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永田紅『春の顕微鏡』(2018年/青磁社)
君に会うずっと以前につくりたる歌ゆえ雀斑などもありそう
「君」を知らなかったころにつくった歌は、確かに自分の歌でありながらどこか他人の歌でもあるような、不思議な遠さにある。自分の(記憶にはない)幼年時代の写真を見ているときの、あのくすぐったさのような。その歌には「雀斑などもありそう」だ、という発想がとても可愛い。可愛すぎて椅子から落ちそうになった。陽に灼けた子どもの顔に散らばる、無邪気に明るいそばかす。「きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり」(永田和宏『メビウスの地平』)を連想したりもするが、「雀斑」の歌のほうが、「などもありそう」という言い方にすこし客観的な観察の雰囲気があって、決してロマンティックではない。その醒めた感じがまたよい。「君」を知り、この世の深い陰翳を知った今の地点から、はるか以前の、そばかすの散った自分の歌を、それはそれとして愛おしむ。
*印をつけた歌
風吹けば擁壁をおおういちめんの蔦の葉のごと君へ寄りゆく
相聞歌めんどくさしと思うころあざやかに見ゆ対岸の木々
午後は白く無数にあったはずなのにまだ君と墓地を歩いたことがない
ひらがなに心が還りゆくような日々を重ねて泣きやすくなる
どんな人と聞かれて春になりゆくを 春は顕微鏡が明るい
空間をかき混ぜないで 薄まって感じられなくなってしまうよ
これからを見てもらえざるさみしさは我をぼやぼやの藻にしてしまう
空色はやさし 遺影を遠からずなんて若いと思う日がくる
釣り糸を垂れて涙を待つような秋の日があり冬の日となる
妊娠を嘘でも母に告げようかと思いしことありダリアの夏に
鈍感なふりして守る心かな中洲の菜の花そろそろ終わり
*「しっぽ」の歌
悲しいことがあれば木の下 縞々のしっぽの先で涙を拭う
ゆたかなるしっぽ思いて歩みおり不機嫌な人になりたくはなし
私からしっぽを取ればわたくしが消えてしまいそう頼りなのです
*「布団」の歌
布団そのものが眠りているような完全な冬われは好きなり
布団が好き布団のような人が好きひろく添いつつやわらかく待つ
一人のときは、ふさふさの豊かな「しっぽ」こそが「布団」のかわりになる。
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