早良親王と怨霊
講師:鈴木 明子先生
12月14日(月)10時~12時
早良親王
750~785年。父は光仁天皇、母は高野新笠で同母兄に、桓武天皇
幼少時に出家
桓武天皇の即位にともなって還俗して皇太弟となる
藤原種継暗殺事件の嫌疑をかけられて皇太弟を廃され、幽閉ののち死亡
怨霊となる
僧侶としての前半生は?/なぜ皇太弟となったのか?/事件の背景は?/なぜ怨霊と認識されたのか?
(1)生い立ち
①誕生
父:白壁王
母:高野(和)
※山部王(のちの桓武天皇)737年誕生
早良王 750年誕生 山部王より13歳年少
②天武系皇統と天智系皇統
奈良時代:皇位は天武→文武(天武の孫)→聖武(文武の子)→孝謙(称徳、聖武の子)
=天武系皇統で継承
③出家
東大寺羂索院(けんじゃくいん、法華堂)に入り、11歳で出家
(2)父と兄の即位
①天武系皇統の断絶
称徳(孝徳)天皇(聖武天皇と光明皇后の娘)は未婚の女帝→天武系皇統の直系の
皇位継承者なし
②良弁の後継者早良親王
良弁と連携して東大寺の修造に尽力
③還俗
781年
(3)長岡京遷都
①遷都前後の出来事
②遷都理由
(4)藤原種継暗殺事件
①藤原種継(造長岡宮使 長岡京への遷都にかかわる中心人物)
②暗殺計画と処分
③事件の背景
早良親王は東大寺の高僧であった異色の皇太弟
当時12歳になっていた安殿親王(桓武と皇后藤原乙牟漏の長子)の立太子をのぞむ桓武天皇
等との対立
(5)早良親王の怨霊
生母、皇后の相次ぐ死
皇太子安殿親王の病気
(6)長岡京廃都、平安京遷都
①長岡京完成せず
②廃都理由
水害、立地の問題、早良親王の怨霊
(7)平安京における御霊信仰
863年 神泉苑で官民一体となった御霊会を開催
祀られた怨霊の筆頭に崇道天皇(早良親王)
御霊信仰の盛行:上御霊神社、下御霊神社
次週12月21日(月)の講義テーマは「蝦夷の首領アテルイ,モレと坂上田村麻呂」