少しだけ One for All

公的病院の勤務医です。新型コロナウイルスをテーマの中心として、医療現場から率直に綴りたいと思います。

日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (2) 圧倒的に足りない重症ベッド

2021-02-09 01:56:14 | 日記

 世間の方々と同じように、公的病院勤務の私も、今のコロナ診療のシステムに閉塞感や息苦しさを感じています。場当たり的で、発展性が感じられず、加えて、すぐに飽和してしまうシステムだからです。本来、この国難に国運をゆだねるようなシステムにはとても思えません。

 私には、大切なことがすっぽりと抜け落ちてしまっているひずんだ現実に見えます。そのひずみがこの場当たり的なシステムを生んでいる元凶だと今は確信しています。この一連の拙文が、多くの人たちの目がその元凶に向く一助になることを願っています。その結果、このひずみが解消され、日本の才能ある医療資源が適材適所に配置された医療体制、本来あるべき希望ある医療体制に一刻も早く生まれ変わることを願っています。

 そのことをご理解いただくために、最初に「重症ベッドが圧倒的に足りない」状況をお話ししたいと思います。文章が回りくどかったり、長かったりしたら、「重症ベッドが圧倒的に足りないんだ」と思って、遠慮なく次章(3)へ跳んでください。お時間のある方は是非お付き合いください。

 ここでは厚生労働省の「新型コロナウイルス感染症 診療の手引き 第4版」から数字を引きます。新型コロナウイルス感染症は、

  • 軽症のまま(風邪症状、嗅覚味覚障害等のみ)治癒する人:80%
  • 呼吸困難や咳など肺炎症状が増悪し、中等症以上に進む人:20%
  • 人工呼吸器など集中治療管理が必要となる重症まで進行する人:5%

です。ですから、例えば東京都で毎日2000人の新規感染者が発表されていたときには、ざっくりと考えて、その中の5%、すなわち100人が2週間後までに重症になっていると予測できていたことになります。1週間ずっと毎日2000人の感染者が生まれれば、1週間の感染者総数は14000人となり、その5%である700人の重症者を生みだす予測になります。それが翌週も続くとなると、、、感染者を日々すごい勢いで増やしていくと、すさまじい数字となることがわかると思います。

 では、現実の東京都の重症ベッドの数は何床でしょうか?HPによると、これを書いている2/1時点で265床です。265床、、、少ない、と感じませんか?先の数字で言うと、ざっくりと1000床くらいは必要だと思いませんか?

 実際の患者数はどうなっているでしょうか?Yahoo ! のコロナ患者数のページによると、2/1時点の東京の感染者数(総感染者数から治療が必要なくなった人(治癒した人や亡くなった人)を引いた人数)は13257人です。13257の5%は663です。265では圧倒的に足りないことになります。あくまで極めて単純化した計算で、実際はベッドの占有期間等々が計算には必要になりますが、それにしても圧倒的に足りないのはわかっていただけるのではないでしょうか。さらには患者さんはここでストップするわけではなく、後から後からやってくるわけです。

 ところが現実はさらに過酷です。この265床でさえ数字のトリックが隠されている可能性があるのです。というのは、行政側が空床補償を支出しているベッド数をカウントしている可能性があります。その説明は長くなるのでここでは割愛しますが、要はゾーニングだったりスタッフ数と労力(コロナ治療は通常の2〜3倍の労力がかかるとされています)から、現実的にベッドはあるけれど、スタッフ数が限界だから入院させれませんよ、と病院が言っている病床も数に加えているかもしれないということです。(「箱がないから患者を受け入れられない。箱を作れ。」というような意見を耳にすることがありますが、それは今の現実を深く捉えていません。現状のシステム下では、「箱はあるけどスタッフがいない。診る人員がいないのだ。」が一般病院の医療現場から見た正しい現実の捉え方です)。実際に、HP上の1/27の東京都の重症者患者数は159人となっています。これだけ見るとあたかも重症ベッドが残り106床空いているように見え、余裕があるかのように感じてしまいますが、1週間前の1/20も重症患者数は160人で、しかもこの数がこれまでの最大数と記されています。ずっと横ばいなのです。ですから、数字上は重症ベッド数は265床となっているものの、現時点で、東京都の現実的な重症ベッド数は160床くらいが飽和数と考えてよいかと思われます。663(13257の5%)など遠く及ばず、1000床なんて夢のような数字です。でもこの新型コロナウイルス感染症は、少なくとも東京では、重症ベッド数4桁の医療設備が必要な疾患なのです。160や265などという数字ではとても闘えない疾患なのです。東京が重症ベッド数160で戦っている、、、これは驚愕の事実です。

 では、あふれているに違いない重症者たちはどうしているのでしょうか。  

 私の周りの治療環境からの推測(私の職場は東京都ではありません)ですが、かなりの現実的なところで、綱渡りの管理が行われていると思います。なかなか申し上げにくいことですが、例えば高齢者だから重症管理を延命処置と考えて施行しないこととする(重症ベッドに転院しない)等々のことでやりくりをしているだろうことです。これが医療の逼迫です。患者さんの事情を優先できず、ベッド数の方が優先されざるをえない事態が生じている可能性が高く、そうなると、すでに命の選別が行なわれているようなものです。医療崩壊は重症ベッドのところでも起きているのです。

 症例数に比して重症ベッドは圧倒的に足りておらず、今すぐにでも多くの重症ベッドが必要であることが理解していただけたら、と思います。重症ベッドがとにかく圧倒的に足りないのです。そして、現実的に160床、行政発表をすべて信じてみせてもせいぜい265床の重症ベッドで対応しているわけですから、すぐに医療は逼迫し、緊急事態宣言が必要になってしまうこともうなずけるのではないでしょうか。重症ベッド数160床なんて、この疾患と戦えるレベルじゃないのです。 

 東京のこのベッド数を知ったら、欧米はUnbelievable ! と言うことでしょう。160床という少ない数で戦っていること、東京にたった160床しか重症ベッドをつくらないことにUnbelievable ! と言うのです。そんな数でコントロールできるのか!?すごいな、、、。ところがコントロールができていないと知ると、こう言うでしょう。Crazy !

 スウェーデンのカロリンスカ大学は、200床のICUを作ったといいます。海外のわずかひとつの大学病院の重症ベッド数にすら及ばないのです。言われても仕方ないでしょう。いかに160床が驚愕の少なさか(しかも世界有数の大都市で)、わかっていただけるのではないでしょうか。そして、民間病院の手上げを促す前に、この160床の中に、どれだけの大学病院の病床が入っているか、もっと言えば、東京都なら、東京大学付属病院の病床がどれだけ入っているか、私は精査すべきだと考えます。

 続きます。

 読んでくれている人がいると信じて。

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日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (1) 素朴な疑問

2021-02-09 01:16:57 | 日記

 新型コロナウイルスの感染拡大とともに、入院困難者が生まれ、自宅療養中の方から死亡者が出る事態となってしまっています。長く保険料を払ってきたにもかかわらず、いざ治療が必要な疾患に罹患したときに、まともな医療すら受けることができずに亡くなられた方の気持ちを思うと、医療関係者として、言葉にしがたく、やるせない気持ちに沈みます。本来医療を受ける資格があった人が医療を受けることすらできなかったこと、しかもそのまま亡くなられてしまったこと、この事実はまさに医療崩壊です。大変な出来事です。医療従事者や医療計画立案者も含め、深く胸に刻み、重く重く受け止めなければならない事実です。

 ところが、世の中を見渡してみると、果たして医療は本当に崩壊しているでしょうか?一般的な医療崩壊のイメージは、ダムが決壊するようなイメージで、耐えて耐えて耐え忍んだ末に、もうどうしようもなくなくなって、最終結果としてダムが決壊してしまう、というイメージではないでしょうか?そのイメージだと、医療を受けることすらままならず亡くなられた方が出てしまっていたら、すでにダムが決壊してしまった状態のはずなので、周囲の医療も壊滅的になっているはずです。ところがそうなっているでしょうか?コロナの混乱のただ中にいる人々にはそう見えてしまうかもしれませんが、慎重に視野を広くして周囲を見回してみれば、たくさんの医療が通常に行われていることに気がつくはずです。そうした病院や診療科は、コロナによる受診控えで赤字だと言っていたりもするわけです。赤字だということは、その病院や診療科は潰れたわけでも飽和したわけでもなく、診療する力があるということです。何かおかしいと思いませんか?はたして今のこの現実は、一般的な医療崩壊のイメージと合っているでしょうか?

 さらに、日本の病床数は世界でも多く(だから厚労省は病床削減に取り組んでいたわけです)、スタッフ数も決して少ないとは言えないはずなのに、なぜ欧米に比べ極めて少ない感染者数で医療崩壊するんだ!?という意見を散見します。でも現場では実際に医療崩壊と呼べる出来事が実際に発生しているわけです。なぜでしょうか?なぜこのような感染者数で、むざむざと自宅療養中に亡くなる方を見送っていかないといけないのでしょうか?

 その答えとして、どうやら今は、民間病院が槍玉に上がっているようです。民間病院が受け入れを増やさなければいけない、との論調が賑やかです。本当にそうでしょうか?本当に、小さな民間病院が手を上げさえすれば、この問題は解決するのでしょうか?そもそも、民間病院に受け入れることができるのは(例外はあるでしょうが)軽症からせいぜい中等症患者までです。それでも手を上げにくいのはなぜでしょうか?さらに言えば、コロナ患者をきちんと入院させて治療している病院には、行政から手厚い支給がされています。きちんとコロナ患者の入院を受け入れている病院がコロナ医療で赤字になることは基本的にありません(それでも赤字を訴える病院はあるようですが、それはその病院特有のさまざまな事情があるのだと思います)。受け入れれば黒字にもなるのに、なぜ民間病院は手を上げにくいのでしょうか?「コロナ病院と言われる風評被害を心配して」と巷に言われたりしますが、本当にそれだけでしょうか?リスクを負って厳しい民間病院経営に乗り出している勇気ある院長たちが、みんながみんなそんな風評被害を心配して弱腰になるような、やわな経営者とは思えません。そもそも地域医療に貢献する想いが全く無ければ、よっぽどおかしな人でない限り、病院経営などというリスクに船出するはずがないのです。気持ちは熱い人たちが多いはずなのです。なぜ手が上げれないのでしょうか?

 私は勤務医です。カテゴリーで言えば、公的病院で働いています。私の病院は、初期から帰国者・接触者外来(今の発熱外来)を設置し、コロナ患者の入院を受け入れています。そうした医療現場にいる者として、先の疑問について、自分の周囲の医療現場やコロナ医療環境の現実から、率直に感じていることを申し述べたいと思います。

 お時間のゆるす限り、ご一読いただけたら幸いです。

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