坂本龍馬のお友達で、陸援隊の隊長。
坂本龍馬の暗殺に巻き込まれた人。
中岡慎太郎。
そんなわけで、勝手に明治維新。
名前
中岡慎太郎(なかおか しんたろう)
別名
福太郎、福五郎
光次
石川清之助、誠之助
生誕
1838年5月6日
死没
1867年12月12日
出身
土佐藩
流派
鏡心明智流(という噂)
ただ、剣術はたいしたことがなかったみたいだ。
性格
穏やかな人だったようだ。
なにか揉め事が起きても中岡さんが間に入れば1時間程度で話がついたそうだ。
ニックネーム
中岡さん・・・。

なかなか鋭い目をしている。
マラソンの川内選手に似ているように思うのだけれども・・・。

『公務員ランナー』に決定。
逸話
幕末の大物と言えば、桂小五郎や大久保利通、西郷隆盛たちがいる。
そんな中誰もが聞いたことのある人と言えば、坂本龍馬だろう。
そんな、坂本龍馬のお友達で、陸援隊の隊長なのが中岡慎太郎である。
龍馬暗殺のときに運悪く巻き込まれたりしているので、坂本龍馬を語るときには必ずと言っていいほど中岡さんの名前も上がる。
ただ、やはり主役は坂本龍馬であり中岡さんは、龍馬さんの影に隠れている感がある。
しかし、薩長同盟を結成したのは龍馬さんのおかげと言われているが、実は龍馬さんよりも先に薩長同盟に奔走していたのは中岡さんなのである。
龍馬さんは、中岡さんたちの話を聞いてから、薩長同盟「いいね!」ってなったようだ。
龍馬さんも奔走していたようだが、薩長同盟結成の最後の話し合いにたまたま参加していたので、龍馬さんが薩長同盟の成立させたことになってしまったらしい。
そもそも、中岡さんは龍馬さんより100倍は頭がよかったようだ。
そんな中岡さんは、武士の身分だったようだが、庄屋の生まれで土佐では郷士ということで、低い身分だったようで、飢饉とかが起きれば役人の家の前に朝まで正座をしてお米を貰うのをまったりしていたそうだ。
そんなこんなで3歳になると父親から読み書きを教えてもらい、4歳のときに住職さんからいろいろ教わり、7歳のときには漢方医・志摩村策吾の塾に、1時間半もかけて歩いて通ったそうだ。
いわゆる天才児だ。
しかし、1時間半も歩いて通うなんて、頭のネジがぶっ飛んでいるとしか思えない。
ちなみに頭のネジぶっ飛んでいる中岡さんは、子どもの頃、底は見えないわ、大きな渦は巻いてるわで、絶対に入っちゃ行けないと言われている海があったそうなのだが、20メートル上の崖から「ひゃっほーい!」なんて心躍らせて、海に頭からダイブ。
大人たちが心配する中、無事に生還したらしいが、やっぱり頭のネジがぶっ飛んでる。
そんなこんなで、14歳のときには塾の先生の代わりに講義をしたりしていたそうだ。
きっと、アメリカとかだったらこの年でハーバード大学の首席とかだったんだろう。
そうして17歳になり、武市瑞山の道場に入門して、土佐勤王党に入ったそうだ。(おそらく龍馬さんと知り合ったのはここ)
その一年後に、久坂玄瑞とかと佐久間象山のところに行ったようで国防や政治について色々刺激されたようだ。
そんなわけで、さらにその一年後土佐勤王党が弾圧され始めると、身の危険も感じたらしく脱藩し、本格的に討幕運動を開始し手のである。
父親には「ちょっとした用事で高知の方に行ってくるね」と行って出かけたそうだ。
とてもつもなく長いちょっとした用事だな!
そんなわけで、太宰府にて幽閉中の三条実美と、謹慎中の岩倉具視の手を組ませたりして、禁門の変のも長州軍として参加。
禁門の変では怪我しちゃったけど。
禁門の変の一年後には「これからの時代は薩摩と長州ぜよ!」なんて言ったり、時勢論というのを書いたそうだ。
そんな中岡さんの考えに龍馬さんんも賛同。
1866年に念願の薩長同盟結成。
さらには土佐藩の板垣退助と西郷隆盛を会わせて、薩土の盟約をを結ばせる。
討幕に向けて働きまくる、中岡さん。
そして、龍馬さんの海援隊に続き、陸援隊を作ったのである。
海援隊は軍事活動もしていたようだが、今でいう株式会社みたいなもんで、陸援隊は高杉晋作の奇兵隊をモデルに作ったらしい。
そんなわけで、その一ヶ月後中岡さんは近江屋事件に巻き込まれ死亡。
この中岡さん凄いのが、なんと未来を予知する能力があったのだ。
一応言っておくが占い師とか、予言者とかそうゆうオカルティックなもんではない。
中岡さんは戊辰戦争が始まることを予言していた。
なんなら、西南戦争や日清戦争、日露戦争も予言していたらしい。
それどころか、アメリカと戦争することだって予言していたらしい。
きっと全て予言が的中してしまって落胆したことだろう。
こんな中岡さん。
実はあの鋭い目をした写真だけでなく、こんな写真も残っている。

左側が黒く塗りつぶされている。
心霊写真とかそうゆうのではない。
深い事情があるのだ。
それにしても、とっても幸せそうな中岡さん。

実は白黒写真で見づらいのだが、この写真、黒いところから肘がはみ出しているのである。
もう一度言う。
心霊写真とかではない。
これ実は女性の肘らしい。
この写真、なんと中岡さんが女性のお尻を触ったもんで、にんまりしているところの写真らしい。
どんな写真撮ってんだ!
やっぱり、この人、頭のネジぶっ飛んでいる。
そんなもんで、仲間たちが「おい!こんな写真とって恥ずかしくないのか!武士の風上にも置けないヤツめ!」とかいろいろ言われて、反省したのか、黒く塗りつぶしたらしい。
捨てればいいのにとも、思うのだが、黒く塗りつぶしてでもとっておきたかった写真だ。
よほどいい思い出だったのだろう。
それにしてもいい表情。

このスケベオヤジめ!
事実は小説はより、奇なりと言うが、歴史を動かした人物がこんなことしていたなんてこれはかなり奇妙だなと、勝手に思うのである。
坂本龍馬の暗殺に巻き込まれた人。
中岡慎太郎。
そんなわけで、勝手に明治維新。
名前
中岡慎太郎(なかおか しんたろう)
別名
福太郎、福五郎
光次
石川清之助、誠之助
生誕
1838年5月6日
死没
1867年12月12日
出身
土佐藩
流派
鏡心明智流(という噂)
ただ、剣術はたいしたことがなかったみたいだ。
性格
穏やかな人だったようだ。
なにか揉め事が起きても中岡さんが間に入れば1時間程度で話がついたそうだ。
ニックネーム
中岡さん・・・。

なかなか鋭い目をしている。
マラソンの川内選手に似ているように思うのだけれども・・・。

『公務員ランナー』に決定。
逸話
幕末の大物と言えば、桂小五郎や大久保利通、西郷隆盛たちがいる。
そんな中誰もが聞いたことのある人と言えば、坂本龍馬だろう。
そんな、坂本龍馬のお友達で、陸援隊の隊長なのが中岡慎太郎である。
龍馬暗殺のときに運悪く巻き込まれたりしているので、坂本龍馬を語るときには必ずと言っていいほど中岡さんの名前も上がる。
ただ、やはり主役は坂本龍馬であり中岡さんは、龍馬さんの影に隠れている感がある。
しかし、薩長同盟を結成したのは龍馬さんのおかげと言われているが、実は龍馬さんよりも先に薩長同盟に奔走していたのは中岡さんなのである。
龍馬さんは、中岡さんたちの話を聞いてから、薩長同盟「いいね!」ってなったようだ。
龍馬さんも奔走していたようだが、薩長同盟結成の最後の話し合いにたまたま参加していたので、龍馬さんが薩長同盟の成立させたことになってしまったらしい。
そもそも、中岡さんは龍馬さんより100倍は頭がよかったようだ。
そんな中岡さんは、武士の身分だったようだが、庄屋の生まれで土佐では郷士ということで、低い身分だったようで、飢饉とかが起きれば役人の家の前に朝まで正座をしてお米を貰うのをまったりしていたそうだ。
そんなこんなで3歳になると父親から読み書きを教えてもらい、4歳のときに住職さんからいろいろ教わり、7歳のときには漢方医・志摩村策吾の塾に、1時間半もかけて歩いて通ったそうだ。
いわゆる天才児だ。
しかし、1時間半も歩いて通うなんて、頭のネジがぶっ飛んでいるとしか思えない。
ちなみに頭のネジぶっ飛んでいる中岡さんは、子どもの頃、底は見えないわ、大きな渦は巻いてるわで、絶対に入っちゃ行けないと言われている海があったそうなのだが、20メートル上の崖から「ひゃっほーい!」なんて心躍らせて、海に頭からダイブ。
大人たちが心配する中、無事に生還したらしいが、やっぱり頭のネジがぶっ飛んでる。
そんなこんなで、14歳のときには塾の先生の代わりに講義をしたりしていたそうだ。
きっと、アメリカとかだったらこの年でハーバード大学の首席とかだったんだろう。
そうして17歳になり、武市瑞山の道場に入門して、土佐勤王党に入ったそうだ。(おそらく龍馬さんと知り合ったのはここ)
その一年後に、久坂玄瑞とかと佐久間象山のところに行ったようで国防や政治について色々刺激されたようだ。
そんなわけで、さらにその一年後土佐勤王党が弾圧され始めると、身の危険も感じたらしく脱藩し、本格的に討幕運動を開始し手のである。
父親には「ちょっとした用事で高知の方に行ってくるね」と行って出かけたそうだ。
とてもつもなく長いちょっとした用事だな!
そんなわけで、太宰府にて幽閉中の三条実美と、謹慎中の岩倉具視の手を組ませたりして、禁門の変のも長州軍として参加。
禁門の変では怪我しちゃったけど。
禁門の変の一年後には「これからの時代は薩摩と長州ぜよ!」なんて言ったり、時勢論というのを書いたそうだ。
そんな中岡さんの考えに龍馬さんんも賛同。
1866年に念願の薩長同盟結成。
さらには土佐藩の板垣退助と西郷隆盛を会わせて、薩土の盟約をを結ばせる。
討幕に向けて働きまくる、中岡さん。
そして、龍馬さんの海援隊に続き、陸援隊を作ったのである。
海援隊は軍事活動もしていたようだが、今でいう株式会社みたいなもんで、陸援隊は高杉晋作の奇兵隊をモデルに作ったらしい。
そんなわけで、その一ヶ月後中岡さんは近江屋事件に巻き込まれ死亡。
この中岡さん凄いのが、なんと未来を予知する能力があったのだ。
一応言っておくが占い師とか、予言者とかそうゆうオカルティックなもんではない。
中岡さんは戊辰戦争が始まることを予言していた。
なんなら、西南戦争や日清戦争、日露戦争も予言していたらしい。
それどころか、アメリカと戦争することだって予言していたらしい。
きっと全て予言が的中してしまって落胆したことだろう。
こんな中岡さん。
実はあの鋭い目をした写真だけでなく、こんな写真も残っている。

左側が黒く塗りつぶされている。
心霊写真とかそうゆうのではない。
深い事情があるのだ。
それにしても、とっても幸せそうな中岡さん。

実は白黒写真で見づらいのだが、この写真、黒いところから肘がはみ出しているのである。
もう一度言う。
心霊写真とかではない。
これ実は女性の肘らしい。
この写真、なんと中岡さんが女性のお尻を触ったもんで、にんまりしているところの写真らしい。
どんな写真撮ってんだ!
やっぱり、この人、頭のネジぶっ飛んでいる。
そんなもんで、仲間たちが「おい!こんな写真とって恥ずかしくないのか!武士の風上にも置けないヤツめ!」とかいろいろ言われて、反省したのか、黒く塗りつぶしたらしい。
捨てればいいのにとも、思うのだが、黒く塗りつぶしてでもとっておきたかった写真だ。
よほどいい思い出だったのだろう。
それにしてもいい表情。

このスケベオヤジめ!
事実は小説はより、奇なりと言うが、歴史を動かした人物がこんなことしていたなんてこれはかなり奇妙だなと、勝手に思うのである。
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