奥崎謙三 神軍戦線異状なし

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第一五章 類い希なる鑑賞会

2008-02-06 15:36:00 | 奥崎謙三物語
控訴された広島高裁にて「ゆきゆきて神軍」の上映が許可された。当の主人公である奥崎は、未だに映画の完成を見ないままであったのだ。上映には記者席をも含めると傍聴人も三十人は優に収用できる一番大きな法廷が用意された。本来は地裁が使っているのに本日のビデオ上映のために特に高裁が転用したというだけあってかなり広い。型通りだが正面に高く三人の裁判官席、対面が被告席、その右側の弁護人席に馬渕弁護士と同じ事務所の若い弁護士および司法修習生の三人が坐り、左側の検事席には検察官が一人、そして肝心のビデオ受像機は三十三インチといかにも巨大に、裁判官席の向かって左側の通常なら証人席があるところに堂々とと据えられていた。
腰縄を打たれ手錠を架けられた奥崎謙三被告が六、七人の看守に囲まれながら左側の扉から入廷してきた。二時をやや回って村上保之助裁判長ら三人の裁判官が入廷すると、一連の「起立、着席」があって直ちに開廷すると思いきや、馬渕弁護士からの要請で奥崎謙三の開廷に先立つ発言がます許可された。

そしてここで、弁護団を通して原監督らから差し入れられた『ゆきゆきて、神軍』のポスターを上映に先立って披露したいという趣旨で、
「ポスターを傍聴席にも掲示したい」
と奥崎は要求したが
「当法廷は映画館ではない」
村上裁判長はにべもなく拒絶した。ここでまたまた奥崎謙三が起立して発言を求めるのである。上映に先立って出演者でもある被告としてぜひ一言したいので、十分間の時間をくれとの要求が押し問答の揚句に五分間に値切られて奥崎が言うには、『ゆきゆきて、神軍』は内外を問わず非常に好評で多くの意見が出されているが、そのことごとくは「ただ映画を撮りたいがために撮った」原監督ら製作者側と同様に、根本的に間違っている。たとえば「映画旬報」(「キネマ旬報」)を読むと、自分(奥崎謙三)の行動を天皇の戦争責任の追及だとか戦後史の暗部の発掘だとかに結びつけて理解しようとしているようだが、決してそうではない。自分はあくまでも「神の法」に基づいて行動しているのであって、それ以外の何ものでもないと、奥崎謙三は文字通り口角泡を飛ばしながら長広舌を振るうのだ。

この「神の法」という奥崎謙三の思想のキーワードは『ゆきゆきて、神軍』でも頻出するので、『田中角栄を殺すために記す』から引用すると、楠正成の「非理法権天」を誤りとして斥ける奥崎はアナグラム風に「非法権理天」の旗印を掲げて、すなわち「非は法に勝てず、法は権に勝てず、棒は理すなわち「神の法」と、天すなわち神に勝てず」となるが故に、「今後は、『権』と、『権』が捏造した『法』よりも、『理』なる「神の法」と、『天』なる神に対して、忠実に生きる」と昂然と述べている。
これを要するに奥崎謙三は自ら「神の法」の代理人として行動しているのであり、映画製作もあくまでもその一環なのだから小賢しい批評的言辞などクソ食らえということになる。五分の制限時間をオーバーしたあたりで村上裁判長が制止した。奥崎の裁判は毎回このような形で心証を害したものになる。

「私はビデオというものを見るのは今日が初めてだ」
奥崎は感慨深げに言った
「だから特別大きなテレビにした」
裁判所にしては、なかなか粋な計らいだ。普通ではこうはいかない。こうして二時間に及ぶ上映会の幕が開けたのであった。
開廷前も開廷後も一貫して法廷をリードしてきた奥崎謙三は、一言でいえばビデオ上映中は終始冷静でありただ一度の発言を除けば感情の起伏を見せなかった。
しかし、異変が起こった。三十分ほど経過して奥崎謙三が江田島へ島本イセコを訪ねて行くシーンであり息子の島本政行一等兵を自ら埋葬したことをひとり残された老婆に霊前で報告した奥崎が、墓前で「岸壁の母」を歌った老婆もろとも肩を寄せ合って、「合羽からげて三度笠……と歌い出した瞬間であった。思わず起立した奥崎は、正面の裁判官席に向かって短く鋭く言った。
「よーく見ておけよ。このおかあさんを!」
そうだ。島本氏の母親は既にこの世にはいないのだ。奥崎は島本氏の母親を無理矢理誘拐してまでもニューギニアに連れて行こうとした経緯がある。村上裁判長は冷ややかに、
「許可なく発言すると退廷させるぞ。映画が見られなくなってもいいのか」
奥崎謙三は崩れ落ちるように着席し、力なく
「気を付けるので最後まで見させて下さい」
二時間は一気に過ぎ去った。村上裁判長が証拠調べの終了を宣し、次回の被告人尋間の期日を十月二十九日午後と提示して馬渕弁護士が了解した時も、奥崎謙三は一個の観客として維持していた姿勢のまま一言も発しなかった。裁判官たちが正面扉から退廷し、傍聴席もまたガヤガヤしはじめてからも、奥崎謙三は被告席の机上に自ら飾ってまさしく同行二人で『ゆきゆきて、神軍』を見つづけたシズミ夫人の写真を物静かに仕舞い、再び看守たちに手伝わせて裁判資料の山を片付けている間の最中、なぜか終始無言であった。
原が人混みを分けて被告席との境の欄にまで進み出ても、手錠を架けられ腰縄を打たれた奥崎謙三は入廷時と同様にほとんど無表情で原監督らにコクリと頭を下げ、それは扉を出る時と廊下を通る時のガラス窓越しと都合三回にわたって繰り返されたにもかかわらず、自ら出演した映画をまさにいま見終わったばかりの第一声を、当の製作者たちを前にしてさえ発しなかった。
「ゆきゆきて神軍」は奥崎にとっては妻のシズミの墓標であったのだ。映画上映から三ヶ月後、広島高裁からの棄却判決が下った。判決要旨はこうだ。


昭和六二年(う)第六五号
判決
本籍 兵庫県 三木市 口吉川町 槇 五一一番地
住居 神戸市兵庫区荒田町二丁目二番一六号
バッテリー販売業 奥崎謙三
大正九年二月一日生
右の者に対する殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締違反、火薬類取締法違反被告事件について、昭和六二年一月二八日広島地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から適法な申し立てがあったので、当裁判所は検察官加藤圭一出席の上審理をして、次の通り判決をする。

主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決拘留日数二八〇日を原判決の本刑に算入する。
当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人馬渕顕及び同前川秀夫連名の控訴趣意書二通記載の通りであるから、ここにこれらを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次の通りである。

一 控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、原判決は、原判示第一の犯行(以下「本件犯行」という)の動機について、現在の社会構造は自然の法に背理するものであるとの独自の世界観を有していた被告人が、これを改革するためには自己の思想を社会全体に知らしめる必要があると、常々考えていたところ、その実現のために世間の注目を集める行動を起こし、その結果、自己の著書を読んで貰うなどしてその普及の一助にしようと考え、太平洋戦争中自己が所属していた中隊の中隊長村本政雄が、終戦直後の昭和二〇年九月上旬頃、敵前逃亡の名目で部下の兵二名を適正な手続を履践することなく銃殺した行為に責任者として関与していたとして、同人を殺害することによって右目的を達成しようと企て、右村本政雄方に赴いたが、応対に出た同人の長男村本和憲(当時三六歳)から父親は不在である旨告げられたため、いっそのこと政雄の身代わりとして、右和憲を殺そうと決意した旨認定したが、本件犯行の動機には右のような村本政雄の問題や天皇の責任問題等について多くの人の注目と認識を呼び起こしたいとの思いが含まれていたから、原判決は事実を誤認したものであるというのである。
そこで検討するに、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、被告人が原判決の動機に基づき本件の犯行に及んだことを優に肯認することができ、当審における事実取調の結果も右認定を左右するに足りない。被告人は、捜査段階、原審公判及び当審公判において、所論と異なり、原判示の動機に基づいて本件犯行に及んだ旨、繰り返し、且つ、一貫して供述しているところ、被告人の右供述は、被告人が村本政雄の不在を告げられるや、ためらうことなく直ちに初対面の村本和憲に銃弾を浴びせていること(本件犯行の動機に所論の動機が含まれていたとすれば、村本政雄の所在を尋ねたり、探したりするのが自然であると考えられる)や、本件犯行の日として、世間の注目を集めるため、当時兵庫一区から立候補していた衆議院議員選挙の選挙運動期間中の日として選んでいること、或いは、本件犯行日、本件犯行日に引き続き神戸で、当時、自己同様兵庫一区から右選挙に立候補していた石井一らを殺害したり、神戸新聞社長宅に放火する計画を立てており、その準備もある程度していたことなどの事実を無理なく説明できる上、原審及び当審に証拠として提出された被告人の世界観に関する膨大な量の書面等に照らしても、十分信用できるというべきである。もっとも、本件犯行により、或いは本件犯行に至る経緯について、映画が制作されたことなどにより、多くの人に村本政雄の問題等、所論指摘の問題について考える機会を与えたことは否定しないが、それはあくまで結果であって、これをもって被告人の動機と言うことは出来ない。論旨には理由がない。

二 控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は、要するに、原判決の量刑不当を主張する者である。
そこで検討するに、本件は、被告人が、(一)原判示第一の通り、前記の動機に基づき、回転弾倉式改造拳銃一丁を携帯して、前記村本政雄宅に赴いたところ、応対に出た同人の長男村本和憲から父親は不在である旨告げられたため、政雄の身代わりとして右和憲を殺そうと決意し(所論は殺意の存在に疑念を差し挟むけれど、本件犯行に使用された回転弾倉式改造拳銃及び実包は、それぞれの機能を有し、人畜を殺傷する威力を有するものであること、後記の本件犯行の態様、被害者の傷害の部位・程度及び、被害者が死亡するに至らなかった原因に照らせば、被告人に殺意があったことを認めるに十分である)、所携の右改造拳銃を発射して、弾丸一発を同人の左前胸部に命中させたが、収容された病院で緊急手術が行われたため、同人に対し加療約3ヶ月間を要する左前胸壁貫通創、心室貫通創、左上下葉貫通創の傷害を負わせた程度に止まり殺害の目的を遂げず、(二)原判示第二のとおり、その際右改造拳銃一丁及び火薬類である実包四発を所持したという事案である。本件は、前記目的のため村本政雄をその標的と定めた被告人が、数ヶ月も前から何回も同人方を訪問してその様子を探り、凶器として改造拳銃を入手し、或いは犯行前日にマスコミ関係の二〇人近い人に、速達郵便で犯行に臭わせるなどの周到な準備をした上なされたもので、計画的且つ大胆不敵な犯行であり、その犯行態様も前記改造拳銃で三〇センチメートル余りの至近距離から被害者の心臓を狙って撃ち、そのため弾丸は、被害者の心臓及び肺臓を貫いており、幸い一命を取り留めたのは、救急車により収容された病院で、たまたま開始されようとした他の患者の開胸手術に代えて直ちに手術が行われたためであって、危険極まりない悪質な犯行と言うべきである。のみならず、被告人は自己の前記目的のための標的として村本政雄を選び、しかも同人に出会わなかったことから、たまたま応対に出た被害者を殺害しようとしたのであって、目的のためには手段を選ばない、すこぶる自己中心的な犯行であるばかりではなく、何ら落ち度のない被害者にとっては、行きずりの殺人に等しい犯行と言うべきで、犯情甚だ悪質というほかない。加えて、前記のような本件犯行の動機や、被告人には相当以前ではあるが、殺人罪により懲役一〇年に処せられた前科がある上、その後も本件と同様の目的による暴行罪や、猥褻図画頒布罪の前科が二回あることなどに徴すると、被告人には再犯のおそれもあるというべきである。以上の点に未だ被害者に慰藉の方途が全くなされていないことや、被告人に反省の態度がみられないことなどを併せて考えると、被告人の刑責は極めて重いと言うべきであり、本件犯行は幸いにも未遂に終わったこと、被告人が本件犯行に至ったのは悲惨な戦争体験によるところが大きく、その意味で被告人も戦争被害者の一人であると考えられること、被告人の年齢等、所論指摘の事情を十分考慮しても、被告人を懲役一二年(求刑懲役一五年)に処した原判決の量刑はやむを得ないところで、重きに失して不当であるとは認められない。論旨には理由がない



よって、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中二八〇日を原判決の本刑に算入し、当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により、その全部を被告人に負担させることとして主文の通り判決する。

昭和六二年一二月一七日
広島高等裁判所第一部
裁判長裁判官 村上保之助
裁判官 谷岡武教
裁判官 平弘行

奥崎は最高裁に上告するも棄却される。遂に刑が確定し、昭和六二年一二月熊本刑務所に下獄した。昭和天皇が崩御したのはその一ヶ月後のことであった。