図書館、行く?

本の紹介~西行祭・鴫立庵

第64回大磯西行祭 式典、俳句大会・短歌大会は

式典は関係者のみで行われるそうですが

俳句大会・短歌大会は中止。

入選作品は、大磯町のウェブサイトで公開されています。

 

西行祭は、西行を偲び、俳諧道の振興を目的として

毎年、大磯 鴫立庵で開催されています。

鴫立庵は、江戸時代から続く歴史のある俳諧道場です。

西行祭や鴫立庵について

[ ]内の数字は、最後に掲出している出典の番号です。

 

西行祭[10]

1961(昭和36)年3月26日(日)に初めて「西行祭」と改称して執り行い

毎年3月の最終日曜日に開催することとなった。

それまでは「西行忌」として行ってきたが、1954(昭和29)年3月14日が初会。

 

鴫立庵

鴫立庵の始まりは、江戸時代、寛文の初め頃(1660年ごろ)

小田原の外郎家の崇雪が結んだといわれています[12]。

2018年10月13日放送 NHK総合の「ブラタモリ」(#115 湘南)で「鴫立沢標石」が紹介されました。

崇雪の名が刻まれているため、崇雪がここに庵を結んだ時に建てられた碑だといわれています。

そしてこの石碑に刻まれている句から、ここを湘南発祥の地とする説があります。

現在、この石碑は大磯町郷土資料館に展示、鴫立庵にはレプリカがあります。

崇雪の結んだ庵を俳諧道場として整備し、西行の歌「こころなき 身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮」ゆかりの地として広めたのが

初代庵主 大淀三千風でした[5]。

 

 

鴫立庵歴代庵主 ( )は在庵期間*諸説あり[5][2]  リンクは当ブログ内の別ページにしています
1. 大淀三千風(1695-1707)
2. 朱人(不詳-1733)
3. 白井鳥酔(1766-1769)
4. 杉坂百明(不詳-1784)
5. 加舎白雄(1786-1791)
6. 西奴(1791-1793)
7. 三浦柴居(1793-1794)
8. 倉田葛三(1797-1818)
9. 遠藤雉啄(1818-1844)
10. 島田立宇(1844-1866)
11. 大沢寿道(1872-1883)
12. 菅喜田松頂(1883-1889)
13. 間宮宇山(1889-1902)
14. 二宮松汀(1902-1925)
15. 原昔人(1926-1929)
16. 高瀬蘇迷(1929-1935)
17. 神林時処人(1935-1943)
18. 鈴木芳如(1943-1962)
19. 山路閑古(1962-1977)
20. 村山古郷(1977-1986)
21. 草間時彦(1987.4-2002)
22. 鍵和田秞子(2002.4-2019.7)
23. 本井英(2019.8-)[11]

 

建造物

鴫立庵室(東往舎)
歴代庵主の住まいとして使われてきた建物で、現在の建物は、1987年に復元改修されたものである。
1965(元禄8年)大淀三千風が再興し入庵。現在は受付となっている土間の奥に6畳の次の間、更に6畳の座敷があり、一番奥が俳諧道場となっている[3]。
2007(平成19)年20年ぶりに鴫立庵の茅葺屋根葺き替え工事が行われる[9]。


俳諧道場(秋暮亭)
3世庵主鳥酔が庵を1766(明和3)年再興した時に増築されたが、現在の建物は1987年に復元改修されたものである。10畳の和室に「俳諧道場」の扁額がかけられている[2]。
俳句その他集会に利用されている。


円位堂(西行堂)
1967(元禄10)年、大淀三千風が西行500年忌を記念してこれを建立、西行法師の等身大の座像を安置した[7]。
屋根は茅葺で、当時の建物がそのまま現在に至る[2]。
1690(元禄3)年という記録もある[1]。

法虎堂
1701(元禄14)年大淀三千風が建立した。ここに祀っているのは、三千風作の謡曲をきっかけに、江戸吉原の楼主が遊女たちを弔うため遊女たちから浄財を募り、虎御前が19歳で出家したときの姿を木像にして寄進したものである[7]。
「虎子堂」という表記もある[8]。

福徳観音堂
1935(昭和10)年、17世庵主神林時処人が入庵の際に、高木兼寛が増上寺に納めた観音像をもらい受け、鴫立庵境内に観音堂を建てて祀った[1]

茶屋
鴫立庵復元の時に新しく建立したもの[2]
「茶室」の表記もあり[5][6]。

句碑
鴫立庵には、崇雪が庵を結んだころに造られた碑や歴代庵主の句碑など82基の石造物がある[2]。

日本三大俳諧道場

『大磯町史』第7巻によれば、鴫立庵は、昭和の初めごろから、京都の落柿舎[13]、滋賀の無名庵[14]と並び、日本三大俳諧道場の1つとされてきた。

『鴫立庵』(鈴木よ志(芳女)/編 鴫立庵 1949年)には、滋賀の芭蕉庵、嵯峨の幻住庵ともに「日本三庵」という記述あり。

大磯町広報の1957(昭和32)年4月号中に「日本三庵の一つとして高く評価されている」という記述あり。

第20世庵主村山古郷は「鴫立庵夜話」(雑誌「曲水」曲水社 1979年1月)の中で

「鴫立庵は京都の落柿舎、近江の義仲寺無明庵と並んで俳諧三庵の一つに数えられる由緒ある庵」と書いている。

大磯町議会だよりの1980(昭和55)年7月15日号 尾崎仁三郎氏の一般質問内で

「わが鴫立庵は、西の義仲寺、落柿舎にも比肩するものとして日本三大俳諧道場といっても過言ではない」とある。

新聞記事で確認できたものは

1981(昭和56)年12月26日朝日新聞16面 「京都・嵯峨の落柿舎、滋賀・粟津の義仲寺内無名庵と並ぶ日本三庵の1つ」

1984(昭和59)年8月31日神奈川新聞 湘南にし16面 「同庵とともに三大俳諧道場と呼ばれる落柿舎(京都市)、無名庵(大津市)」

 

他の地域でも言われていることなのかはわかりませんでした。

 


出典
1『福徳観世音菩薩と鴫立庵』(鴫立庵 1935年)

2『鴫立庵』改訂版(大磯町観光協会 2007年)

3『伝統建具の種類と製作技法』I(大工道具研究会/編 誠文堂新光社 2012年)

4『俳豪鳥酔』(天野雨山/著 蕉風社 1932年)

5『鴫立庵』(大磯町郷土資料館 2019年)

6「建具報」通巻449号 p12-15 (全国建具組合連合会 1987年)

7『大淀三千風研究』(岡本勝/著 1972年)

8『大磯名所案内』(三宅藤兵衛/著 三宅書房 1891年)

9「大磯の統計」平成30年版

10『大磯町史』7巻 通史編 近現代(大磯町 2008年)

11「タウンニュース 大磯・二宮・中井版」2019年9月20日号

12『「ういろう」にみる小田原』(深野彰/著 新評論 2016年)

13『落柿舎のしるべ』(安田与重郎/著 落柿舎保存会 1970年)

14『俳諧の奉行向井去来』(大内初夫・若木太一/著 新典社 1986年)

 

 

Web情報

鴫立庵ホームページ

大磯町観光情報サイトイソタビ

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