「願興寺」悠久の1200年

最澄縁の願興寺ブログ。2015年には開基1200年祭を予定。本堂、24体の仏像が国指定の重要文化財。

僧と比丘

2010-08-01 15:57:40 | 願興寺
願興寺が一条天皇の勅願寺として、成り立つのに大きな貢献をした「行智尼(ぎょうちに)」を、住職は「行智比丘尼さま」或いは「比丘尼さま」と呼んでおられる。実は僧というのは、お坊さんをさす言葉ではなく、組織的なお坊さんの集団というのがもともとの意味で、お坊さんをさす言葉としては「比丘」というのが、正式だったそうです。ですから、行智比丘尼というのは、行智という名の尼僧という意味なのです。

では、日本にお坊さん(比丘)というものが、何時ごろ出現したのかとなります。仏教伝来は諸説あるものの、538年或いは552年といわれています。そのときに今でいうお坊さん(比丘)が誕生したのではないのです。仏教は伝来したものの、正式のお坊さんは日本にはいなかったんですね。仏教の規定では、正式のお坊さんになるには、3人の先生と7人の証人が必要とされていました。つまり、3人の先生と7人の証人の前で、受戒しなければならなかったのです。これを「三師七証」といったそうです。日本に唐から1人や2人のお坊さんが来たとしても、10人ものお坊さんが揃わず「三師七証」はかなわなかったのです。

日本に比丘が誕生するには、日本史には必ず出てくる「鑑真和上」が、その弟子とともに渡日してくるまで待たなければならなかったのです。ですから、この鑑真和上が苦難の末の渡航が実現して、始めて日本に正式のお坊さん(比丘)が誕生するようになったのです。それは天台宗の宗祖「最澄上人」が、誕生するたった12年前のことでした。

願興寺公式サイト


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