きんいろなみだ

大森静佳

季節のエッセー13「京都の即身仏」

2019年08月10日 | その他
京都の即身仏        大森静佳


ここのところ、私の枕元には『ミイラ事典』という本が置いてある。寝る前にぱらぱらとめくりながら、ミイラとなって写真に映っている何百年も何千年も前に死んだひとびとのことを考えていると、心が焚き火のように遠くなってゆく気がする。
 
ミイラといえば古代エジプトのものが一番有名だが、アンデスのミイラ、北極のミイラ、シチリア島の修道僧たちのミイラ、革命家レーニンのミイラ……実はミイラは世界中にある。残されたミイラから、「死」や「肉体」に対する人間の考え方や執念、そして信仰のありようが見えてくるのがとても面白い。
 
日本には即身仏というものがあるが、数年前、山形の湯殿山注連寺を訪れて、およそ二百年前に入滅した鉄門海上人の即身仏を見たことがある。何年も木の実と草だけを食べて身体から脂肪や水分を抜いた後、生きたまま土中に入ってミイラとなる。民衆の救済のためとはいえ大変な苦行であり、成功例は少ないらしい。深い雪の気配を感じる本堂の片隅で、鉄門海上人の干からびた赤茶色の首や腕は静かに光っていた。ミイラは漢字で書くと「木乃伊」。この字面そのものが何だか不気味な感じがするのだが、鉄門海上人の即身仏も、まるで乾いた木の皮のようだった。
 
日本に現存する即身仏は、山形の庄内地方を中心に十数体。そのうちの一つ、日本最南端の即身仏が京都市左京区の大原にもあると知って、さっそく見に行ってみた。
 
大原からさらにバスで北へ入った古知谷の、阿弥陀寺という寺にその即身仏(弾誓上人)は眠っている。眠っているとはいっても、その姿を実際に見ることは叶わない。理由はわからないが(保存状態があまり良くないためとも言われている)明治以降、一度も公開されていないのだ。岩窟の中央にどっしりと置かれた石棺の扉には錆びた南京錠がかかっていて、触れてもびくともしない。
 
岩窟も石棺も、想像していたよりずっと重厚で巨大だった。ときどき、岩から水滴が沁みだして、地面に水たまりをつくっている。もう季節は初夏だというのに、岩窟の内部はしんと冷えきっていた。姿を見ることができた鉄門海上人よりも、むしろこの目で見てはいない阿弥陀寺の即身仏のほうに、なぜか心の親しみを覚えながら、私は冷たく錆びた石棺の扉に、しばらく手を当てていた。


「京都新聞」朝刊2019年5月20日

コメントを投稿