少しだけ One for All

公的病院の勤務医です。新型コロナウイルスをテーマの中心として、医療現場から率直に綴りたいと思います。

日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (6) 重症ベッド100床の箱

2021-02-13 02:36:10 | 日記

 大学病院は、本当に大学病院でしかできない医療しかやっていないのか?という話でした。(言い忘れましたが、私はその北の大学には全く関係ありません。中部地方の勤務医です。ですから、北の大学のその闘いをアピールするためや、その大学内のなにか政治的な意図を画策して、この文章を書いているわけでも全くありません。とてもわかりやすい例だったので、取り上げさせてもらっているだけです。) 

 前章(5)でふれたように、日帰りの白内障手術は大学病院でする必要があるでしょうか?合併症があったり、再手術だったり、アレルギーがあったり、そうした人はもしかしたら民間病院ではない方がよいかもしれません。でも、そうした人はそもそも日帰り手術の対象ではないです。しかもそうした人たちすら、私たちのような公的病院でも十分に手術できるのです。日帰りの白内障手術を大学病院でなければならない理由は全くありません。

 では、大学でやらないようになったら、周囲の病院であふれてしまうのでは?もしそうであれば、医局員なり術者なりを派遣すればいいのです。大学の中にたくさんの医局員を蓄えているのですから。そして、そもそも関連病院に医局員を派遣しているわけですから。大学で手術がなくなった分、医局員を補充に外に出せばいいだけです。受け入れる側の病院は、手術症例数が増えて、大喜びです。

 

 これと同じ構造が、他の疾患にも言えます。

 例えば、骨折の手術をどうしても大学病院でしなければいけませんか?売り上げのためにやっていませんか?他の関連病院でやれませんか?そこが忙しいなら、同じことで医局員ごと派遣すればいいのです。受け入れ先は大喜びで、最大限の準備をすることでしょう。

 例えば手術だったら、ロボット手術すら、今、大学でしないといけませんか?例えば、私の勤務している公的病院でもできます。患者さんを紹介していただけたら、病院は大歓迎でしょう。大学の教授の執刀をご希望なら、教授ごと来ていただいて大歓迎です。私の病院としては、コロナが収束するまで、ずっと教授の手術は当院でやっていただいたら大喜びです。三顧の礼でお迎えするでしょう。

 関連病院に症例を振り分けれること、これも大学病院の力です。医局というものを持っているからです。それに比べて、コロナ診療のために、都立病院や大阪市立病院を空にするのにどれだけの労力を必要としたでしょうか?半ば強引な転院です。全く関連のない医師のところに紹介しないといけない場合もあったことでしょう。大学病院から関連病院への転院なり、症例の移動であれば、同じ医局内の移動です。知ったスタッフが担当します。医療の質もより担保されやすいでしょう。

 

 本当に大学病院でなければいけない、という医療が今どれだけあるでしょうか?その先生でしか診ることができない、というなら、その先生の診察室を関連病院に一時的に移せませんか?東京大学付属病院から、国立がんセンターにがんの診療を移管したら医療レベルが落ちますか?大阪大学付属病院から、国立循環器病研究センターに循環器の病を移管したら医療レベルが落ちますか?

 大学病院で白内障の手術ができないと、医療崩壊ですか?大学病院で骨折の手術ができなかったら、医療崩壊ですか?

 

 もちろん、本当に大学病院でなければ、という医療もあるでしょう。ただ、それはおそらく世間一般の方が思っているよりはるかに少ないはずです。どうしても例えば白内障の手術をやると言うのなら(なんかやると言いそうです。しかも周囲もやらせそう。)第三者を交えた評価委員会を作って、今この非常時に大学病院ですべき手術かを判定して指導する仕組みを作ればよいでしょう。

 

 意外でしょうか?大学病院の病床は空けることができます。やる気があるかないかだけです。トップが決断して、その下にいる各科の長(教授たちですね)が動けば、都立病院や市立病院に空床を作るのよりもはるかに軋轢少なく、しかも現状の医療体制を保ったまま病床を空けることができます。

 

 これが本来の構築するべき日本のこの非常時の医療体制のかたちだと私は考えます。一般病院の日常診療のレベルの高さが日本医療の持ち味です。大学病院の日常診療を周辺病院で受け持ち、大学病院に空床を作り、そこに規模の大きな高水準のコロナ診療センターを設置すること。それが医療の水の流れに沿った、自然な流れです。大学病院は全都道府県にありますから、構築も容易のはずです。大学病院を一般病院のように扱っていることが、そもそも持っている医療体制全体を破壊してしまっているのです。

 

 100床の重症ベッドの「箱」ができました。夢物語に思えますか?やるか、やらないかだけです。忘れないでください。あくまで非常時なのです。国難です。(4)で書かせてもらった、重症ベッドでボトルネックが生じている状態をなくして、官民一体となった日本の医療体制の力強さを取り戻すためなのです。

 

 次は中身の話です。中身も申し分ないものができます。

 

 続きます。

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日本の医療崩壊の本質 勤務医の現場から (5) 重症ベッドをつくれる巨大施設

2021-02-13 00:19:22 | 日記

 病診連携の最上流にある大病院に、重症ベッドが潤沢にあればいいわけです。しかし、海外のように、100床や200床の重症ベッドを作っている日本の病院を聞いたことがありません。東京でも重症ベッド数がせいぜい160床と考えられるわけですし。病院ごとに5床とか、10床とか、せいぜい20床とか、それぞれ努力して精一杯の重症ベッドを作って、今の状況です。

 現在のように、重症ベッドが主に地域の基幹病院を中心に設けられている限りこれが限界です。もともとそうした地域の臨床病院は、いくら巨大病院に見えても、日常診療規模に合わせた人員しか確保されていません。さまざまな制約の中で、なんとか重症ベッドを作ったとしても、もともと持っているICUのベッド数を超えるような重症ベッド数など、まず作ることができません。ある意味当然です。そういうところにお願いした結果の重症ベッド数の限界が、現在確保されている数だと考えられます。さらには、コロナの重症診療では、集中治療医の手が必要になりますが、集中治療医が一般病院にいるのは稀です。その中で、一般病院では、診療科の枠を超えて手を取り合って診療していたりもしています。今以上の期待をしても、もう出し尽くしている感が半端なく漂うだけでしょう。疲弊して辞めていくスタッフも出てきている病院の話も聞きます。ある意味、求められすぎて、そのくせ診療状況の改善もなければ、どこかで気持ちにも限界がくるのもわかります。

 

 それでは、100床の巨大重症ベッドをつくれる巨大病院はないのでしょうか?

 私が考えるに、ひとつだけあります。

 大学病院です。

 

 え?大学病院は、一般病院ではできない高等な医療をしているから、医療はコロナだけじゃないんだから、大学病院はコロナから守らないといけないんじゃないの?っていう意見があることは承知しています。

 はたしてそれは本当でしょうか?大学病院は、本当に大学病院でしかできない医療しかやっていないのでしょうか?

 

 ちょうど最近の例で、北の地方の大学で、コロナ患者の受け入れについて、病院長と学長がもめた話がありました。結果、コロナ患者の受け入れを主張した病院長が、コロナ患者の受け入れを拒否する学長に、病院長を解任されました。病院長は、眼科の日帰り手術患者用のベッドをコロナ患者用にしようとしたそうです。それが眼科医である学長の癇に障った、という話を記事で読みました。

 これなどどう考えますか?眼科の日帰り手術患者用のベッド、、、要は日帰りの白内障の手術の類です。ちょっと笑ってしまいませんか?民間病院で普通に日に何件も、私の地域には毎日何十件もその手術を専門にやっている民間病院もあります。そんな手術を大学病院でせっせとやっているのです。それこそその手術は民間病院に任せて、そのベッドはコロナ用に緊急確保して何も問題ないと思いませんか?しかもその時、その地域には緊急事態宣言が発出されて、自衛隊員が投入されていたのです。

 

 ところが、これが笑っている場合ではなく、多くの大学病院の現実です。現在の大学病院は、売り上げ主義です。一般病院と同じような振る舞いをしてはばかりません。眼科の日帰りの白内障手術の保険点数はとても高いのです。国立病院、しかも大学病院という社会性に基づいた、社会貢献という倫理観はあっさりと捨て去られ、自分の病院、もっと言えば、自分の立場を守るために行動してはばかりません。

 現に、学長は病院長を辞めさせることができています。それに対してストップをかけるほかの幹部もいないのです。腐っています。さらに、眼科の日帰りベッドがなくなると、職員のボーナスがなくなるんだぞ、と周囲に言ったともいいます。もう売り上げ主義の極みです。自分の病院のこと、もっと言えば自分の立場しか考えていません。本当の国立病院の長だったら、病院の収入が減るかもしれない(実際は補償が入るので病院の収入は減りません。おそらく、眼科の収入が減ること(すなわち自分の立場の拠り所の「売り上げ」がなくなること)が嫌だっただけです)けど、私が国に掛け合うから、みんなで頑張ってコロナ患者をみて地域を回復させよう、と言うべきところです。、、、そんな大学病院は今はないのです。現実です。

 

 さらにこの学長は、「コロナ患者を受け入れないのがリスク管理」とのたまったそうです。もうこれなど究極です。こんなことを言わせたままにしている、この発言を非難しない幹部たちというのも絶望的です。

 病院のコロナ患者へのリスク管理とは、受け入れた上で感染を起きないように対策を立てることであって、患者を受けないということではありません。患者を受け入れる力を持っているのに受け入れないと言うのであれば、それはもう病院ではないです。しかもそれを「リスク管理」といって悦に入っているとはあきれて言葉も出ません。

 (3)でお話しさせていただいたように、民間病院では、重症化のときに診れないから受け入れられないわけです。しかし、大学病院には、呼吸器内科医も、感染症内科医も、救急医も、集中治療医も全員いるはずです。最新式の人工呼吸器も、体外循環装置(ECMOなど)も、各種モニタリング装置も全部あるはずです。何も足りないものはありません。診れないなんてことはないのです。そこがあえて「コロナ患者を受け入れないのがリスク管理」という異常さを感じていただきたいです。私はこの発言を読んだときには、怒りにふるえてしまい、思わずデスクの上に置いてある即席味噌汁を作って飲みました(気持ちを落ち着かせるためです。味噌汁を飲むと落ち着きます)。今も書いていて少し興奮しすぎてしまっているかもです。ご勘弁ください(味噌汁飲みます。ふう)。

 これは、火事への出動依頼があった消防署の消防署長が、火事場は危険ですからね、といって消防士を派遣しないようなものです。そのあげくに、消防士を派遣しないことがリスク管理だ、と言っているのです。どれだけ阿呆なことを言っているか、わかっていただきたいのですが、飛び抜けて阿呆すぎて、どれだけ言っても足りない気がしてしまいます。そして、消防署を守った、と悦に入ってるわけです。火事の現場では家が燃えてしまっています。

 火事場に消防士を派遣しない消防署長は異常ですよね?ところが、そんな長が上に立ててしまうのが、今の大学病院です。売り上げ主義の結果です。そして悪いことには、文科省(大学なので)か、厚労省か、どっちの仕業かはわかりませんが、今や学長や理事長に圧倒的な権限を与えるようになってしまっています。教授選なしでも理事長や学長の意向で教授を決めれるようにすらなってしまっているのですから。お上手を言う者たちで周囲を固めた様が見えるようです。

 

 売り上げ主義は、日本全国変わりません。例に上げたこの眼科の日帰り手術のことは、この北の大学に特有のことではありません。なんなら「眼科 デイサージャリー」でググッてみてください。旧帝国大学眼科でも誇らしげにやっていることがわかっていただけると思います。本来、わざわざ大学でやる必要のある医療ではないことを、かくも声高に誇らしげに主張するのは、売り上げがあるからだけです。そしてその売り上げだけを評価する、まるで悪徳な院長がいる個人病院と変わらない評価がまかり通っているのが、今の大学病院の悲しいかな現状です。

 嘆かわしいことですが、北の大学は、たまたま勇気ある病院長のおかげ(今、学長辞任を求める署名活動を始めているニュースを見ました。そうでなくてはなりません)で、いかにおかしなことがまかり通っているかが表沙汰になってくれた例です。表に出ないだけで、お上手を言う者で周囲を固めた学長や理事長があちこち、、、ちょっと興奮して、話がそれてしまったかもです。大学病院は、本当に大学病院でしかできない医療しかやっていないのか?という話からでした。元に戻ります。

 

 続きます。

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