東京都の、とある区の、とある町の、とある交差点の、とある更地の土地。
ココに、私の家族の店舗併用住宅が建ちます。
計画は進行中、建築も進行中です。
私の所有の土地でも建物でもありません。
私は、とある家族の娘さんと3年前に結婚し、
そのお嫁さんの家族と暮らしています。
サザエさんで言うと、マスオさんの立場です。
一般的に新築は祝い事です。
私自身、建築設計と言う仕事を、日々のゴハンのために、やっておりますが
依頼者、建築主、クライアントは、たいへんな貯金をして、
人生かけて、我が城を建てます。
頑張った自分へのご褒美です。祝い事です。
ですが、少々この建築計画に至る事情は複雑でした。
3年前私がマスオさんと成り、住み始めた、とある場所、妻の家族と住んでいた
場所は駅前でした。
そこには既に、駅前の再開発計画がありました。
例えで言うと、六本木Hるズのような高層ビル。。
自分の資産を有利に進めたい推進派と、
そこにある自分の建物に住み続けたいと言う反対派、
そこの場所には、人間と企業の強欲、金への執着、人への疑いの気持ち
その一区画が、人間関係をむちゃくちゃにしていました。
そこで、まず、自分のとるべき行動は、家族を守ることでした。
妻と義母、高齢のお婆ちゃん、の意見は、
1番に現在の土地に、今の建物に住み続けたい、ここで死にたい、でした。
高齢者が、戦争前から住みなれたこの地を移動させられたら
さぞかし、負担は大きいだろう
2番目に高層のマンションには住めない、自分の所有している土地建物が
コンクリートのマンションになり、土地は無く、通常のマンションのように
資産が、建築年数により償却してしまう、再開発ビル特有の資産の変換。
このカラクリをここで全部は書けないが、
再開発計画をツブす、計画が進行したら転出を考える。
方針は決まりました。
後は建築設計をしている、自分の職種を活かし、他の反対派の人の先頭に立ち
反対活動をしていきました。仕事をしながらの反対活動は大変なものでした。
実質まる2年反対活動をしましたが、力及ばず、計画は進み、住まいは壊され
仮住まいになり、土地を探し、やっと見つけ、建築設計をして、
施工会社と契約し、工事着工になりました。
文にすると、短く、簡単になってしまいますが、
それはそれは、大変でした、人間の嫌なところをたくさん見るし、
しかし、良い出会いがたくさんあったし、励ましもたくさんいただいた。
何より家族が世代を超え一致団結した。
再開発計画には負けたが、
面積も小さくなったが、次に住む土地を見つけ、
私自身で、高齢者のお婆ちゃんが住み良い家を計画し
義母と妻が商売が続けられる店舗を小さくても計画し
そこに家族が安息して生活できる住居を計画し
自分もそこに住まわせていただく、と言う、設計をさせていただき、
この職業に就いて、良かったと思いました。
設計も、建築も大変なこの時期。
心も身体も、しんどかったけど、二度とあんな目には遭いたくないけど、
こうやってみんな前へ進むのだな、と、
最近は思うようになりました。
無事に建物が完成し、家族が引越しでき、商売が復活できるまで
あともう少し、頑張ります。
追伸:妻のほうは、今までの母との店舗をグレードアップさせる為に
カフェの学校に行き、勉強中です。
めったに経験できないお店の再建と言う、経験をブログに記事にしています
ブックマークに貼り付けておきますので、
カフェオープンまでの経過を見てくださいまし