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おにむら歯科の副院長のひとり言

「死」について 2

2011年06月30日 08時16分11秒 | インポート

昨日の勉強会の講師はいちはら内科の市原先生でした。

医師として数えきれない程多くの死を見てこられた先生の、「生」とは?「死」とは?のお話です。先生の生死観、幸福観を話していただき非常に感銘を受けました!!

そして私自身たくさんの認識不足や誤解がありました。

その1)

私の母は胃がんでしたが、手術をしてから、QOL(生活の質)が急激に落ち、苦しみました。

もしかしたら、ガンと闘わず、手術しないという選択もあったのでは?・・・と、今でも心にひっかかっていました。

市原先生のお答えは、人として、一度は正面切ってガンと闘うことが必要ではないか?それでだめだったらそれはそれで受け入れる。というものでした。先生の患者さんで手術しないことを選択された方が、「それから」を長く苦しむのをみるのはつらいものがあった・・・ということでした。

その2)

むだな延命治療はしないで!

と、家族にはいつも話しています。

でもその意志をしっかり文章にして、すぐ手にするところに置いておかなければ、力を持たない。救急車を呼んで ほらここに!!と、手渡せるように。

その3)

いい死に方とは

一番安らかな死に方はガン末期に枯れ木のようになって、命のともしびが消えるがごとく人生の終焉を終える。ということでした。が、自分に残った最期のエネルギーを炭火の残り火のようにチロチロと燃やしつくして死ぬのですから、美しいまま死ぬ…というわけにはいきません。ヒポクラテス顔貌といって痩せて、目は落ちくぼみ、眼光鋭く、皮膚は土気色のカサカサとなっていくのだそうです。

美しく死んでいきたいと(どこがじゃ??)思っていた私は迷います。

昨夜は我が家で主人と、どうやって死んで行こうかという話に花が咲きました。

どんな死に方をするかは、神様のみぞ知ることです。私たちはその時その時、一生懸命に考えて結論を出し、これでよし!と、受け入れていくしかないですね。

人間足ることを知る・・・もし、その時がきたら、もっともっと・・・ではなく、覚悟を決めて淡々と、みなに感謝しながら死んでいきたいです。

なあんて、実際は大暴れして皆に迷惑掛けまくって悪態ついて・・・・なんてなったらどうしよう![E:crying]

その4)

健康とは?健康になるためには死んでもいい!?

現在は健康至上主義です。これって本当に正しいのでしょうか?等まだまだ深いお話がありましたが、長くなるのでまた、今度書きますね。

(注)一緒に聞いていた、あやちゃん、間違ったこと書いてたら教えてください!!へへへ[E:heart04]


「死」について

2011年06月29日 06時31分01秒 | インポート

今日は「死」について、女性歯科医の会で勉強します。

(「死」という言葉に敏感な方がいらしたらごめんなさい。)

我が家では、「死」というものをタブー視しない傾向があります。義母はお寺の娘で、鬼村家自体、敬虔なる仏教徒であるからか、淡々と受け止めています。私の実家は神道ですが、父も母も「死」を忌み嫌うようなことはなかったようにあります。

父が亡くなった時、もちろん母も私たち子供も悲しくて涙が出ましたが、あとはだれも大泣きせずに見送ることができました。

義父が亡くなった時もしかり。義母も主人たち子供たちも、淡々としたものでした。

次に母が亡くなった時、火葬のボタンを押すのは私の役だったのですが、躊躇せずさっとボタンを押したと、いとこたちがびっくりしていました。(決して自慢じゃないんですよ)

母の生前、私の実家では、弟が冗談で

「バッバン(母のことです)、あんまり長生きして、みんなに迷惑かけなんなよ!」というと、母は「わかった、だいたい、いいときにさっさか逝くように精いっぱいがんばってみるわ!」と、かえし、皆でいつも大笑いしていました。

また、葬祭場の近くに行きつけの和食のお店があるのですが、私たち夫婦はよく母を誘って食べに行っていました。

その時、主人が母に「お義母さんが死んだら、あの斎場で、立派な葬式してあげるからね!」というと、母は、「頼むわね!」と、きりかえし、お葬式の話で盛り上がったものでした。

不謹慎?でしょうか?

まだ死を経験していない私は、「死」に対する恐れはあります。死にまつわるかなしい出来事があることも知っています。でも、「死」は「生」の延長、誰も逃れることのできない自然の摂理、

ならば、諦観・・・受け入れるしかないと思っています。

「死」があって初めて「生」が意味をもつ・・・

ああ、今日は難しい話になりましたね。今夜の勉強会でもっと深く掘り下げていきたいと思います。


次は私の偉いとこ

2011年06月28日 05時55分07秒 | インポート

いくつになっても落着きというものが無く取り柄のない私ですが、今までの人生で、自分でも偉かったな~と思うことがあります。

それは・・・結婚して30年になりますが、毎年必ず、盆と正月の2回、主人の実家、山口(長門市)へ里帰りし続けたことです。これを我が家では「鬼村民族の大移動」とよんでいました。(ただし、出産、子供の受験の年は除く)(そのため、年末の大掃除などほとんどしたことなし)

3人の子供たちが小さいときは大変でした。宮崎から飛行機で福岡空港博多駅新幹線で新山口(当時は小郡)タクシーで1時間ちょっと・・・の道中です。途中、のどが渇いた、おしっこ、ポンポン(お腹)が痛い・・・等、どの子が何を言うとも知れず、山のような荷物を抱え、油汗かきながら移動したものです。主人が帰れないときも私一人で子供たちを連れて帰りましたよ!

経済的にも体力的にも精神的?にも、まぁ、大変といえば大変でした!

でも、主人の両親が喜んでくれるので、日頃できない親孝行のまねごとでも・・・・と、これだけは私の仕事!と割り切ってました。(そのわけは6月26日参照)

子供たちも、いとこたちが皆集まってくるので、兄弟姉妹のように育ち、おかげで彼らは今でもとても仲良しです。

本当によかった、偉かった!私!

あと一つ、聞いてください。(え~~っ!まだあるの?)

義父が晩年、大腿骨骨折で入院した、2カ月間くらだったか・・・

私はほとんど毎日、義父へ手書きの絵ハガキを出しました。毎日書くと、最後はもう書くことがなくなり、うちのスタッフの事を書いたり、絵だけが大きくなったり・・・

看護師さんが「今日も来ましたよ!」と、病室に持ってきてくださるのを義父も待っていてくれたみたいです。

簡単にはお見まいに行けないのでそれを思えばこれくらい・・・・

でも、良くやったよ!私!

みなさん、こんな自己満足の話をよく我慢して最後まで読んでくださいましたね。ありがとう!!

でも・・・こんな日もあっていいよね<shapetype id="_x0000_t75" coordsize="21600,21600" o:spt="75" o:preferrelative="t" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" filled="f" stroked="f"></shapetype> [E:coldsweats01]<stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas></formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f><path o:extrusionok="f" gradientshapeok="t" o:connecttype="rect"></path><lock v:ext="edit" aspectratio="t"></lock><shape id="図_x0020_1" type="#_x0000_t75" o:spid="_x0000_i1025" alt="coldsweats01" style="WIDTH: 12pt; HEIGHT: 12pt; VISIBILITY: visible; mso-wrap-style: square"></shape><imagedata src="file:///C:UserstomokoAppDataLocalTempmsohtmlclip11clip_image001.gif" o:title="coldsweats01"></imagedata> 


えらいぞお父さん!

2011年06月27日 08時01分59秒 | インポート

実はうちの主人はゴミ出しが大好きです!

言っておきますが、私が主人にゴミ出しをさせているわけでは、決してありません。

主人が好きでしていることですから、お間違いのないように!!

で、自分の主人ながら、とても感心していることがあります。

ゴミの入ったごみ袋を取り出した後、必ず、次の新しいごみ袋を出しておいてくれるのです。

トイレットペーパーもしかり、新しいのととりかえたあと、必ず予備の分まで出しておいてくれます。

そういえば、主人は人を咎めたり、とことん追い詰めることがありません。

いつも逃げ道を作ってくれています。

私が失敗して、主人にも迷惑をかけるようなことがあったとします。(実際たくさんありましたけど)もう駄目だと胸のふたがる思いで主人にうちあけます。と、激昂したりせず、(もち、叱られますけど)たんたんと、私を諭したあと、いつ、なぜ、どうして・・・と、とことん問い詰めないのです。

(私は白黒はっきりしないと嫌なタイプだったので、子供たちに対して、失敗をとことん問い詰めて、咎めてきたような母親でした。)

これは効きます。かえって深く反省させられます。また、このご恩は忘れないぞ!と、深く心に刻まれるのです。

自分の感情に振り回されず、目の前のことだけでなく、「それから・・・」を考え、人を思いやることができるなんて・・・素晴らしいです。

えらいぞ、お父さん!!これからもゴミ出し頑張れ!!


義母

2011年06月26日 08時45分19秒 | インポート

主人の母は85歳になりますが、一人ぐらしで、畑仕事を何よりも楽しみにして毎日を過ごしています。

そんな義母の口癖は「私ほど幸せなものはいない」です。

お寺の娘だったこともあるのですが、すべてに感謝できる人です。

結婚して、山口出身の主人と宮崎で開業しようという話が出たとき(うちの両親の強い希望でした)、主人の親戚の中には「なにも宮崎まで行かなくても・・・」という方もいました。

でも、主人の両親は

「この子(主人)が幸せになるならどこへ行ってもいい!」と言ってくれました。

若い私は、(私は主人を幸せにしなければいけないんだ・・・)と、感謝の気持ちとともに、責任を感じたことを覚えています。

今、結婚適齢期の息子を二人持つ母親の身になって、義母の優しさを改めて、感じます。

義母はさびしくなかったはずはありません。

うちの息子たちがここから遠いお嫁さんの故郷に永住するという話になったら・・・

さびしいけれど潔く受け入れようと、主人と話しています。

子供には子供の人生があります。考えに考えて決めたことなら、喜んで応援してやりたいと思っています。

5年くらい前だったでしょうか、山口に里帰りしたとき、義母が

「この子(主人)を宮崎にやって良かったぁ」と言ってくれたときは、思わず涙が出ました。

実の両親を送り、、義父も送り、私に親といえるのは義母一人になりました。

大切にして行きたいと思います。


院長、仙台より無事帰る

2011年06月24日 06時09分46秒 | インポート

主人が一週間のボランティアから帰ってきました。

それなりに大変だったようですが、淡々として、元気そうでした。

貴重な経験だったようですが、

多くを語ろうとしませんし、私も聞けません。

主人も私も長い一週間でした。

子供たちの応援、スタッフの協力、皆さんからの励まし・・・・とてもありがたかったです[E:confident]

また、今日から頑張ります[E:happy01]


「カラールーム」の謎

2011年06月23日 07時27分35秒 | インポート

「カラールーム」なのに、色のことは全然出てこないなぁ・・・

と思ってる方。ごめんなさい。

なぜかというと、私の心がまだ書けっていわないからです!?

谷村新司の名曲「昴」の中に「我はゆく。心の命ずるままに・・・」というサビがあります。

(ちなみにこの歌は亡き父が大好きでした。)

いま、私は、「これが書きたい」という心の中から出てくる思いを大切にしています。

みやざき中央新聞の記事で読んだのですが、人間、死んでから閻魔大王に聞かれることは、

「どれだけ『良いこと』をしたか?」ではなくて、「どれだけ人生を楽しんできたか?」

だそうです。

何があっても自分は我慢してでも「人のため」「徳積み徳積み!!」・・・と思っていた私は(注:いつも実行しているわけではありません)この文章に疑問??を持ちました。人のために良いことをしても!?だめなの!??

でもよく考えると神様は私たちを苦しめるためにこの世に送られたのではないはずです。

もちろん、人のためになることをすることは素晴らしいことですが、結果として、自分には苦しみや我慢だけが残るようでは神様は喜んでくださるかしら?

人間がいろんなことから学び成長し、喜び楽しむ姿を願っておられると思います。

ここで、また、美智子さまですが、御著書「橋をかける」のなかに、・・・・幼いころ読まれた神話に、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が、愛する夫、倭建御子(やまとたけるのみこと)の命を救うために、大荒れの海に入水し、海神の怒りを鎮め夫の命を救う・・・という話があり、美智子さまはこの弟橘比売命の行動にとても感動し、また、不安も感じられた・・・ということろがあります。

これこそ究極の自己犠牲の典型です。しかし、弟橘比売命は、そうすることが自分の願いであり、心からの喜びであったに違いありません。

ですから、「人のために」・・・という、目的ではあっても、いくら素晴らしい徳積みであったとしても、自分が、心から喜んでいない、自分を満足させていないような徳積みは本当の徳積みではないのだろうと、この年になって、ハタ、と、思いつき、スッと、腑に落ちました。

そうよね、自分の心の声をよく聞いて人もうれしい、私もうれしいことを一つ一つ積み重ねていきたいな~と思います。

ただ今、私は心の声を聞く訓練中。そして幸せを感じる能力を養い中。

だから、カラールームでも色のことは書かない!?

えっ、これって、書けないことの弁解を、ここまで膨らましただけじゃない??[E:coldsweats01]


皇后美智子さま

2011年06月22日 07時24分25秒 | インポート

皇后美智子さまの筋金入りの大ファンです。

ご成婚の時には宮内庁に、似顔絵入りのお祝いファンレターを出しまたよ!

私が幼稚園のときでした。ご成婚のパレードを幼稚園のテレビで親も子もみんなでうやうやしく見たのを鮮明に覚えています。

返事?もち、きません。

うちの亡き母がものすごいミーハーで、国内外を含めてお姫様大好き!の人でした。

ご婚約から日本中にミッチーブームがまきおこり、母もご多分にもれず夢中になったのでした。

平民出身ということで一部の皇族にいじわるされている・・・とマスコミが騒ぎたてると、自分がいじめられたように怒り、悲しみ、・・・そんな母を見ているうちに、幼い私もすっかりおんなじ症状に陥り、美智子さまの報道で、一喜一憂の人生が始まったのでした。

近年、軽井沢に、主人と一緒に旅行したことがあります。天皇さまと、美智子さまが出会われた思い出のテニスコート・・・ああ、お二人のテニス姿が浮かびます。美智子さまが小さい頃宿泊されたホテルのお部屋にも行き、ああ、この窓からこの風景をご覧になったのね・・・と、感慨にふけりました。

ブロマイドも買いました。我が家の居間には美智子さまの写真が貼ってあります。

あんなに完ぺきに近い方ってそういませんよね。とても同じ人間とは、同じ女性とは思えません。心より尊敬し、お慕い申し上げています。

今では、「美智子さま物語」と、銘打って、パワーポイントに美智子さまのこれまでの人生を物語風に仕立て、友達に無理やり見せています。頼まれれば、いつでも発表できるようにしてあります。(今まで依頼は一件のみ・・・)

美智子さまを語ればもう、書いても書いても書き足りません。今日は仕方ないので、これで勘弁してあげます。

ああ、美智子さま、今日もどうぞおすこやかに!


若い鬼村先生

2011年06月21日 00時29分50秒 | インポート

私が思っていた以上に、若い鬼村先生(長男のことですョ)は、よく頑張ってくれました。

若くて人生上り坂!の人たちに共通する、仕事に対する情熱と純粋さと誠実さを、垣間見ることができました。

「ほう!やるな~!」と、うれしく頼もしく、また、「若さ」を羨ましくも思いました。

(これを読んでるあなた!なんて親ばか!!とあきれられてると思います。お察しします。ごめんなさい。)

私は子供たちをほめ育てじゃなく、叱ってばかりの間違った子育てをしてきた母親でした。

いろいろ勉強するうちに私の子育て、まちがってたな~!いじけた人間にならなければいいけど・・・と、心配してたのです・・・、

そして昔は、顔を突き合わせただけでけんかしていた私たち親子!だったのよね。ははは・・・

高校を卒業してこの家を出てからは、あまり干渉せず、ただそっと見守ることしかしてなかったのに・・・(なあんて、言い換えれば、ほったらかし!)

私に似て我が強かったから、きっとあちこち打たれ、それなりに苦労して、少しずつ丸くなってきたのでしょう。

わが子であってわが子にあらず。まだまだ未熟で不完全ですが、これからも一人の独立した青年としてその考えを尊重しながら接していきたいと思っています。

(んなこといって、また昔のように大喧嘩するかも)そういう私が一番未熟!?

昨日は気仙沼、今日は石巻、明日は南三陸でしたか?の主人にちょっと明るい話題を提供できました。


初めての親子診療!

2011年06月20日 06時06分03秒 | インポート

昨日は大雨[E:rain]でしたね!

天候不良のため引き返すかも・・・と、言われた福岡からの飛行機[E:airplane]は無事宮崎に着きました。

一方診療を手伝うため、車[E:rvcar]で帰る予定の長男は何時になっても帰ってきません。携帯に連絡しても、運転中でしょうし返事もありません。

インターネットで調べると大雨で高速道路が通行止め!  納得です[E:coldsweats01]

で、帰ってきたのが12時前でしたよ!8時間かかったそうです。

御苦労さま!!

さて、今日は私にとっても初体験ですが、親子で診療します。ちょっとワクワクします。

性格が似ていて(似たもの同志は反発するという法則です)、

子育て中はよくケンカした長男ですが、

お互いちょっと大人!(えっ私も!?)になってるからね!どうかな??

院長も宮城県(気仙沼と石巻)でボランティアがんばってるし・・・、ここは家族でがんばり時[E:wink]

元気出して頑張ります[E:happy01]。感謝感謝[E:lovely]