国際

国際

教師目指し模索した、水耕栽培で就労支援の29歳

2015-02-17 03:03:57 | キャリア・教育
教師目指し模索した、水耕栽培で就労支援の29歳 

小林弘樹(こばやし・ひろき/NPO法人えん事務局長)

 

  • <noscript></noscript>経営者と支援者の二足のわらじで若者に寄り添う小林氏
  •   「カッコつけたいくせに、へこんだり、落ち込んだりする自分を成長させたい。心にゆとりを持った支援と経営をしたい」

      そう話すのは、水耕栽培を通じた就労支援を展開するNPO法人えん(三重県伊賀市)事務局長の小林弘樹(29歳)だ。

    将来の夢は教師

     

      高校教員の父親と専業主婦の母親。2歳と5歳下の弟2人の5人家族。兵庫県加西市で生まれ育った。勉強もでき、率先して学級委員長などに手を挙げる目立ちたがり屋の少年だった小林の将来の夢は教師だった。しかし、中学に入った頃から変わっていく。

      髪の毛の色を変え、耳にはピアスをつけた。彼女もできた。勉強に興味を失い、高校に入ると目に見えて成績は落ちていく。「成績別にクラスが分かれていたのですが、最上位のAクラスから順調に最下位のDクラスまで下がったのは僕を含め学年で2人だけでした」と笑う。

      高校2年の進路を決める時期、「親を含め身近な職業は教師か美容師くらいしか思いつかなかった」という小林は、成績不振を理由に教師を諦め、美容師になるため専門学校に進むことを希望する。しかし、受験勉強をする友達を見て、「やっぱり夢だった教師を目指したい。勉強して大学進学しよう」と、高校3年生の秋にようやくスイッチが入る。

    浪人して教育大に進学

     

      それから半年間、小林は勉強に集中するも希望する大学は不合格だった。進路担当の先生、両親と相談し、浪人を選択。翌年、兵庫教育大学学校教育学部初等教育教員養成課程学校教育系コースに合格する。毎年の教育実習のなかで小林が忘れられないのが、1回生のときの実習先である特別支援学校だ。生まれて初めて重度の障がいを持つ小学生と出会い、「コミュニケーションが取れない。触れていいのかもわからない。彼らの想いを想像するのが大切だと指導を受けたが、何をしていいのかすらわからなかった」と振り返る。

      大学生活は、居酒屋で深夜までアルバイト。朝は起きられず、日中の講義も寝てしまう。4回生時に受けた教員採用試験は、1次の筆記試験にすら通らなかった。一般企業への就職は頭になく、卒業後の進路が決まらない不安に駆られていた小林に転機が訪れる。

    共同生活型支援施設でインターンシップ

     

    • <noscript></noscript>現場では若者に寄り添い、ともに汗を流す

        不登校や引きこもりの若者に共同生活を通じた自立支援を行うNPO法人自然流自立塾NOLA(奈良県吉野町)がスタッフを募集している、との情報がゼミの後輩から届いたのだ。教員という仕事をあきらめきれない小林は、すぐにNOLAへ見学に訪れた。そこで、前代表の佐藤透氏が言う「子どもたちの心を軽くするだけにとどまらず、自立のための力をつけなければならない」という言葉に感銘を受け、即座に「卒業後、まずは1年間インターンシップをさせてほしい」と願い出た。

        24時間365日一緒に暮らす共同生活型の支援施設では、さまざまな人間関係の交錯、出会いと別れがあり、喜怒哀楽が訪れる。そのなかでも小林は寮生を怒ることに抵抗があった。しかし、モラルやルールを守れない寮生にNOLAのスタッフは本気で怒っている。「怒るのは疲れるし、嫌われるかもしれない。でも、そんなことは関係ないんですね。寮生の自立、将来に本気だからこそ怒れるし、怒るんだと」

        同年夏に小林は教員採用試験を受けている。筆記試験は通過したものの、2次の面接試験で不合格となった。「自分は何がしたいんだろう」と思い悩む小林は、研修として富山にある共同生活型支援を行うNPO法人北陸青少年自立援助センターPeaceful Houseはぐれ雲で1か月間過ごした。「地域企業と連携をして就労体験をかなりやっていました。お米を作り、流通販売も手掛けており、このような生産販売と自立支援を両立する団体を作ってみたい」と漠然と思うようになった。

      ニートの相談支援員となるも物足りず

       

      • <noscript></noscript>水耕栽培を通じて作物と若者を育む(写真は青梗菜)

          NOLAでの修業も2年目を終えようとしていた。25歳となった小林は、佐藤氏から三重県の伊賀市社会福祉協議会がニート状態の若者に相談ができる支援員を探していることを聞き、「あれこれ考えるるだけで行動しない自分自身に、何かきっかけが欲しい」と支援相談員の採用面接を受け、2011年4月1日から正式に採用、配置された。

          しかし、若者と汗を流し、生活をともにしてきた小林には、部屋の中で机を挟んでの対面相談や室内でのワークショップは物足りなかった。そこでNOLAやはぐれ雲で提供している職場実習型の支援を伊賀でもできるのではないか、と上司に相談した。すると、障がいを持っているひとたちに職業体験の場を提供している水耕栽培の企業を紹介してもらえた。「農場には障がいを持たれている方が複数いて、すごく楽しそうに働いていた」という光景を目の当たりにした小林は、水耕栽培というフィールドを活用して、障がい者や若者に就労訓練を提供できるのではないかと考える。

        農業技術を身に付け、NPOを立ち上げる

         

        • <noscript></noscript>三つの地域で事業展開をしている

            高校3年時に大学進学を目指して以来、人生で2度目のスイッチが入った。改めて上司と相談し、同年9月から週4日間を水耕栽培の現場で働かせてもらえるようになった。半年後の4月からは本格的に起業準備をしながら、農業技術を身に付け、さらに困難や課題を抱える若者の支援方法を学んだ。

            それから1年後の12年4月10日、小林はNPO法人えんを立ち上げ、事務局長に就任する。理事長として物事を背負い過ぎるより、少しでも動きが取りやすい立場で事業を開始した方がよいと判断したからだ。法人設立から3年目のいま、職員は8名となり活動エリアも三重県伊賀市、亀山市、そして奈良県天理市へと広がった。すでに多くの若者が就職を果たしている。

          自分ももっと成長したい

           

            ある20代の男性が印象的だという。彼は働いて貯(た)めた資金で車を購入した。と同時に、仕事を辞めて何もしない日々を送っていた。小林は彼と出会い、「毎日暇じゃない? よかったら一緒に水耕栽培をしてみないか。暇つぶしでもいいから」と声をかけた。自己中心的な言葉を口にしながらも通ってくる彼も、参加から1か月半たった頃、「どうせ体を動かすのであれば仕事をします。お金ももらえるし」と仕事に就いた。現在は、パートナーとの結婚資金を貯めるべく働いているという。

            働くための場を作った小林の物語には続きがある。「いま、子どもたちの遊びの場を作ろうと準備しています。遊びを通じて僕も子どもたちと成長したいし、いつかは学校という学びの場を作ることが当面の目標です。たくさんのひとに学びや成長につながる場を提供していきたい。そして、自己中心的で申し訳ないのですが、そのような場を通じて、会社も僕自身も、もっと成長したいと考えています」

            (次回は12月23日ごろ掲載予定です)


コメントを投稿