「願興寺」悠久の1200年

最澄縁の願興寺ブログ。2015年には開基1200年祭を予定。本堂、24体の仏像が国指定の重要文化財。

中山道御嶽宿

2009-01-24 10:15:53 | 御嵩町
願興寺は、中山道御嶽宿の一角に存在する。徳川家康が慶長7年(1602)に朱印状を以来、本陣となる野呂家に朱印状を与えている。つまり、中山道発足と同時に誕生したという御嶽宿は、中山道の宿場では最初にできた宿場の一つということになる。

安藤広重の木曽街道六九次の御嶽宿は、瑞浪市の細久手宿から御嶽宿に向う途中の謡坂(うとうざか)近辺であり、今もその様子をうかがえる場所がある。名鉄の御嵩駅から徒歩で1時間半程度であろうか。

願興寺公式サイト

薬師如来世界図

2009-01-23 10:23:27 | 願興寺
あまねく衆生を救済する利益深い薬師如来には、月光・日光両菩薩をはじめ、四方を警護する四天王、12の方向と時刻を警護する十二神将等で形成する「薬師如来世界図」がある。その世界図は中山道みたけ館に展示してある。こうした世界図を形成する仏像群が、全て欠けることなく現存していることに願興寺の魅力がある。

詳しくは願興寺の所蔵仏像でご覧ください。

旅人 A

2009-01-22 22:09:05 | 願興寺
 此の頃何かと昔からの物に興味がわく、年の初めでもあり自分の守り本尊は何かとフト思って調べてみた、大日如来様だそうだ、十二神将もあった、十二神将てなんだろうか、興味がわいた、それは何処にあるのだろうか、調べてみた。
 近くにあった、それも十二体そろっている、国の重要文化財だ、是非見てみたいと思い、先日、可児郡御嵩町にある願興寺を訪ねてみた、素晴らしい物だ、感動した。これからも時々訪ねてみたいと思う、仏と対面していると、暖かい物に包まれて落ち着く。

律令制度と東山道

2009-01-21 18:17:11 | 願興寺
大化の改新後、大宝律令が制定されることにより、日本にも律令制度が導入された。それにより諸街道も整備されることになった。日本の中央部を横切っていたのが、東山道である。

律令制度の下で整備された東山道は、税である物資の輸送や兵役に携わるものたちの通り道であったそうである。税を納めるには民衆が直接、都に物資を運ぶことが要求され、行きは国司の役人が付き添ったそうであるが、帰りは自前であったという。

税を収めた帰りや兵役の往復での旅は、現代では想像のできぬ難行であり、怒りの旅路と表現されている。願興寺の歴史の中で、必ず語られる伝教大師(最澄)の建立した布施屋は、当時の難行を少しでも和らげるために、建てられたものであろうと推察されている。詳しくは願興寺公式サイトにて

木曽名所図絵巻の二

2009-01-20 11:20:35 | 願興寺
文化二年(1805)刊の木曽路名所図絵巻之二には、かなり詳しく願興寺の記載がある。嵯峨天皇の弘仁六(815)年に伝教大師が尊像を彫刻されたこと、一条天皇の皇女が行智尼と名乗り、この尊像に帰入されていたこと等である。

特に最後に「此霊尊わ 東山道第一なれば往かふ人は馬を止め竹興(かご)を出て精舎に入て拝すべしぞ」とある。この薬師如来は、江戸時代から旅行く人々によく知られた尊像だったという証であろう。画像は天台宗の概要で使用しているものです。  

鬼岩の鬼伝説

2009-01-18 11:23:16 | 御嵩町
御嵩町の東のはずれ、瑞浪市との境に鬼岩公園という奇岩・怪石の景勝地がある。この鬼岩には、丹波の酒呑童子のような極悪非道な「関の太郎」という鬼伝説が伝えられています。捕らえてきた人を料理したとされる「まな板岩」や「包丁岩」と名づけられた岩もあります。関の太郎と願興寺との関わりについては、願興寺公式サイトのメニューの鬼伝説から入れますので、ご一読ください。

この鬼岩公園は、奇岩怪石を縫うように整備された遊歩道があり、ファミリーにもカップルに楽しめる穴場的な存在です。宿泊には和泉式部が湯治をしたとされる鬼岩温泉もあり、近くには飲食街もあり1日を過ごすのに最適なところです。2月の節分では鬼岩温泉ならではの「福鬼祭り」繰り広げられます。今年の福鬼祭りは2月1日となっています。

大寺記

2009-01-17 11:17:13 | 願興寺
願興寺の歴史を紐解く場合、その多くは享保15(1730)年「中興第6世珍算」の編纂した「大寺記」をもとにしていることが多い。2度の兵火による焼失を喫している願興寺では、残る史料もわずかであった。それに旧家に残る史料や、多くの古老を尋ねて言い伝えなどを聞き出して、編輯(へんしゅう)したものである。

第6世珍算は、願興寺略記によると「兼山村産奥村氏」とあり、年30にして大寺記を草しと記し、同書によると享保十(1725)年に珍算6世となる。(25歳)現在では窺い知れぬ貴重な史料として、御嵩町史に読下し文が記載されている。

願興寺公式サイトも多くを大寺記を参考に編集させてもらっている。疑問に思われるところなどあれば、御嵩町生涯学習課(0574-67-2111)まで、ご連絡いただきたい。


願興寺での祈願、祈祷、供養

2009-01-16 11:03:50 | 願興寺
以前に願興寺の守り本尊について紹介させていただいた。願興寺では、祈願、祈祷、供養を行っている。願興寺の本尊仏は「薬師如来」であり、薬師如来は衆生の疾病を治癒し、寿命を延べ、災禍の消去、衣服の満足をせしめるとある。つまり、衆生の病苦を救い、無明の病の法薬を与える医薬の仏とされる。

願興寺公式サイトでは、厄年祈祷、合格祈願を紹介させていただいている。薬師如来は民衆救済の仏であるので、願興寺での祈願、祈祷、供養では、多方面でのご利益が約束されている。合わせてご自身の守り本尊に参拝されるのは如何でしょうか。

願興寺の原形

2009-01-15 17:34:42 | 願興寺
願興寺は815年に最澄により、布施屋が建立されてたのが起源とされていた。その後に敷地からそれ以前の軒丸瓦が掘り出されて、それを溯ること約100年とされている。残念ながら、今はその概要もつかめないが、近くの中山道みたけ館には、その創造図が飾られている。それが今回取り上げた写真である。

願興寺公式サイト

守り本尊

2009-01-14 15:28:05 | 願興寺
願興寺には、普賢菩薩が所蔵されている。普賢菩薩は三碧木星の九星守り本尊である。東海地区には普賢菩薩を所蔵している寺院が少なく、願興寺には普賢菩薩を参拝するために訪れる人も多いという。

願興寺には、五黄土星の大日如来、八白土星の虚空蔵菩薩を除く7体が所蔵されている。また、十二神将は十二支にあたる全12体所蔵し、十二支の守り本尊も卯年の文殊菩薩、辰巳の普賢菩薩、酉の不動明王(多聞天)、戌亥の阿弥陀如来が所蔵されている。

守り本尊に願をかけることで、ご利益が生ずるとされています。皆さまに該当する守り本尊に参拝されることをお勧めしたい。願興寺では守り本尊のPDFを作成し、公開しております。

守り本尊については願興寺公式サイトからお入りください。