納得いかないので、「広辞苑」を開いてみました。
「風物詩=季節の風景をうたった詩
季節の眺めをうたった詩」とあります。
一年の半ばを無事に過ごせたことを感謝し、お世話になった方々を訪問するときの手土産;
それが今「お中元」と言われているものの本来の形だったと思います。
衣服をあらため、風呂敷に包んだ品物を持っての訪問;
持参したものを渡すのにも、守るべき作法があった・・・
その時代なら、「風物詩」という表現も出来たでしょう。
ところが今は、宅急便で戸口に届けられて、相手の顔を見ることはおろか、場合によっては思い出すことすらない・・・
「風物詩」とは程遠い現象になってしまっています。
ところで私は、近くの店などで簡単に手に入るものを届けるために、
わざわざ包装し、人手を煩わせ、ガソリンを費やし、交通渋滞の原因を増やすことに
あまり乗り気にはなれません。そこで、たまたま、ちょうどこの時期に旬を迎え
この時期にだけ手に入る自然の恵み「さくらんぼ」(もちろん国産)を
ごく少数の本当に贈りたい相手に送ることにしています。
「風物詩=季節の風景をうたった詩
季節の眺めをうたった詩」とあります。
一年の半ばを無事に過ごせたことを感謝し、お世話になった方々を訪問するときの手土産;
それが今「お中元」と言われているものの本来の形だったと思います。
衣服をあらため、風呂敷に包んだ品物を持っての訪問;
持参したものを渡すのにも、守るべき作法があった・・・
その時代なら、「風物詩」という表現も出来たでしょう。
ところが今は、宅急便で戸口に届けられて、相手の顔を見ることはおろか、場合によっては思い出すことすらない・・・
「風物詩」とは程遠い現象になってしまっています。
ところで私は、近くの店などで簡単に手に入るものを届けるために、
わざわざ包装し、人手を煩わせ、ガソリンを費やし、交通渋滞の原因を増やすことに
あまり乗り気にはなれません。そこで、たまたま、ちょうどこの時期に旬を迎え
この時期にだけ手に入る自然の恵み「さくらんぼ」(もちろん国産)を
ごく少数の本当に贈りたい相手に送ることにしています。
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