないかというのが、私たちの想いです。

そこで、御嵩町にある願興寺への道すじをご紹介したいと思います。時間的なことからお話しますと、中部国際空港から電車で2時間とかかりません。車なら1時間です。名古屋からなら車で1時間、電車で1時間強。車でお越しなら東海環状道の可児御嵩ICから5分に位置します。願興寺公式サイトではアクセスマップも用意しておりますので、ご参考の上、埋もれさせるにはもったいない文化財群を皆さまのお目でお確かめいただきたいと、切に感じる次第です。

願興寺公式サイト

おまちしていまあす~よ~

願興寺の紋章

2010-06-29 13:55:05 | 願興寺
願興寺の紋章は願興寺公式サイトにも掲載しているように、天皇家と同じ菊の紋と蟹牡丹の紋の2つを使用している。

菊の紋章は、元々は天台宗の紋章で伝教大師(最澄上人)が桓武天皇(天皇家)に献上したとされている。そのために天台宗の主立った寺院での使用が認められている。

蟹牡丹の紋章は、願興寺独自のものである。平安期に一条天皇の皇女とされる行智尼なる尼僧が、願興寺の薬師如来に帰依し、朝夕に仏道修行に励んでおられたところ、西方の尼が池で天変地異が起こり、人々が恐れおののいていたのを、行智尼が祈りの力で鎮められた。このとき、池の中より数千、数万の沢蟹に背負われて1寸8分の小尊像が顕現した。このことが紋章に蟹を使用した由来であろう。

また、その行智尼なる人物の出仕(母方であろう)が藤原氏の九条家であったため、牡丹寺と称せられるようになったという。この後、小尊像は本尊仏「薬師如来座像」の胎内に安置されている。

また、わが子が民衆の安寧に努めていることを知った一条天皇は、この地に七堂伽藍の寺院建設を命じ、山名を大寺山、寺名を願興寺とされたのである。

願興寺公式サイト

twitterもご覧ください

梅雨の時期の過ごし方

2010-06-27 08:27:56 | 願興寺
今日も雨模様の一日になりそうですが、願興寺の境内の木々の緑は雨の雫で輝いています。こんな日には、しっとりとした古寺を散策するのも良いのではないでしょうか。暗い曇天の中で、一筋の光を射して下さるような仏様の微笑が、皆さまに希望の灯火を与えてくださると思います。

願興寺所蔵の釈迦如来三像の動画をお届けします。ごゆっくり、ご鑑賞いただけたらとお願い申し上げます。

釈迦如来三像

願興寺公式サイトもよろしく

日本のお寺に登録

2010-06-26 10:43:51 | 願興寺
昨日、Twitterにてお誘いがあり、日本のお寺というサイトに登録させていただいた。こういう登録サイトができると日本のお寺同士の交流も盛んになるであろう。お寺の中にもホームページを公開しているようなお寺も少ないし、世界中から閲覧できるホームページ等も活用して、日本の文化を発信してほしいと思う。そうした意味で、こうした取り組みを応援していきたいと思う。

日本のお寺(願興寺)

願興寺公式サイト

2つのマリア像

2010-06-25 19:31:03 | 御嵩町
同じ名前の記事を以前に投稿した記憶があります。そのときに記載しなかったことをお知らせしたいと思います。この2つのマリアと呼べる像は、地元の佐賀石材という石屋さんの作です。この人の作品は神がかり的なところがあるようです。

マリヤ像の方は注文を受けてから、在庫の石材で作成しようとしていても、どうもしっくりいかないと悩んでいたそうです。ところが、関が原の方の知り合いの石材業の方を訪ねると、偶然にユーゴスラビアから届いた石があったそうで、その石を刻んだところ見事なマリヤ像が完成したそうです。また、この石で刻み始めるとノミが勝手に動いたといわれていました。

片や、願興寺の慈母観音は長年、雨ざらしになっているが、他の場所は苔むしてくるのに、慈母観音のお顔や抱いている御子にはまったく苔むさないという。これもしっかりと精進した人は、神がかりになるのであろうかと思われる。

願興寺公式サイト


精進料理と住職のコラム

2010-06-23 05:29:05 | 願興寺
願興寺のHPでは、住職の部屋というコーナーを設けています。これは住職の宗教的な考え方や、管理栄養士の資格も有している小川文甫住職の紹介する「誰でも、何時でも作れる精進料理」を紹介したものです。日頃、宗教に縁の薄い方々にも、仏教の目指しているものを少しでもご理解いただければとの思いで、紹介させていただいています。日常の生活の中に取り入れていただけたら、と思っております。一度ご閲覧ください。