27 何故真剣になれないか
朝五時半には眼が開く。南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛、今日も此の身体を
使わして頂きますと、身体をさすりながら、此の煩悩の器が無かったら
佛智満入はすまいものを、
法の為尽さざらまし吾からだ
弥陀より借りし御恩報謝に
さあさあ起きましょう。六時には沢山お参り下さるから、
私が勤行にいなければ心配なさるだろう。
何の苦もない、不平もない、私の身体の動く姿が其侭来いの六字に
動かされているのである。
浮か浮かキョロキョロ暮して居るが、いざの時は全身全霊悉く法悦に感泣しつつ
語らずには居られない。或青年が批評するのは悪い事ですが、
貴兄のは頂けよ頂けよでなくて頂き切らん煩悩が救われた嬉しさを説かるるのだから
腹をえぐらるる様であると言ったが、自信の侭が教人信になるのだ。
頂け頂けとそんなに気安く宇宙全体が呑めるものかい。
他力だから易いと言うかもしれないが、色も無ければ声も無い無形の真理を
散乱放逸の不実の腹に体験するのだから難中の難と説いてあるではないか。
他力程六ヶ敷いものはないよ。又他力に苦抜けしたら此程易いものはない。
自分の動くままが六字の全体だから行住坐臥の侭が南無阿弥陀佛、
平生の時に私が弥陀やら弥陀が私やら親子の名乗が揚らんでどうする。
平生業成ではないか。魂一つは信の一念に往生しているのじゃぞ。
(『魂のささやき』p.62-63)
朝五時半には眼が開く。南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛、今日も此の身体を
使わして頂きますと、身体をさすりながら、此の煩悩の器が無かったら
佛智満入はすまいものを、
法の為尽さざらまし吾からだ
弥陀より借りし御恩報謝に
さあさあ起きましょう。六時には沢山お参り下さるから、
私が勤行にいなければ心配なさるだろう。
何の苦もない、不平もない、私の身体の動く姿が其侭来いの六字に
動かされているのである。
浮か浮かキョロキョロ暮して居るが、いざの時は全身全霊悉く法悦に感泣しつつ
語らずには居られない。或青年が批評するのは悪い事ですが、
貴兄のは頂けよ頂けよでなくて頂き切らん煩悩が救われた嬉しさを説かるるのだから
腹をえぐらるる様であると言ったが、自信の侭が教人信になるのだ。
頂け頂けとそんなに気安く宇宙全体が呑めるものかい。
他力だから易いと言うかもしれないが、色も無ければ声も無い無形の真理を
散乱放逸の不実の腹に体験するのだから難中の難と説いてあるではないか。
他力程六ヶ敷いものはないよ。又他力に苦抜けしたら此程易いものはない。
自分の動くままが六字の全体だから行住坐臥の侭が南無阿弥陀佛、
平生の時に私が弥陀やら弥陀が私やら親子の名乗が揚らんでどうする。
平生業成ではないか。魂一つは信の一念に往生しているのじゃぞ。
(『魂のささやき』p.62-63)