「願興寺」悠久の1200年

最澄縁の願興寺ブログ。2015年には開基1200年祭を予定。本堂、24体の仏像が国指定の重要文化財。

平安時代に生まれた2人の天才

2010-07-29 20:19:28 | 最澄
平安時代には、日本文化に貢献した人物は多い。学問文学部門では菅原道真、在原業平、紫式部、清少納言等枚挙不可能なほどである。この人たちの日本文化に貢献した業績は、私たち凡人が語るべくもない。また、日本の精神文化に貢献した最澄、空海もこれらの人々との列席を決して拒まれるものではない。

さて、この最澄と空海の名は、それぞれの特徴を如実に現しているといえよう。最澄の方は「最も澄んだ」と読める。また、空海の方は「空と海」。これは空海のスケールの大きさといえるであろう。表題に2人の天才と記したが、2人とも稀代稀なる天才であるが、空海が生まれながらの天才であったのに対し、最澄は日々の鍛錬によって天才に上りつめたのではないだろうか。

後の鎌倉時代に「法然」を筆頭に数知れない鎌倉新仏教の祖が誕生し、それが今もなお、私たちの精神に息づいている。この鎌倉新仏教の宗祖たちは最澄を開祖とする「比叡山」で修行しているから、最澄の門下ともいえる。最澄は自分の修行の道程の結果として、人の学ぶべき道を学問の体系として残し得た。これが、多くの仏教僧を比叡山に招き得たことであろう。一方、空海は讃岐の国で、誰が数年はかかるであろうと考えた潅漑工事を1ヶ月で完結したという天才であった。

この2人は、どちらが優れているなどという比較対照できるような人物ではない。最澄を由来とする比叡山で学び、修行した人物たちが鎌倉新仏教を創始した。「これは、最澄が比叡山を創始したのが起源である」という人がいる。確かにそうともいえそうだが、そうだと軽々に判断してはいけない。学問の素地(素地などという容易いものでは決してなかったろう)は確かに比叡山で培ったであろう。比叡山での学業を達成し得た人物のうち、空海の天才的思考ゆえに顕現できた理論を理解した人物が、2人の仏教哲学を取り入れることのできたのではなかろうか。

願興寺公式サイト

最新の画像もっと見る

コメントを投稿