本日は無類の女好き。
初代総理大臣。
多分、現代だったら週刊誌にスキャンダルとられて即解任。
てゆうか、スキャンダルにもならないくらい、遊びまくっていた人。
伊藤博文。
そんなわけで、勝手に明治維新。
名前
伊藤博文(いとう ひろぶみ。はくぶんでも間違いではないらしい)
別名
伊藤俊輔
生誕
1841年10月16日
死没
1909年10月26日
出身
長州藩
役職
初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣
初代枢密院議長
性格
明るく、陽気。
お世辞すら言えない、嘘の言えない正直者だったらしい。
そして、無類の女好き。
小学生ぐらいの女の子とかにも欲情してしまったとか・・・。
ニックネーム
伊藤君には『箒』と言う、いいニックネームがある。
しかし、このニックネームの由来は、掃いて捨てるほど女遊びをしていたからだとか。
それじゃ、さすがに箒は不憫だからいいニックネームをつけてあげよう。


『笑い飯』に決定。
逸話
この人は初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣でなんと4回も総理大臣になっている、総理大臣マニアだ。
この伊藤君の生い立ちを見ると、かなり複雑なことになっている。
まず伊藤君は、1841年10月16日に周防国熊毛郡束荷村字野尻(現在の山口県光市束荷字野尻)の百姓・林十蔵さんの長男として生まれたらしい。
その4年後のである。
父、林十蔵さん破産。
十蔵さんは萩(現在の山口県萩市)へ単身赴任。
そのため、伊藤君は母と共に母の実家へ預けられたようだ。
1849年に伊藤君は父に呼び出され萩に移住したようで、12歳頃には奉公に出されたらしい。
複雑なことになっている。
そして、子どもの頃から苦労が絶えない人生だ。
そんな、ある日のことである。
なんと父、十蔵さんが長州藩の蔵元付中間の水井武兵衛の養子になったのである。
子どもが養子に行くのでも十分複雑なのに、あろうことか十蔵さんが養子になっちゃったのだ!
複雑な家庭環境!
そしたら今度は、1854年に十蔵さんの養父である水井武兵衛が周防佐波郡相畑村の足軽、伊藤弥右衛門の養子になったのである。
どうなってんだ!
養父が養子って!
もう、ワケがわからない。
複雑すぎて笑える。
そんなわけで、伊藤君と十蔵さんは足軽となったワケである。
そうして黒船来航後、伊藤君は江戸湾の警備のため相模に派遣されたようだ。
ここで上司の来原良蔵さんに、吉田松陰を紹介され、松下村塾でお勉強。(またもや、伊藤松陰の登場である・・・)
ただ、残念なことに身分が低かったようで、庭先で薪割りのバイトをしながら聞こえてくる声を聞きながらお勉強したそうだ。
このとき、吉田松陰は伊藤君を褒めようと頑張ったみたいだが、いいとこがあんまりなかったようで「伊藤君は、大したことないなあ・・・あえていうなら・・・なんにもないなあ・・・」と困り果てた結果「みんな、勉強というのは教室でお勉強するだけが勉強じゃない!伊藤君を見習いたまえと」と、いいことを言ってそうで、なんか適当にも聞こえるようなことを言っている・・・。
でも、伊藤君は陽気な性格だったので、松蔭にも可愛がられたし、みんなのムードメーカーだったみたいだ。
その後、桂小五郎のお手伝いとかする。
桂さんも松蔭と同じように「伊藤君は出来が悪い!」と言っている。
そしてこのときに運命の出会い、伊藤君とは真逆のエリート、井上肇と出会う。
伊藤君と井上君、超仲良し。
伊藤君と井上君が変名をつけようと言う話になった時である。
伊藤君の変名が花山春輔。井上君の変名が春山花輔。でというまさかの、花と春を入れ替えただけという仲良しっぷり。
ただ、すぐにバレて「変名の意味ないやん!」ってなったようだ。
そんな、井上君は腎臓が悪くて危篤状態になったのである。
伊藤君、病室に現れるなり井上君の頭を膝に乗せ、膝枕をしてあげる。
そして何も言わず、ただただ無言で涙をぼろぼろと流すばかり。
そこへ看護婦がアイスクリームを持ってきたそうだ。
危篤状態なのになぜアイスクリームだったかはわからないが、とにかくそのアイスクリームをぶんどる伊藤君。
そして、井上君の口の中に入れて、アイスクリームを食べさせてあげたそうだ。
井上君はありったけの力を振り絞り、アイスクリームを飲み込んだそうで、飲みこむのを確認した伊藤君は、ついに我慢しきれずに「アイスクリーム美味しい?どう?美味しかった?甘い?甘かった?」と声を上げ、泣き叫んだらしい。
こんな、伊藤君の愛がとどいたのか井上君完全復活。
しかも超元気。
元気になりすぎた井上君は、伊藤君より長生きするのであった。
と、話がそれてしまったが、なんやかんやあって、みんなから「出来が悪い!」とか「大したことない」とか言われてるワリに、初代総理大臣になってしまったのである。
というのも、『西郷隆盛』『大久保利通』『桂小五郎』など総理大臣になれそうな人材はみんな死んじゃっていたのだ。
そんなわけで、「英語しゃべれるし、伊藤君でいっか」みたいな感じで英語をしゃべれると言う理由だけで、総理大臣になってしまったの」である。
晴れて総理大臣になった伊藤君だが、ついにはイギリスの外交官(通訳)のアーネスト・サトウさんにまで「え?なんで彼なんか総理大臣なの!?英語がしゃべれるだけでしょ?」と』言われる始末。
しかし、それでも4回も総理大臣になっているのは、伊藤君の明るい性格があったからだろう。
そんな伊藤君の欠点は女好きなことだ。
現代だったら、間違いなく問題になるぐらい、遊びまくる。
10歳ぐらいの女の子でも欲情してしまうのだ。
そんな伊藤君を見かねた明治天皇は「おい!伊藤君!女遊びは程々にしなさい!」と注意したようだ。
しかし、伊藤君の女遊びは止まらない。
女遊びで借金を作ってしまうぐらいだ。
しまいには女遊びで破産。
伊藤君は、路頭に迷うわけである。
そんなわけで、「総理大臣の家が無いのはさすがにヤバいよね!」ということで作ったのが首相官邸だという、都市伝説が生まれるぐらい伊藤君の女遊びはヒドかったようだ。
しかし、伊藤君にもいい所はあって、平和主義者だったようだ。
征韓論も反対したし、日露戦争にも反対したらしい。
「戦争したってどうせ負けるから、やるだけ無駄だよ」という考えだっただけらしいが、まあ、進んで戦争するよりは、まだマシだ。
それに、暗殺される直前にスピーチで「戦争をしたって何の利益もないよー」とか言っている。
そんなこんなで、清(現在の中国)のハルビン、ハルビン駅にて列車から降りたところ安重根とかに銃で撃たれて死亡してしまったようだ。
ちなみに、小学生が使うランドセル。
あれは伊藤君が当時皇太子だった大正天皇の学習院初等科入学の時に、伊藤君が皮革性の箱型の鞄をプレゼントしたのが始まりらしい。
子どもの頃から、いろいろ複雑な環境の伊藤君。
しかも、周りかからも「大したことないヤツ」と言われ続けていた。
ただ、英語がしゃべれるだけで総理大臣になってしまったのだ。
自分も英語ぐらい真面目に勉強しておけばよかった、と勝手に思うのである。
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