少しだけ One for All

公的病院の勤務医です。新型コロナウイルスをテーマの中心として、医療現場から率直に綴りたいと思います。

日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (9) 檄文

2021-02-15 22:17:31 | 日記

 ここまで、計測してみるとおおよそ20000文字にもなってしまいました。長々とした文章についていけないよ、という人もいるに違いありません。私の文章力不足のため、よくわからない、という人もいると思います。

 できるだけ多くの人に、今の日本の医療崩壊の本当の本質を知ってほしいのですが、伝わっているか心配になりました。民間病院に矛先を向けるような、そのために2類感染症を5類にしようというような、不毛な議論はすぐにやめ、寝ているふりをしている施設に気づいてもらい、あるべき医療体制を速やかに構築して欲しいと思っています。医療崩壊なんて出来事が、たったこれだけの感染者数で起こってしまうような体制をさっさと一新してもらいたいのです。

 ちょうど今月2月初めからこの文章は書き始めました。入院すらできずに亡くなられた人の報道が連日あり、それはそれは大変な状況でした。そのときに、気持ちの思うままになぐり書きをした文章があります。

 ここまでの文章は、できるだけ冷静に一生懸命説明したものですが、そのなぐり書きは、気持ちのままに書いた荒々しい文章です。いくら冷静に和やかに書いたとはいえ、長くなりすぎると果たしてきちんと理解してもらえるか不安になりました。すると荒々しくなぐり書きしたものの方が伝わることが多い場合もあるのかな、と思うようになりました。

 荒々しい文章は載せまいと思っていたのですが、ある意味、その文章でこそはじめて理解してもらえることもあるのかもしれない、と思い至るようになりました。

 ですので、この章では、あえてその文章を載せてみることにしました。きたない言葉がきらいな人は、どうかここは飛ばしてください。なんだかいろいろ読んできたけど、いまひとつよくわからないな、と思う方は、少しだけ目を通してみてください。

 

 では、、、何かが伝わることを強く願います。

 

 おいこら、そこの大学病院の理事長!おまえらいったい今このときに何やってんだ!?まさか広々とした理事長室で、深々としたソファーに身を沈めて、秘書にコーヒー淹れさせて、「今日のコーヒーはまあまあかな。君もやっと私が飲めるようなコーヒーを淹れれるようになったねえ。」「あら、やだ理事長、おほめいただけて光栄ですわ。ほほほ。」とかって、いちゃつきながら、テレビのコロナのニュースとか見てんじゃないだろうな!?医療が逼迫しているニュースを見て、「困ったことだねえ。」って言いながら、コーヒーすすってんじゃないだろうな!?困ったのはおまえの存在なんだよ!秘書さん、気を遣ってそんなジジイにかまうことはないぞ。沸かしたその熱湯を、心置きなくそのジジイに頭からかけてやってくれ。ポリコレが許さなくても、鬼平がゆるすさ。そんなやついなくなったって日本の医療は全く困らない。むしろそのジジイがいるからこんなことになってるんだ。ゼロどころかマイナスなんだ。いないほうが正しく回るんだ。今この状況になってもまだ動こうとしないその粗大◯み(ピー)。とっとと、その部屋から追い出してやってくれ。私には無理?そう、そりゃあ、秘書さんにたのむことじゃないよね。わかってるんだよ。わかってるんだけど、言わないでおれなかったんだよ。秘書さん、勘弁してください。あなたも大変だ。

 おいジジイ!下々の心ある医師たちが右往左往して、患者さんや不安を抱えた人たちと苦しんでる姿を見ながら飲むコーヒーが、そんなにおいしいか!?おいしいんだろうな。そのためにてめえの権力があると思ってるような下衆なやつだとわかってるよ。だけど言ってやる。言ってもわかんないんだろうけど、言ってやるよ。鬼平のことばだと思って聞け。

 おまえら、なんのために役職を与えられてんだ?おまえに権力集中させている理由はなんだ?おまえが安心してコーヒー飲むためにその権力はあるんじゃないぞ!それが権力の使い方か?美味しいコーヒー飲みたきゃ、スタバにでも行って好きなだけ飲め。金払いたくないなら、オレがサーバーでおごってやるよ。あとで利子つけて請求するけどな。

 え?なんだ?コロナの患者を受け入れてるって?ICUに部屋を作るように指示したって?重症患者を受け入れてるって?なに言ってやがる。それはただ、救急科やICUや麻酔科や内科に仕事丸投げしただけじゃねえか。そんなことで、対応しきれる病気だと思ってるのか!?お前の目はフシアナか?毎日何見て暮らしてる?売り上げだとか経営だとか考えすぎて、とうとう大切な真っ当なこともわからなくなってしまったのか!?社会のために頭を使うこともできなくなってしまったのか!?医療者としての良心もなくしてまったのか!?本当にそうだというんなら、辞めちまえ!お前の医師免許、オレが燃やしてやるよ。

 おい、どうなんだよ、こらジジイ!お前らなんだぞ、今動かなきゃいけないのは。この有事に先頭に立たなかったら、お前はなんのために存在しているんだ?なんのために権力もってるんだ!?そんなに潤沢な医師や看護師たちや圧倒的な施設を持っていて、他の病院たちにまでにらみをきかし、日々えらそうなことをのたまいながら、いざ有事の時にはだんまりで逃げを決め込みか?さすが逃げの姿勢だけはご立派だ。

 スズメの涙のような数の重症病床だけつくって、仕事した気になってんじゃねえよ!その病床すら、日常医療の延長で各科に担当させて、苦労させて白髪増やさせてんじゃねえよ!大学病院で白内障の手術なんか今すんな!骨折の手術なんて今そこでするんじゃねえ!大学病院で白内障できなくても、骨折治療できなくても、ロボット手術できなくても、医療崩壊でもなんでもないんだよ!とっとと他病院でやるように手配しろ!他病院が忙しかったら医師を派遣しろ!それをやったって、医師も看護師もおまえの病院には余るはずなんだよ!余らない!?贅沢言ってんじゃないよ!一般の臨床病院が、少ない医師でどれだけの仕事してると思ってるんだ!人手がないなんてお前が言うなら、天に向けて口開けろ!秘書さんから熱湯もらって流し込んでやるから。さっさとコロナ医療を全学あげて最優先でやれ!

 各科の仕事を尊重している?自分のことだったら科をも超えて目の色変えて指示するくせに?この期に及んで、各科を超えての指示ができないような口をきくな。ならおまえが一回コロナになれ!重症化しても入院もすぐにできないかもしれない、と恐怖にふるえてみろ!そのときお前はどう動く?受け入れ病床がないって断られたらなんて言う?「なんで入院できないんだ?内科が手一杯だったら、内科や集中治療の先生たちに指導さえしてもらえば、他科の先生たちでも診れるじゃないか。そうだ、おれの眼科の医員たちはなにしてる?」そう言うはずだ。そういうことなんだよ!

 目が覚めたら、全科(いいか、臨床の全科だぞ。医師免許持ってる医師が所属している「全科」だ。眼科だけ除くんじゃないぞ!)から医師を集めたコロナ集中治療室設立準備委員会をつくれ。委員長はあんただ。自分の科の仕事が忙しいということを言う奴がいたら、その仕事を精査しろ。研究だったら今はやめさせろ。他病院でできる手術だったら他病院へ回せ。他病院に医師が出向してできる仕事だったら出向させろ。命と社会が最優先だ。使命を思い出せ。有事を自覚しろ。大学病院でしかできない、今やらなければいけない仕事だけ許可しろ。認めたくはないかもしれないが、信じられないほど仕事は少なくなるはずだ。少なくならない?そんなはずはない。嘘つくと熱湯流し込むぞ。救急科、集中治療医、内科、麻酔科の先生たちを現場トップに据えた大きな大きな全科組織を作れ。その人たちが室長だ。眼科のあんたにゃ何もわからないだろうから、現場のトップに口出しすんな。そのかわりに成果だけ持ってけよ。おまえの手柄にすりゃあいいじゃないか。濡れ手に粟のヒーローだぞ。なぜ名誉にさといあんたがやらない?

 おまえの病院の従来からあるICUは全くそのままだぞ。それを転用するんじゃない。片手間にICUを使おうとするから、丸投げだけして、焼け石に水で終わってしまうんだ。大学病院のくせに、そんなことで対応してるふりするな!国難なんだぞ!自分たちの役割を自覚しろ!覚悟決めて、全く新しく、病棟を空にしてコロナ専用の集中治療室をつくれ!まず50床つくれ。病院の半分を空ければできるよ。え?それでは眼科の収入にならないって?他科の先生たちが活躍してしまったら、ボクの理事長の椅子があぶないでしょって?まだそんなこと言ってんのか。熱湯流し込むぞ。だらだら会議ばかりやって、時間が過ぎるのを目論むんじゃないぞ。人員はいるんだ。患者を転院させるだけだ。1週間でできるはずだ。え?他病院から人工呼吸器を移送しようとしたら、固定資産だからできないって言われた?甘えるな。役所にねじこめ!ただの人間が決めた法律だ。特例を認めさせろ。得意技だろ?あくどさや権力者同士の馴れ合いは、こういうときに使え!それなら鬼平もゆるすだろう。それができたら、次は重症100床目指してすぐに機器の手配に入れ。それをして初めてジジイは自分の仕事をしたって言うんだぞ。ジジイがやるべき仕事は、大学病院の片隅に申し訳程度のコロナ病床つくったり、ICUの一角に重症病床つくるような小さな仕事じゃないぞ。あんたの権力は、社会にインパクトを与えることができるくらいの大きな仕事をしなきゃならないときのためのものなんだ。そのための権力だろうが!一般病院にこれ以上コロナで働かせるな!一般病院は地域に密着してて、替えがきかないんだよ!それでもなけなしの人員で、専門医がいなくたって、コロナ対応やってんだよ!日常診療はお前らじゃなく一般病院がこれまでも支えてきたんだ。一般病院に日常診療をやらせろ!今になって「コロナを受け入れると、一般診療ができなくなる」とかって、おまえらが言うな。熱心にやってなかっただろ、そもそもそんなこと。社会にこれ以上不作為で迷惑をかけるな。社会の閉塞感の責任をかりそめでも感じろ!そうしたものを打開する可能性のある、それだけの権力とできる施設があんたにはあるんだよ。その権力をくだらないことじゃなく、正しくつかえ!

 息ひそめて隠れてんじゃねえ!きちんと前に出てこい!

 何もやらなかったら、ほんとのくそジジイだぞ。おれが遠山の金さんだったら、おまえら市中引き回しの上、はりつけ獄門だ!

 言葉が汚い?無礼だ?そんなんじゃ出世に響く?聞き飽きてるよ!耳にタコなんだよ!だから出世もしてねえよ、心配すんな!出世のために医療やってねえよ!一緒にすんな!なめんな!

  医療崩壊、指くわえて見てんじゃねえよ!そんなことしかできないなら、とっとと退場しろ!

 医者になった時のこと思い出せ!中島みゆき聴け!「銀の龍の背に乗って」聴け!歌詞かみしめろ!崖よじ登って龍を呼んだんじゃないのか?これ聴いても何も感じないなら、お前の龍は銀色にはならないよ。もはや医療者じゃない。せめて潔く身をひけ!

 砂漠に雨雲を運ぶ仕事をしろ!ジジイ!

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日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (8) 大学病院の実力

2021-02-15 19:58:13 | 日記

 100床の重症ベッドの箱ができました。一般病院でしたら適切なスタッフが基本的にいません。集中治療医はまずいません。呼吸器内科医も偏在が多い科です。いるとは限りません。そこで、どの科が担当するか?どの医者が中心になって診るか?から話し合わなければなりません。そのような中で、社会状況や患者さんの行き場がない状況を目にして、一般病院はやむにやまれずなんとか重症ベッドを拡張してもいるのです。

 その点、担当科、担当医師に関して、また専門医に関して、さらには担当する医師数に関しても、大学病院は医師の心配をする必要が全くありません何と言っても全科そろっています。全科が必ずそろっている病院は大学病院以外にはないでしょう。そこには、一般病院にはいない集中治療医が必ずいるでしょう。しかも、ふつうに複数人いるはずです。さらには、呼吸器内科医も必ずいます。呼吸器内科として医局をつくっていて(呼吸器内科の医局がない大学病院はないでしょう)、市中病院より多くそろっていることでしょう。さらには救急医や総合診療医もいるでしょう。彼らもコロナの重症患者を担当できる実力を持ちます。さらに麻酔科が大量の医局員をかかえて仕事をしているでしょう。人工呼吸管理できる医師をわざわざ探さなくても、山のようにいます。さらには感染症の専門医もいるでしょう。彼らは重症管理は苦手かもしれませんが、適切で完璧なゾーニングを仕切ってくれるでしょう。感染対策として、スタッフの安全確保も十二分です。

 どうでしょう?こういう病院がなぜ大量の重症ベッドをつくっていないか、不思議に思えてきませんか?同じ社会状況や患者さんの行き場がない状況、医療崩壊が起きている状況を見ているにもかかわらず、一体何をしているのだろう?って思えてきませんか?設備?設備だって超一流ではないですか。

 公的病院で仕事をしている私の現場感覚からすると、この状況下においても、なぜ他人事のように、まるで一般病院と同じであるかのごとく、せいぜい病院の片隅に10〜20床程度の重症ベッドを作って満足しているのか、そんな対応で平然としているのか、大いに疑問を持つものです。なにしろ、医療崩壊に値する出来事まで起きているのです。

 彼らの力を持ってすれば、重症ベッド100床など余裕です。人工呼吸器などは政治の力で今の政府だったら準備してくれるでしょう。集中治療医、呼吸器内科医、救急医、総合診療医、麻酔科医をチーフとし、例えば臨床全科から3人ずつスタッフを供出すれば、チーフ達と合わせてあっという間に60人ほどのコロナの専門医師集団ができます。集中治療が苦手な科であっても、医師として研修しているわけですから、指示があれば人工呼吸器を動かせますし、患者さんの状態把握も十分です。人工呼吸器さえあれば、150床だって、彼らには動かせる力があるでしょう。もともと研修医を手足として使って上手に教育しながらICUは動いています。教育に関して、彼らはそれこそプロです。手足となって働いてもらう各科からの医師だって、研修医より上です。そのうち自分で人工呼吸器や重症管理をマスターして、チーフ達から指示される前に担当患者の治療方針を適切にプランニングしてみせるようになるでしょう。重症患者を診れる医師数がどんどん増えていきます。そうすれば、日常診療の中で重症患者を診ていて疲弊している一般病院へ彼らを手伝いとして派遣すればいいのです。時間がすすめばすすむほど、実力のある医師が増え、医療が底上げされるだけでなく分厚くなっていきます。そのことで、医療者個人の負担も減っていきます。合理的でいいことずくめです。

 これが本来あるべき姿ではないでしょうか?

 これは現実に可能な話です。私は夢物語を話している気はさらさらありません。

 

 そんなに大量の患者さんを集めて、治療評価としてのPCR検査を適宜できますか?院内クラスター対策はできますか?と考える人は、思考の深い人です。でも、心配いりません。大学病院には、何十台も、下手をすると100台単位のPCR機器があります。一般病院のように、臨床検査科(病院の検査施設)にばかり頼る必要もないのです。

 大学病院には、それこそウイルス学教室など、いわゆる基礎研究室が数多あります。基礎研究者にとってPCRは基本のきです。研究室にPCRの機器を持たない研究室などないでしょう。あくまで有事なのです。緊急性のない研究は猶予期間をおき、少なくとも医療崩壊事象がなくなるまで、コロナ診療に全学で力を尽くしましょうという事態なのです。研究をバカにしているのではありません。有事を自覚しよう、ということです。

 さらに臨床の各科にも大学院生がいて、彼らの研究のためにだいたいPCRの機械があります。臨床検査室のみでなく、全学で協力して検査するとなれば、内部だけでどれだけたくさんの検査ができることか。PCRの機械をやっと補助金で買ってもらって、検査室の技師さんに覚えてもらって、日に100件にも満たない検査数を青色吐息でやってもらう、なんて一般病院の環境と大きく異なるのです。機械もあって、PCRをできる技術者も山のようにいるのです。院内クラスターを防ぐための入院患者さんの検査や、職員の検査などもなんだったらそれぞれの科でもできてしまうのです。こんなに院内クラスター対策が可能な病院も市中にはありません。

 さらには、臨床各科の大学院生は医師免許を持っています。研修が終了して、数年経って大学院に入れられて、本当は臨床がやりたいのに、臨床から引き剥がされて、医局のため、教授のため研究している者も大勢です。研究に猶予を与えれば、喜んで現場で働くものも多数います。彼らにとってみれば、集中治療を学ぶチャンスです。さらに、コロナ診療に向き合ったという誇りはプライスレスで、一生彼らの医師人生を深いところで支えてくれるでしょう。このように、大学病院は掘れば掘るほど人材も出てきます。


 どうでしょう?こういう施設が沈黙していることをどうお感じでしょうか?

 このことを知った上で、たとえば先に例として出した北の大学病院のこととかを聞いたら、どう思うでしょうか?私が、思わず急いで即席味噌汁を作って、怒りの気持ちを落ち着けようとしたことも、納得してもらえませんか?

 

 そもそも、大学病院は、一般病院と違って、来院される患者さんの数に合わせてスタッフ数が決められているわけではありません。大学病院であり、教育機関ですから、文科省の教員でもあり、普段から潤沢なスタッフで仕事をしています。それは、いわゆる教授回診なるものを思い浮かべて貰えばいいでしょう。さらに最近は、関連病院の一部を大学化と称して支配下に起き(大学とすればスタッフ数を増やせもするわけです)、田舎の病院から医局員を引き揚げさせ、スタッフ数をさらに潤沢にしている大学もあるのです。日常診療に合わせた人員のみ確保されている一般病院とは、人員、人材、機材、設備等々、全く異なります。

 それでも全く動かないとは、、、なんかだんだん腹が立ってきませんか?(しかも、動こうとした北の大学の病院長を、学長は解任しているのです)これでも、医療崩壊の元凶は民間病院だと思いますか?まだ一般病院の拡充に期待しますか?医療体制のひずみから漏れる音が大きくなって、限界に近づいているのが聞こえてきませんか?

 繰り返しになりますが、今も重症ベッドを作っている大学病院はあると思います(重症ベッドを作っていないところはさらに論外です)。しかしそれは、せいぜい20床ほどではないでしょうか?それは救急科やICUに丸投げして、病院の片隅に重症ベッドを作って、それでコロナ患者を受け入れていますとしているものです。それはスタッフ数が限られた一般病院と同じやり方です。全学体制で、大学病院にしかできないコロナ専門の医師集団を作った大学を、寡聞にして私は知りません。

 現状の大学病院のしている、まるで一般病院と同じような対応に関して言えば、丸投げされている救急科やICUがかわいそうです。大学病院の受け入れベッドが少ないことは、そこを担当している救急科やICUのチーフたちに報道のインタビューがされていて、彼らは気の毒でした。彼らだって、病院が一丸になって協力して多数の患者を受け入れたいはずだからです。報道はインタビューする人を間違っています。その大学の学長や理事長にインタビューしないといけません。なぜ全学体制でコロナ診療に協力しようとしないのですか?と。あなたの権力はなんのためにあるのですか?と、是非きいてほしいものです。

  

 大学病院が全学で重症ベッドに対応する、、、とすれば、夢物語でもなんでもなく、100床単位の重症ベッドが、例えば東京の本郷に出現したとしましょう。本郷に出現すれば、それこそ東京のあちこちの大学病院も後を追うでしょう。東京全体で160床などという、スズメの涙のような重症ベッドが一気に増加し、病診連携が回復し、官民一体となった日本医療の力強さを、そのとき初めて感じることができるのではないでしょうか。そのとき稼働している重症ベッドは、完璧に稼働するはずです。日本の医療の力が思い存分発揮されたものになるはずです。

 

 続きます。

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日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (7) これまでのまとめ

2021-02-14 15:24:45 | 日記

 ここまで(1)から(6)まで書かせていただきました。少し長くなりましたので、これまでの各章を簡単にまとめてみました。少しでも理解の助けになりましたら幸甚です。私の文章力不足で上手くお伝えできていなかったら誠に申し訳ありません。その時は、わからないところはすっ飛ばして読んでいただいて、引っかかる言葉があったら、そこから詳しく目を通して、私の言葉の足りないところを想像力で補っていただけたらと思います。

 

(1)素朴な疑問

・医療を受けることすらできずに亡くなる人を多数生んでしまった。医療崩壊がこの日本で発生しているという重い事実。

・ところが医療界全体が疲弊しているようには現場からは思えない。医療資源が適切に運用・活用されているか、疑問に思う。

・民間病院の受け入れ率が低いと槍玉にあげられてるが、現場からみると、それで解決する問題とは思えない。

・医療現場の実際から、現在の状況を整理し、問題の本質の理解を試みたい。

・その上で、現在のような医療崩壊を生まない本当の医療制度を構築する解決方法を提案したい。

 

(2)圧倒的に足りない重症ベッド

・東京都を例に、治療が必要な実際の感染者総数から重症者数を推量し、実際の重症ベッド数と比較  →重症ベッド数が圧倒的に足りない

・重症ベッドのやりくりのために、すでに命の選別が行われている可能性  →医療崩壊は重症ベッドでも生じている

 

(3)民間病院が手を上げられない理由

・民間病院は重症ベッドが足りないことを知っている

・民間病院が手を上げれない本当の理由は、自院で重症患者を引き受けざるを得なくなることへの危惧である

・医療政策から、民間病院は中等症までを担当し、重症患者は大病院へ転院させる医療連携がすすめられていたため、重症治療は一般の民間病院では困難である

・民間病院の手上げを求めるなら、重症ベッドの十分な確保が必要

 

(4)重症ベッドが潤沢にある世界

・重症ベッドが潤沢にある世界を、実際の医療現場を想定しつつシミュレーション

・重症ベッドが潤沢にあれば、重症ベッドで起きている医療崩壊がなくなるだけでなく、民間病院の手上げも進み、中等症までのベッド状況も大きく改善する 

・入院処置が円滑に進み、保健所業務も軽減され、疫学調査による感染拡大予防が十分にできるようにもなる

・入院が円滑となることで、医療を受けることもできずに亡くなってしまうとういう医療崩壊をなくせる

・つまり、重症ベッドが圧倒的に足りないことが今回の医療崩壊の本質である

・重症ベッド数の少なさがボトルネックとなり、日本医療の強みも破壊している

・重症ベッドが十分に確保されて始めて、官民一体となった、自信あふれる日本の医療体制を復活させることができる

 

(5)重症ベッドをつくれる巨大施設

・現状の一般の大きな病院にこれ以上の重症ベッドを作るのは医療施設の努力の限界であり、困難である

・大学病院にのみ、重症ベッドを潤沢につくれる可能性がある

・大学病院は高度医療を受け持っているので、コロナから守らなければいけない、とする意見を検証する

・昨今の大学病院は売り上げ主義であり、一般病院でもできる医療をせっせとしている実例を挙げた

・このコロナ禍においても、自分の病院の売り上げ主義を優先し、コロナ患者受け入れに手を上げるどころか、受け入れを拒否してみせた愚かな実例を紹介し、大学病院の実状と現実を理解していただいた

 

(6)重症ベッド100床の箱

・大学病院でなされている医療のうち、かなり多くが周辺病院へ移管しても問題ない

・大学病院には関連病院があり、患者紹介は円滑に進む

・患者増で紹介先の病院が人員不足となれば、医局員を送ることもできる

・大学病院は、実は一般病院よりもコロナ患者用の病床を空けやすい施設である

・一般病院は、コロナ患者の受け入れを現状より増やすことは困難だが、日常の臨床医療を拡大することは得意技 日常医療の移管は問題ない

・大学病院はコロナ患者専用の重症ベッド100床を設けることができる施設である

・100床もの重症ベッドを問題なく診療、運用できるか ←次はここの予定です

  

 続きます。

 お時間のゆるすかぎり、どうかお付き合いください。

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日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (6) 重症ベッド100床の箱

2021-02-13 02:36:10 | 日記

 大学病院は、本当に大学病院でしかできない医療しかやっていないのか?という話でした。(言い忘れましたが、私はその北の大学には全く関係ありません。中部地方の勤務医です。ですから、北の大学のその闘いをアピールするためや、その大学内のなにか政治的な意図を画策して、この文章を書いているわけでも全くありません。とてもわかりやすい例だったので、取り上げさせてもらっているだけです。) 

 前章(5)でふれたように、日帰りの白内障手術は大学病院でする必要があるでしょうか?合併症があったり、再手術だったり、アレルギーがあったり、そうした人はもしかしたら民間病院ではない方がよいかもしれません。でも、そうした人はそもそも日帰り手術の対象ではないです。しかもそうした人たちすら、私たちのような公的病院でも十分に手術できるのです。日帰りの白内障手術を大学病院でなければならない理由は全くありません。

 では、大学でやらないようになったら、周囲の病院であふれてしまうのでは?もしそうであれば、医局員なり術者なりを派遣すればいいのです。大学の中にたくさんの医局員を蓄えているのですから。そして、そもそも関連病院に医局員を派遣しているわけですから。大学で手術がなくなった分、医局員を補充に外に出せばいいだけです。受け入れる側の病院は、手術症例数が増えて、大喜びです。

 

 これと同じ構造が、他の疾患にも言えます。

 例えば、骨折の手術をどうしても大学病院でしなければいけませんか?売り上げのためにやっていませんか?他の関連病院でやれませんか?そこが忙しいなら、同じことで医局員ごと派遣すればいいのです。受け入れ先は大喜びで、最大限の準備をすることでしょう。

 例えば手術だったら、ロボット手術すら、今、大学でしないといけませんか?例えば、私の勤務している公的病院でもできます。患者さんを紹介していただけたら、病院は大歓迎でしょう。大学の教授の執刀をご希望なら、教授ごと来ていただいて大歓迎です。私の病院としては、コロナが収束するまで、ずっと教授の手術は当院でやっていただいたら大喜びです。三顧の礼でお迎えするでしょう。

 関連病院に症例を振り分けれること、これも大学病院の力です。医局というものを持っているからです。それに比べて、コロナ診療のために、都立病院や大阪市立病院を空にするのにどれだけの労力を必要としたでしょうか?半ば強引な転院です。全く関連のない医師のところに紹介しないといけない場合もあったことでしょう。大学病院から関連病院への転院なり、症例の移動であれば、同じ医局内の移動です。知ったスタッフが担当します。医療の質もより担保されやすいでしょう。

 

 本当に大学病院でなければいけない、という医療が今どれだけあるでしょうか?その先生でしか診ることができない、というなら、その先生の診察室を関連病院に一時的に移せませんか?東京大学付属病院から、国立がんセンターにがんの診療を移管したら医療レベルが落ちますか?大阪大学付属病院から、国立循環器病研究センターに循環器の病を移管したら医療レベルが落ちますか?

 大学病院で白内障の手術ができないと、医療崩壊ですか?大学病院で骨折の手術ができなかったら、医療崩壊ですか?

 

 もちろん、本当に大学病院でなければ、という医療もあるでしょう。ただ、それはおそらく世間一般の方が思っているよりはるかに少ないはずです。どうしても例えば白内障の手術をやると言うのなら(なんかやると言いそうです。しかも周囲もやらせそう。)第三者を交えた評価委員会を作って、今この非常時に大学病院ですべき手術かを判定して指導する仕組みを作ればよいでしょう。

 

 意外でしょうか?大学病院の病床は空けることができます。やる気があるかないかだけです。トップが決断して、その下にいる各科の長(教授たちですね)が動けば、都立病院や市立病院に空床を作るのよりもはるかに軋轢少なく、しかも現状の医療体制を保ったまま病床を空けることができます。

 

 これが本来の構築するべき日本のこの非常時の医療体制のかたちだと私は考えます。一般病院の日常診療のレベルの高さが日本医療の持ち味です。大学病院の日常診療を周辺病院で受け持ち、大学病院に空床を作り、そこに規模の大きな高水準のコロナ診療センターを設置すること。それが医療の水の流れに沿った、自然な流れです。大学病院は全都道府県にありますから、構築も容易のはずです。大学病院を一般病院のように扱っていることが、そもそも持っている医療体制全体を破壊してしまっているのです。

 

 100床の重症ベッドの「箱」ができました。夢物語に思えますか?やるか、やらないかだけです。忘れないでください。あくまで非常時なのです。国難です。(4)で書かせてもらった、重症ベッドでボトルネックが生じている状態をなくして、官民一体となった日本の医療体制の力強さを取り戻すためなのです。

 

 次は中身の話です。中身も申し分ないものができます。

 

 続きます。

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日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (5) 重症ベッドをつくれる巨大施設

2021-02-13 00:19:22 | 日記

 病診連携の最上流にある大病院に、重症ベッドが潤沢にあればいいわけです。しかし、海外のように、100床や200床の重症ベッドを作っている日本の病院を聞いたことがありません。東京でも重症ベッド数がせいぜい160床と考えられるわけですし。病院ごとに5床とか、10床とか、せいぜい20床とか、それぞれ努力して精一杯の重症ベッドを作って、今の状況です。

 現在のように、重症ベッドが主に地域の基幹病院を中心に設けられている限りこれが限界です。もともとそうした地域の臨床病院は、いくら巨大病院に見えても、日常診療規模に合わせた人員しか確保されていません。さまざまな制約の中で、なんとか重症ベッドを作ったとしても、もともと持っているICUのベッド数を超えるような重症ベッド数など、まず作ることができません。ある意味当然です。そういうところにお願いした結果の重症ベッド数の限界が、現在確保されている数だと考えられます。さらには、コロナの重症診療では、集中治療医の手が必要になりますが、集中治療医が一般病院にいるのは稀です。その中で、一般病院では、診療科の枠を超えて手を取り合って診療していたりもしています。今以上の期待をしても、もう出し尽くしている感が半端なく漂うだけでしょう。疲弊して辞めていくスタッフも出てきている病院の話も聞きます。ある意味、求められすぎて、そのくせ診療状況の改善もなければ、どこかで気持ちにも限界がくるのもわかります。

 

 それでは、100床の巨大重症ベッドをつくれる巨大病院はないのでしょうか?

 私が考えるに、ひとつだけあります。

 大学病院です。

 

 え?大学病院は、一般病院ではできない高等な医療をしているから、医療はコロナだけじゃないんだから、大学病院はコロナから守らないといけないんじゃないの?っていう意見があることは承知しています。

 はたしてそれは本当でしょうか?大学病院は、本当に大学病院でしかできない医療しかやっていないのでしょうか?

 

 ちょうど最近の例で、北の地方の大学で、コロナ患者の受け入れについて、病院長と学長がもめた話がありました。結果、コロナ患者の受け入れを主張した病院長が、コロナ患者の受け入れを拒否する学長に、病院長を解任されました。病院長は、眼科の日帰り手術患者用のベッドをコロナ患者用にしようとしたそうです。それが眼科医である学長の癇に障った、という話を記事で読みました。

 これなどどう考えますか?眼科の日帰り手術患者用のベッド、、、要は日帰りの白内障の手術の類です。ちょっと笑ってしまいませんか?民間病院で普通に日に何件も、私の地域には毎日何十件もその手術を専門にやっている民間病院もあります。そんな手術を大学病院でせっせとやっているのです。それこそその手術は民間病院に任せて、そのベッドはコロナ用に緊急確保して何も問題ないと思いませんか?しかもその時、その地域には緊急事態宣言が発出されて、自衛隊員が投入されていたのです。

 

 ところが、これが笑っている場合ではなく、多くの大学病院の現実です。現在の大学病院は、売り上げ主義です。一般病院と同じような振る舞いをしてはばかりません。眼科の日帰りの白内障手術の保険点数はとても高いのです。国立病院、しかも大学病院という社会性に基づいた、社会貢献という倫理観はあっさりと捨て去られ、自分の病院、もっと言えば、自分の立場を守るために行動してはばかりません。

 現に、学長は病院長を辞めさせることができています。それに対してストップをかけるほかの幹部もいないのです。腐っています。さらに、眼科の日帰りベッドがなくなると、職員のボーナスがなくなるんだぞ、と周囲に言ったともいいます。もう売り上げ主義の極みです。自分の病院のこと、もっと言えば自分の立場しか考えていません。本当の国立病院の長だったら、病院の収入が減るかもしれない(実際は補償が入るので病院の収入は減りません。おそらく、眼科の収入が減ること(すなわち自分の立場の拠り所の「売り上げ」がなくなること)が嫌だっただけです)けど、私が国に掛け合うから、みんなで頑張ってコロナ患者をみて地域を回復させよう、と言うべきところです。、、、そんな大学病院は今はないのです。現実です。

 

 さらにこの学長は、「コロナ患者を受け入れないのがリスク管理」とのたまったそうです。もうこれなど究極です。こんなことを言わせたままにしている、この発言を非難しない幹部たちというのも絶望的です。

 病院のコロナ患者へのリスク管理とは、受け入れた上で感染を起きないように対策を立てることであって、患者を受けないということではありません。患者を受け入れる力を持っているのに受け入れないと言うのであれば、それはもう病院ではないです。しかもそれを「リスク管理」といって悦に入っているとはあきれて言葉も出ません。

 (3)でお話しさせていただいたように、民間病院では、重症化のときに診れないから受け入れられないわけです。しかし、大学病院には、呼吸器内科医も、感染症内科医も、救急医も、集中治療医も全員いるはずです。最新式の人工呼吸器も、体外循環装置(ECMOなど)も、各種モニタリング装置も全部あるはずです。何も足りないものはありません。診れないなんてことはないのです。そこがあえて「コロナ患者を受け入れないのがリスク管理」という異常さを感じていただきたいです。私はこの発言を読んだときには、怒りにふるえてしまい、思わずデスクの上に置いてある即席味噌汁を作って飲みました(気持ちを落ち着かせるためです。味噌汁を飲むと落ち着きます)。今も書いていて少し興奮しすぎてしまっているかもです。ご勘弁ください(味噌汁飲みます。ふう)。

 これは、火事への出動依頼があった消防署の消防署長が、火事場は危険ですからね、といって消防士を派遣しないようなものです。そのあげくに、消防士を派遣しないことがリスク管理だ、と言っているのです。どれだけ阿呆なことを言っているか、わかっていただきたいのですが、飛び抜けて阿呆すぎて、どれだけ言っても足りない気がしてしまいます。そして、消防署を守った、と悦に入ってるわけです。火事の現場では家が燃えてしまっています。

 火事場に消防士を派遣しない消防署長は異常ですよね?ところが、そんな長が上に立ててしまうのが、今の大学病院です。売り上げ主義の結果です。そして悪いことには、文科省(大学なので)か、厚労省か、どっちの仕業かはわかりませんが、今や学長や理事長に圧倒的な権限を与えるようになってしまっています。教授選なしでも理事長や学長の意向で教授を決めれるようにすらなってしまっているのですから。お上手を言う者たちで周囲を固めた様が見えるようです。

 

 売り上げ主義は、日本全国変わりません。例に上げたこの眼科の日帰り手術のことは、この北の大学に特有のことではありません。なんなら「眼科 デイサージャリー」でググッてみてください。旧帝国大学眼科でも誇らしげにやっていることがわかっていただけると思います。本来、わざわざ大学でやる必要のある医療ではないことを、かくも声高に誇らしげに主張するのは、売り上げがあるからだけです。そしてその売り上げだけを評価する、まるで悪徳な院長がいる個人病院と変わらない評価がまかり通っているのが、今の大学病院の悲しいかな現状です。

 嘆かわしいことですが、北の大学は、たまたま勇気ある病院長のおかげ(今、学長辞任を求める署名活動を始めているニュースを見ました。そうでなくてはなりません)で、いかにおかしなことがまかり通っているかが表沙汰になってくれた例です。表に出ないだけで、お上手を言う者で周囲を固めた学長や理事長があちこち、、、ちょっと興奮して、話がそれてしまったかもです。大学病院は、本当に大学病院でしかできない医療しかやっていないのか?という話からでした。元に戻ります。

 

 続きます。

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日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (4) 重症ベッドが潤沢にある世界

2021-02-11 01:38:35 | 日記

 (2)で、重症ベッドが圧倒的に足りていない状況を、(3)では、そのことが巡り巡って、民間病院が手を上げれない本当の理由になっていると考えられることをお話しさせてもらいました。

 重症ベッドが確保できれば解決ですが、現実は十分に確保できず、確保できる見通しもありません。これは現状のシステムでは今が限界であることを示しており、覚悟を持って、どこかシステムを変更しないとこれ以上の重症ベッドはつくれないということだと考えます。

 システム変更には痛みを伴います。でも本当にそのことで状況が大きく改善するならば取り組むべきでしょう。痛みを伴ってでも、システムを変えてでも重症ベッドを確保したほうがよいのか。本当に覚悟を持って取り組む価値があるのか。それを知るために、重症ベッドが今よりも潤沢にある世界を考えてみたいと思います。

 先の(3)で例に上げた民間病院は、せっかく患者さんの重症化の危機を察知しても重症ベッドを持つ病院へ転院させることができなかったわけです。しかし、仮に十分な重症ベッドがあれば、そのようなことは起こりません。具体的に、現在と変わる点はただ一点。「中等症までの入院施設において、入院患者さんの重症化の危険を察知したら、速やかに重症ベッドを持つ病院に転院ができる」というただその一点が変わるだけです。それが重症ベッドが潤沢にある世界です。ただその一点の変化だけで、コロナの診療環境、世界はどう変化するでしょうか?どんな世界ができるのでしょうか?

 

 まず、民間病院の手が上がるようになります。「でも風評被害が心配なんでは?」と思う人もいるかもしれません。もちろんコロナ診療に伴う風評被害の心配はなくならないでしょうが、自院で重症患者が転院もさせれずに亡くなった、ということへの風評被害は心配しなくてよくなります(こちらの風評被害は病院として致命的です)。重症者は適切に転院させることができるわけですから、そんな悲しいことは起きないわけです。

 コロナ診療に伴う風評被害だけであれば、それは一時的なものです。コロナの流行が終われば、なくなります。むしろコロナ診療をすれば、「あそこの病院は逃げなかった」という信頼と名誉が地域に残ります。それこそプライスレス、医療をしているものの誇り、なによりの財産です。その病院は、跡取りがいる限り、地域に受け入れられ続けるでしょう。医療者にしてみれば、自院の医療に集中して邁進すればいいとわかれば、感染防御という困難だって、立ち向かう意志に火をつけるガソリンになります。そもそも医療を志した医療者なのです。この状況でできることがあれば、参画したいに決まっています。火事場から逃げる消防士がいないのは、高い志もあるでしょうが、消防服を着ていることが重要でしょう。消防服がなければ、いかに高い志があったところで、火から遠ざけられるはずです。民間病院にしてみれば、今の状態では、消防服もない状態で火事に飛び込めと言われているのです。消防服がないことを言うと、志はないのか?と斜めの角度から批判を受けているわけです。消防服を与えられて、きちんと援護してくれるなら、目の前で燃え盛る炎にだって飛び込める意志は持っているのです。そして、困難と闘ったことを、なんなら孫の代まで病院の歴史として語り継ぐでしょう。各種補償も行政から支給されて、収入の心配も要りません。ためらう理由はありません。

 私は、次々に手が上がると思います。そのことに楽観的です。重症になるまでは自分の病院で診る、というのはこのコロナで初めてやることではなく、それこそがここまで日本が作り上げてきた医療の形で、民間病院にとってとても自然に受け入れられることだからです。得意分野なのです。ですから、重症者の転院さえしっかりできれば、中等症までの入院施設は驚くほど速やかに十分に確保できると思います。行政もベッド確保には惜しみなく予算を割いていますから、たくさんの入院施設ができると思います。患者さんも近所で入院できるようにもなり、今のように遠方まで保健所などが患者さんを運んだりすることも少なくなり、保健所業務が減るという副産物もついてくるでしょう。

 さらに、すでに中等症までの入院を受けていた病院は、受け入れることができる入院患者の人数を増やすことができます。重症患者を自院で診なければならなくなったとき用にスタッフを確保しておかなくてよくなるからです。中等症の入院患者さんにすべてのスタッフを向けることができるのですから。

  中等症のベッド状況が改善することで、入院待機者も減り、保健所業務は圧倒的に軽減されます。保健所は疫学調査に力を入れる余裕が生まれます。疫学調査は感染者数を減らす武器です。調査がしっかりできれば、感染者数も減るでしょう。

 

 そして、こうしてやっと、入院することもできずに亡くなる、という人がほぼいなくなるでしょう。よっぽどの激症化の人でない限り、そういう事態がなくなります。最初に提示した、無念の医療崩壊の状況をほぼなくすことができるということです。

 

 それにしても不思議に思いませんか?「重症患者の転院がとどこおりなくできる」たったそれだけで、なぜこんなに変わるのでしょう?(変わると思えるのでしょう?)

 理由はいくつか考えられますが、大きいのは、重症ベッドを確保さえできれば、もともと日本が作り上げていた医療体制にのっかることができるからだと思います。本来の日本の医療体制の強みを活かすことができるようになるからです。今は日本の医療体制の強みが消されてしまっています。

 もともと、先の(3)で書かせてもらったように、重症患者さんは大病院で、そうでない患者さんは地域の病院で、と厚労省の政策誘導で住み分けがすすんでいたわけです。そして、病診連携といって、各病院間を連携させるシステムが機能するように作られていました。その連携システムにのっかって、地域の病院から大病院まで、それぞれの病院が補い合いながらそれぞれの特性を活かして、それぞれが最大限の実力を発揮するようになっていました。

 ところがこのコロナ診療では、重症ベッドが少ないことで、この病診連携の流れが滞り、強みである連携システムがほぼ破壊されたような状態になっています。重症ベッドのところがボトルネックとなり、渋滞を起こして機能不全になった高速道路と同じような状態になっているわけです。このボトルネックが解消されれば、すなわち重症ベッドを確保できれば、この病診連携が息を吹き返し、本当の日本の医療の底力を感じることができるようになると私は思います。官民が一体となった自信にあふれた、日本の医療施設配置の強みを存分に活かした我が国の医療体制が戻ってくると思います。

 

 どうお感じでしょうか?何と言っても国難です。私は、日本の強みを活かした医療体制を回復させることを最優先にしては、と考えます。

 だから、たとえ痛みを伴おうとも、覚悟を持って、システムを変更してでも、重症ベッドを確保しにいくべきではないかと考えるものです。

 その覚悟の上で、私の考える、若干のシステム変更をともなう、重症ベッドの確保案を申し述べたいと思います。

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日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (3) 民間病院が手を上げれない理由

2021-02-10 00:55:59 | 日記

 昨日の真夜中に初めて記事(1)(2)をアップして、それから今までに何人か読んでくださった人がいて、記事の下のいいねボタンとか押していっていただいて、、、なんだか感無量です。ありがとうございます。温かいお気持ちに深く感謝申し上げます。なんだか、ほんと、読んでくださる人がいるって、こんなにうれしいことなんですね。ほんとありがたいです。

 この一連の拙文をアップするために、このブログを始めました。新型コロナウイルスの感染者数も減少傾向となってきているので、一旦はブログにするのはやめようと思ったのですが、少し思い直すところがあって、勇気を出して始めてみることにしました。不慣れな点が多く、たどたどしくアップしていくかもしれませんが、もしよろしかったら、お時間のゆるす限り読んでいってください。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 前文(2)で、東京都を例にして、いかに重症ベッド数が絶望的に少ないかをお話しさせていただきました。東京都で用意できている重症ベッド数が、スウェーデンのある一つの大学病院で用意されている重症ベッド数より少ない等々です。まさに、いつでも緊急事態宣言状態になるのも無理はないわけです。

 

 では、この重症ベッドが圧倒的に足りない状況で、行政の求めに応じて、民間病院が手を上げたとしたら、どうなるでしょうか?中小の民間病院の場合、行政との約束は、「中等症までの患者を診てください」となるはずです。その約束で手を上げたとしてみましょう。

 

 患者さんがはじめは軽症や中等症であっても、先の「新型コロナウイルス感染症 診療の手引き 第4版」に従えば、5%の確率で重症の患者さんが生まれるわけです。はじめから重症という人も確かにおられますが、通常は軽症から中等症、重症と進みます。中等症までの入院施設の最重要テーマは、その5%の人を早く見つけ、重症化の兆しをいち早く捕まえて、速やかに重症ベッドを持っている病院へ転院させて救命につなげることのはずです。

 重症化しない患者さんは、極端なことを言えば、酸素を吸ってもらったり、レムデシビルやアビガンを投与したりして、自院でしっかりとした入院治療を受けてもらえます。自院で満足のいく治療ができ、命の心配なく、めでたく退院の日が来ることがほとんどです。感染防御と隔離さえしっかりとすれば、色々と労力はかかりますが、日常医療の延長線上の医療拡大の範囲でほぼ退院に持っていけます。ですから、それらの患者さんには、心配要りません、お任せください、と自信を持って言えるのです。中等症までの入院施設であっても、神経を尖らせるのは、重症化する患者さんなのです。

 ところが、誰がその重症化する人になるかは、見た目だけではわかりません。重症化したら急速に激症化する患者さんも珍しくありません。そのため、すべての患者さんに、酸素飽和度やCT検査などを駆使して、重症化の兆しをいち早く捉えようとします。その結果、危ない患者さんを発見できたとします。重症化の兆しをいち早く見つけることができました。速やかに転院です。

 ところが、転院手続きに入ると、あらゆる病院から重症ベッドが今空いていないと断られるわけです。保健所に相談しても、結局ないものはないとなるわけです。「数日待ってもらえば空くかもしれません。そのときは優先して引き受けますから、なんとかその間貴院でお願いします。」とかって言われたりするわけです。え?今すぐにでも人工呼吸器が必要になるかもわからないのに?何言ってるの?本人や家族にどう説明するの?本人も家族もどんな気持ちだと思いますか?え?え?え?、、、でも、どうしようもありません。結局自院で診ることになります。これ以上、重症化しないでくれ、と祈りながら。「軽症から中等症の患者まで診てください」という約束だったのに、あっさりとハシゴがはずされるわけです。

 

 つまり、重症患者の管理まで想定できる病院でないと、今の状況では手を上げることができないのです。

 じゃあ、民間病院でも重症管理をすればいいじゃないか、と思う人もいるかと思います。普段から人工呼吸器などを準備しておかないのは怠慢じゃないの?と厳しい意見をいう一般の人もいるかもしれません。ところが、制度がそのようになっていません。特に、重症管理については、しっかりとやれる病院施設でない限り、黒字にできないどころか、赤字になるような保険医療の点数になっているのです。

 日本の医療制度は、診療点数を全て厚労省が決めています。点数とは値段だと思って貰えばいいです。厚労省は、その値段設定で、日本の将来を考えた医療制度設計に基づく政策誘導ということをしています。人工呼吸器などを用いる集中治療は大きな病院で、そうではない疾患は民間病院で、と棲み分ける制度設計がされていて、民間病院で重症管理をたまにするくらいだったら赤字になるように、また、大きな病院の集中治療室では回転率を上げたら大きく病院の収入が得られるように点数設定をして、重症治療が必要な患者は大きな病院に自然に集まるようにしているのです。重症者については、病院の選択と集中をすることで、医療の質と効率を上げることを目論んでいるわけです。これは決して厚労省が悪いわけではありません。日本の人口の推移などを考えた上で、現在の日本の医療の皆保険制度が高齢化でも成り立つように20年、30年先まで見据えての政策誘導だったのですから。ただ、運悪くそこにコロナが来てしまったわけです。

 

 例えば重症治療の場合、いろいろありますが、ICUについては看護師の数が非常に多く設定されていて、それを満たさなければ、集中治療の点数はもらえません。それで看護師を雇ってICUを作ったとすると、おおよそ病床回転率を上げて、満床に近い状態をしばしば作るように維持しないと収益が上がらないようになっています。すると、小さな民間病院では、ICUなどできるはずもなく、雇った看護師の給料だけ出ていくことになり、どんなに頑張っても通常の病院経営では黒字にできないような仕組み、保険点数に設定されています。普段から小さな民間病院が人工呼吸器を準備しておくことができるような制度設定がそもそもされていないのです。しっかりとした集中治療室を作るか、全く何もやらないかの選択枝で、そうなると通常の小さな民間病院ではしっかりとした集中治療など現実的ではないわけです。その結果、普段から重症者はICUのある病院へ自然に転院することになるわけです。

 そんな状況なのに、今回のコロナに限って突然に、人工呼吸管理も含めて、貴院で見てください、と言ってこられたって、というわけです。そもそも医療配分の計画から、民間病院で重症治療がしにくいように誘導されていて、そのため素直に重症治療から手を引いて、厚労省の医療制度設計に合うように自院の医療を紡ぎ直していたところだったのです。できない病院が多くて当たり前だと思います。翼を奪っておいて、突然、飛んでください、と言われているようなものです。さらには思わぬところからボールが飛んできて、まるでコロナ患者の受け入れに努力していない不誠実な民間病院たちのように言われ出してもいるわけです。

 奪った翼はどこに持っていかれたのでしょうか?飛ばないといけないというのならば、その翼を奪っていったところが飛ばないといけないのが本当ではないでしょうか?民間病院がこの医療崩壊の元凶だとする記事も目にしました。そうでしょうか?元凶があるとするなら、翼を奪っておいて、飛んでいないところじゃないでしょうか?

 

 私は、この状況で民間病院が手を上げれないのは当然ではないかと思います。手を上げている病院が20%という数字を見て、多いとは思いませんが、少ないとはもっと思いません。民間病院にとってみれば、まさに青天の霹靂だと思います。まるで、現在の問題が起きているのは、民間病院が手を上げないから、との言外の圧力を受けているのは大変気の毒に感じるところです。逆に言えば、それでも手をあげている民間病院は、この状況下であっても重症患者も診る覚悟と設備を持っている、気概のある素晴らしい病院に違いありません。

 

 コロナ患者の受け入れは、公立や公的病院は約80%というデータも、病院数で出しているデータなので不誠実です。病床数から言って、公立病院や公的病院はできて当たり前だからです。やっていない20%をむしろ問題にすべきです。病床数によって、病院ができる医療の力は大きく違います。例えば同じ800床あったとして、病院の持つ総合的な医療能力は、大雑把に言って、

 

 800床の病院 >>>> 400床の病院×2 >>> 200床の病院×4 >>>> 100床の病院×8 >>> 50床の病院×16

 

 という感じです。

 イコールでは決してないし、その差も>が一つくらいの違いではなくで、>>>>となるくらい、大きく能力が異なるのです。

 

 続きます。

 

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日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (2) 圧倒的に足りない重症ベッド

2021-02-09 01:56:14 | 日記

 世間の方々と同じように、公的病院勤務の私も、今のコロナ診療のシステムに閉塞感や息苦しさを感じています。場当たり的で、発展性が感じられず、加えて、すぐに飽和してしまうシステムだからです。本来、この国難に国運をゆだねるようなシステムにはとても思えません。

 私には、大切なことがすっぽりと抜け落ちてしまっているひずんだ現実に見えます。そのひずみがこの場当たり的なシステムを生んでいる元凶だと今は確信しています。この一連の拙文が、多くの人たちの目がその元凶に向く一助になることを願っています。その結果、このひずみが解消され、日本の才能ある医療資源が適材適所に配置された医療体制、本来あるべき希望ある医療体制に一刻も早く生まれ変わることを願っています。

 そのことをご理解いただくために、最初に「重症ベッドが圧倒的に足りない」状況をお話ししたいと思います。文章が回りくどかったり、長かったりしたら、「重症ベッドが圧倒的に足りないんだ」と思って、遠慮なく次章(3)へ跳んでください。お時間のある方は是非お付き合いください。

 ここでは厚生労働省の「新型コロナウイルス感染症 診療の手引き 第4版」から数字を引きます。新型コロナウイルス感染症は、

  • 軽症のまま(風邪症状、嗅覚味覚障害等のみ)治癒する人:80%
  • 呼吸困難や咳など肺炎症状が増悪し、中等症以上に進む人:20%
  • 人工呼吸器など集中治療管理が必要となる重症まで進行する人:5%

です。ですから、例えば東京都で毎日2000人の新規感染者が発表されていたときには、ざっくりと考えて、その中の5%、すなわち100人が2週間後までに重症になっていると予測できていたことになります。1週間ずっと毎日2000人の感染者が生まれれば、1週間の感染者総数は14000人となり、その5%である700人の重症者を生みだす予測になります。それが翌週も続くとなると、、、感染者を日々すごい勢いで増やしていくと、すさまじい数字となることがわかると思います。

 では、現実の東京都の重症ベッドの数は何床でしょうか?HPによると、これを書いている2/1時点で265床です。265床、、、少ない、と感じませんか?先の数字で言うと、ざっくりと1000床くらいは必要だと思いませんか?

 実際の患者数はどうなっているでしょうか?Yahoo ! のコロナ患者数のページによると、2/1時点の東京の感染者数(総感染者数から治療が必要なくなった人(治癒した人や亡くなった人)を引いた人数)は13257人です。13257の5%は663です。265では圧倒的に足りないことになります。あくまで極めて単純化した計算で、実際はベッドの占有期間等々が計算には必要になりますが、それにしても圧倒的に足りないのはわかっていただけるのではないでしょうか。さらには患者さんはここでストップするわけではなく、後から後からやってくるわけです。

 ところが現実はさらに過酷です。この265床でさえ数字のトリックが隠されている可能性があるのです。というのは、行政側が空床補償を支出しているベッド数をカウントしている可能性があります。その説明は長くなるのでここでは割愛しますが、要はゾーニングだったりスタッフ数と労力(コロナ治療は通常の2〜3倍の労力がかかるとされています)から、現実的にベッドはあるけれど、スタッフ数が限界だから入院させれませんよ、と病院が言っている病床も数に加えているかもしれないということです。(「箱がないから患者を受け入れられない。箱を作れ。」というような意見を耳にすることがありますが、それは今の現実を深く捉えていません。現状のシステム下では、「箱はあるけどスタッフがいない。診る人員がいないのだ。」が一般病院の医療現場から見た正しい現実の捉え方です)。実際に、HP上の1/27の東京都の重症者患者数は159人となっています。これだけ見るとあたかも重症ベッドが残り106床空いているように見え、余裕があるかのように感じてしまいますが、1週間前の1/20も重症患者数は160人で、しかもこの数がこれまでの最大数と記されています。ずっと横ばいなのです。ですから、数字上は重症ベッド数は265床となっているものの、現時点で、東京都の現実的な重症ベッド数は160床くらいが飽和数と考えてよいかと思われます。663(13257の5%)など遠く及ばず、1000床なんて夢のような数字です。でもこの新型コロナウイルス感染症は、少なくとも東京では、重症ベッド数4桁の医療設備が必要な疾患なのです。160や265などという数字ではとても闘えない疾患なのです。東京が重症ベッド数160で戦っている、、、これは驚愕の事実です。

 では、あふれているに違いない重症者たちはどうしているのでしょうか。  

 私の周りの治療環境からの推測(私の職場は東京都ではありません)ですが、かなりの現実的なところで、綱渡りの管理が行われていると思います。なかなか申し上げにくいことですが、例えば高齢者だから重症管理を延命処置と考えて施行しないこととする(重症ベッドに転院しない)等々のことでやりくりをしているだろうことです。これが医療の逼迫です。患者さんの事情を優先できず、ベッド数の方が優先されざるをえない事態が生じている可能性が高く、そうなると、すでに命の選別が行なわれているようなものです。医療崩壊は重症ベッドのところでも起きているのです。

 症例数に比して重症ベッドは圧倒的に足りておらず、今すぐにでも多くの重症ベッドが必要であることが理解していただけたら、と思います。重症ベッドがとにかく圧倒的に足りないのです。そして、現実的に160床、行政発表をすべて信じてみせてもせいぜい265床の重症ベッドで対応しているわけですから、すぐに医療は逼迫し、緊急事態宣言が必要になってしまうこともうなずけるのではないでしょうか。重症ベッド数160床なんて、この疾患と戦えるレベルじゃないのです。 

 東京のこのベッド数を知ったら、欧米はUnbelievable ! と言うことでしょう。160床という少ない数で戦っていること、東京にたった160床しか重症ベッドをつくらないことにUnbelievable ! と言うのです。そんな数でコントロールできるのか!?すごいな、、、。ところがコントロールができていないと知ると、こう言うでしょう。Crazy !

 スウェーデンのカロリンスカ大学は、200床のICUを作ったといいます。海外のわずかひとつの大学病院の重症ベッド数にすら及ばないのです。言われても仕方ないでしょう。いかに160床が驚愕の少なさか(しかも世界有数の大都市で)、わかっていただけるのではないでしょうか。そして、民間病院の手上げを促す前に、この160床の中に、どれだけの大学病院の病床が入っているか、もっと言えば、東京都なら、東京大学付属病院の病床がどれだけ入っているか、私は精査すべきだと考えます。

 続きます。

 読んでくれている人がいると信じて。

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日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (1) 素朴な疑問

2021-02-09 01:16:57 | 日記

 新型コロナウイルスの感染拡大とともに、入院困難者が生まれ、自宅療養中の方から死亡者が出る事態となってしまっています。長く保険料を払ってきたにもかかわらず、いざ治療が必要な疾患に罹患したときに、まともな医療すら受けることができずに亡くなられた方の気持ちを思うと、医療関係者として、言葉にしがたく、やるせない気持ちに沈みます。本来医療を受ける資格があった人が医療を受けることすらできなかったこと、しかもそのまま亡くなられてしまったこと、この事実はまさに医療崩壊です。大変な出来事です。医療従事者や医療計画立案者も含め、深く胸に刻み、重く重く受け止めなければならない事実です。

 ところが、世の中を見渡してみると、果たして医療は本当に崩壊しているでしょうか?一般的な医療崩壊のイメージは、ダムが決壊するようなイメージで、耐えて耐えて耐え忍んだ末に、もうどうしようもなくなくなって、最終結果としてダムが決壊してしまう、というイメージではないでしょうか?そのイメージだと、医療を受けることすらままならず亡くなられた方が出てしまっていたら、すでにダムが決壊してしまった状態のはずなので、周囲の医療も壊滅的になっているはずです。ところがそうなっているでしょうか?コロナの混乱のただ中にいる人々にはそう見えてしまうかもしれませんが、慎重に視野を広くして周囲を見回してみれば、たくさんの医療が通常に行われていることに気がつくはずです。そうした病院や診療科は、コロナによる受診控えで赤字だと言っていたりもするわけです。赤字だということは、その病院や診療科は潰れたわけでも飽和したわけでもなく、診療する力があるということです。何かおかしいと思いませんか?はたして今のこの現実は、一般的な医療崩壊のイメージと合っているでしょうか?

 さらに、日本の病床数は世界でも多く(だから厚労省は病床削減に取り組んでいたわけです)、スタッフ数も決して少ないとは言えないはずなのに、なぜ欧米に比べ極めて少ない感染者数で医療崩壊するんだ!?という意見を散見します。でも現場では実際に医療崩壊と呼べる出来事が実際に発生しているわけです。なぜでしょうか?なぜこのような感染者数で、むざむざと自宅療養中に亡くなる方を見送っていかないといけないのでしょうか?

 その答えとして、どうやら今は、民間病院が槍玉に上がっているようです。民間病院が受け入れを増やさなければいけない、との論調が賑やかです。本当にそうでしょうか?本当に、小さな民間病院が手を上げさえすれば、この問題は解決するのでしょうか?そもそも、民間病院に受け入れることができるのは(例外はあるでしょうが)軽症からせいぜい中等症患者までです。それでも手を上げにくいのはなぜでしょうか?さらに言えば、コロナ患者をきちんと入院させて治療している病院には、行政から手厚い支給がされています。きちんとコロナ患者の入院を受け入れている病院がコロナ医療で赤字になることは基本的にありません(それでも赤字を訴える病院はあるようですが、それはその病院特有のさまざまな事情があるのだと思います)。受け入れれば黒字にもなるのに、なぜ民間病院は手を上げにくいのでしょうか?「コロナ病院と言われる風評被害を心配して」と巷に言われたりしますが、本当にそれだけでしょうか?リスクを負って厳しい民間病院経営に乗り出している勇気ある院長たちが、みんながみんなそんな風評被害を心配して弱腰になるような、やわな経営者とは思えません。そもそも地域医療に貢献する想いが全く無ければ、よっぽどおかしな人でない限り、病院経営などというリスクに船出するはずがないのです。気持ちは熱い人たちが多いはずなのです。なぜ手が上げれないのでしょうか?

 私は勤務医です。カテゴリーで言えば、公的病院で働いています。私の病院は、初期から帰国者・接触者外来(今の発熱外来)を設置し、コロナ患者の入院を受け入れています。そうした医療現場にいる者として、先の疑問について、自分の周囲の医療現場やコロナ医療環境の現実から、率直に感じていることを申し述べたいと思います。

 お時間のゆるす限り、ご一読いただけたら幸いです。

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