ONCC 8期 敗者から見た古代史

~古代史の通説を敗者の立場から読み解く~

早良親王と怨霊

2020年12月15日 | 日記

早良親王と怨霊

講師:鈴木 明子先生

12月14日(月)10時~12時

 

早良親王

 750~785年。父は光仁天皇、母は高野新笠で同母兄に、桓武天皇

 幼少時に出家

 桓武天皇の即位にともなって還俗して皇太弟となる

 藤原種継暗殺事件の嫌疑をかけられて皇太弟を廃され、幽閉ののち死亡

 怨霊となる

僧侶としての前半生は?/なぜ皇太弟となったのか?/事件の背景は?/なぜ怨霊と認識されたのか?

(1)生い立ち

 ①誕生

  父:白壁王

  母:高野(和)

 ※山部王(のちの桓武天皇)737年誕生

  早良王   750年誕生  山部王より13歳年少

 ②天武系皇統と天智系皇統

  奈良時代:皇位は天武→文武(天武の孫)→聖武(文武の子)→孝謙(称徳、聖武の子)

       =天武系皇統で継承

 ③出家

  東大寺羂索院(けんじゃくいん、法華堂)に入り、11歳で出家

(2)父と兄の即位

 ①天武系皇統の断絶

  称徳(孝徳)天皇(聖武天皇と光明皇后の娘)は未婚の女帝→天武系皇統の直系の

  皇位継承者なし

 ②良弁の後継者早良親王

   良弁と連携して東大寺の修造に尽力

 ③還俗

   781年

(3)長岡京遷都

 ①遷都前後の出来事

 ②遷都理由

(4)藤原種継暗殺事件

 ①藤原種継(造長岡宮使 長岡京への遷都にかかわる中心人物)

 ②暗殺計画と処分

 ③事件の背景

  早良親王は東大寺の高僧であった異色の皇太弟

  当時12歳になっていた安殿親王(桓武と皇后藤原乙牟漏の長子)の立太子をのぞむ桓武天皇

  等との対立

(5)早良親王の怨霊

  生母、皇后の相次ぐ死

  皇太子安殿親王の病気

(6)長岡京廃都、平安京遷都

 ①長岡京完成せず

 ②廃都理由

  水害、立地の問題、早良親王の怨霊

(7)平安京における御霊信仰

  863年 神泉苑で官民一体となった御霊会を開催

      祀られた怨霊の筆頭に崇道天皇(早良親王)

  御霊信仰の盛行:上御霊神社、下御霊神社

 

次週12月21日(月)の講義テーマは「蝦夷の首領アテルイ,モレと坂上田村麻呂」

 

 

 

 

 

 



最新の画像もっと見る