覚悟はできていました。が、今オフではないことを祈っていました。昨夜の段階ではガセであることを祈ってましたが、もう間違いなさそうですね。中国新聞の写真を見ると、表情も晴れ晴れしているように見えます。悔いはなさそうに見えますね。
私の中で佐々岡といえば黒田以上の存在です。野村謙二郎と共に、90年代カープを代表する選手です。入団したのは私が高校1年生のときですよ。以来、広島一筋。ずっと応援してきました。思い出深い選手です。
佐々岡抜きでは91年の優勝は語れません。佐々岡は2年目。17勝を挙げて最多勝、最優秀防御率、MVP、沢村賞などタイトルを総なめにしました。
日本シリーズの相手は黄金時代真っ只中の西武。下馬評では「4-0で西武」が圧倒的な中、先に王手をかけたのはカープでした。
佐々岡は第1戦に秋山・清原・デストラーデに本塁打を打たれ負けてしまいましたが、4戦目は8回を投げて3失点勝ち投手。3勝3敗で迎えた第7戦にも先発して・・・あとはいいでしょう。それ以来、カープは日本シリーズには出場していません。
先発100勝100Sは江夏以来史上2人目の快挙。ノーヒットノーランもやりましたね。全盛期のストレートは150km/h台中盤がうなりを上げ、ブレーキの利いたカーブはまさに「魔球」。球種も豊富で制球力も抜群。
カープのエースは佐々岡から黒田に継承されましたが、黒田が佐々岡の域に達することは、年齢からしてもうないかなと思っています。
佐々岡の年のドラフトは豊作といわれました。ほんとに豊作ですよ。並べてみるとすごいです。
近鉄には野茂、石井。西武には潮崎。ロッテには小宮山。横浜は佐々木、阪神は葛西。5位に新庄の名前があります。ヤクルトは西村、古田。中日与田、種田。巨人は大森でした。元木はダイエーに1位指名されましたが拒否。カープは佐々岡ですが、前田・浅井も同期ですね。
多くは既に引退しています。
ここまで本当によく投げてくれました。オフには何度も引退、背水のシーズンとささやかれました。本人もチームに迷惑をかけるからと伺いをたてたこともあり、そのたびに強く慰留されたともききました。
先発に抑えに中継ぎに。何度も何度もチームの危機を支えてくれました。去年なんか、佐々岡が復活してくれていなかったらと思うとぞっとします。
思い出はつきないわけですが。そうですね、真っ先に思い出されるのはノーヒットノーラン。ディアスや野村もよく守りましたね~!まだ江藤も金本もいました。いい時代でした。
市民球場でしたが、こちらで夜に仲間の家に集まって録画を観ながら祝杯をあげたなぁ。そのときの仲間はもう会わなくなってしまいましたが。今はみんなどうしてますかね。
神宮で、1年目の伊藤智仁を相手に一歩もひかず、終盤まで(9回までだっけ?)0-0の投手戦を演じた試合を覚えています。確か、0-1で負けてしまったような。いつ頃でしたっけね。
抑えをやってた頃のオールスター戦。終盤セ・リーグリード。大魔神佐々木が先に投げ、最後を佐々岡が締めくくったゲームがありました。150km/h台中盤の剛速球で、パ・リーグの強打者を力でねじ伏せましたよ。
節目とか強烈なインパクトの試合とかというよりは、いつもいつも何とかしてくれる、困ったら佐々岡、みたいな。水のような空気のような。投手陣が若くなってからは、地味な縁の下の頼れる力持ち、みたいな存在でしたね。文字通り投壊状態のカープで、1人屋台骨を支え続けてきた印象が強いです。
「来季の投手陣は…」の話になると、いつも佐々岡以外の投手の話になりました。それは若手であったり、外国人投手であったり。佐々岡はいて、計算できるのは前提だから話題にならない(笑)
大黒柱、カープのエースといえば佐々岡でした。私が観戦する試合は、よく佐々岡が先発の日に当たったなー
母子家庭で育って、プロ入り。親孝行な選手でしたね。インタビューやマウンドでの表情を見てると、本当に温かい人柄の選手なんだろうなと思われました。大野もそうなんですよね。やっぱりこういう選手は強いのかも。
引退試合は10/6(土)市民球場でしょうか。が、雨が降ったら順延ですよね。
佐々岡ですよ!
他の投手とはわけが違います。こうなったら神宮はどうでもいい。今日発売日でしたがあっと言う間に完売だし;
行かなければ悔いを千載に残すことになるでしょう。
なんか書いてて涙が出てきた。
もう往年のストレートは観られません。大野の時のようには、いかないでしょうねさすがに。朴訥だから、野村のようには気の利いたことも言えなそうだなぁ
けど、その独特の、左腕を畳まないフォームを、この目にしっかり焼き付けてきたいと思います。目を閉じれば、かつての剛速球が脳裏にきっと浮かびますよ。
長い間本当にお疲れさまでした、今までありがとうの言葉は、その時までとっておこうと思います。