明日はおそらく七転八倒!

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英国公使館焼き討ち事件

2015-07-14 20:32:47 | 勝手に明治維新
本日は高杉晋作、久坂玄瑞たちが起こした事件。

英国公使館焼き討ち事件。

そんなわけで、勝手に明治維新。

名前
英国公使館焼き討ち事件(えいこくこうしかんやきうちじけん)

勃発
1862年12月12日

場所
江戸品川御殿山

概要
この事件が起こったのは品川御殿山である。

しかし、元々英国公使館は高輪の東禅寺にあったそうだ。

ただ、ここ高輪の東禅寺の英国大使館は1861年5月28日に水戸藩士14人が襲撃し、イギリス人2名が負傷。

翌年の1862年5月29日には警護兵の松本藩士、伊藤軍兵衛が水兵2名を斬り殺し、切腹するという事件が起きたのである。

ただでさえ、当時の日本は若者を中心に攘夷思想が広まり、外国人は攻撃の対象になっていたわけである。

そんなわけでイギリス人たちが「日本人怖いよ!もっと安全な場所に公使館作ってよ!」と言うもんだから品川御殿山に新しく公使館を作ることにしたそうだ。

そんな中、上海に留学に行ったこともある高杉晋作は、阿片戦争に敗れ欧米諸国にヒドい目に合っている中国人の姿を目の当たりにしたそうで「日本も外国に侵略されてしまう!」と危険性を感じたようだ。

そんなわけで、高杉晋作は久坂玄瑞たちと横浜にて外国公使たちを襲撃計画を建てていたのである。

しかし、この計画は毛利定広に「辞めなさい!そんなことしたらどうなるか覚えておけ!」とか言われて、謹慎処分。

そして謹慎処分中に高杉晋作、久坂玄瑞たちを中心に御楯組を結成。

そして、御楯組は品川御殿山で建設中だった英国公使館の焼き討ちを計画。

1863年12月12日午前1時頃、伊藤利助(後の伊藤博文)が持って来たノコギリを使って、柵を切り建設中の英国公使館に侵入。

そこで、焼夷弾を使用して公使館(運良く、中に人は居なかったそうだ)を全焼させたのである。

これが世に言う『英国公使館焼き討ち事件』である。

当時、この事件の真犯人は見つけることが出来なかったそうだ。

正確には、見つけることが出来なかったというより、見つけなかったんだけど・・・。

というのも、幕府は「犯人は長州藩の関係者だろう」とだいたいの予想はしていたそうだ。

しかし幕府は、いやいや公使館を建設していたために、犯人探しに消極的だったそうだ。

そんなわけで、犯人は見つからなかったのである。

そして、この事件の犯人が発覚したのは明治になってからだ。

井上聞多(後の井上馨)や伊藤利助とかが「英国公使館焼き討ち事件の真犯人はオレとか御楯組だよー!」とか言って自慢してたのが原因だそうだ。

そして、この事件の首謀者でもある井上聞多や伊藤利助は、この後に開国派になるのであった。

本当に幕末はややこしい時代なのに、さらにややこしくしてくれたな!と、勝手に思うのである。

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