奥崎謙三 神軍戦線異状なし

奥崎謙三ファンサイトです

第一二章 ニューギニアへ

2008-02-06 15:23:32 | 奥崎謙三物語
 昭和五五年参議院選挙で自身の立候補に対する投票もせぬまま、奥崎は西ニューギニア戦没慰霊祭に前出の井出孫六氏と共に旅立つ。かの地は政情不安定であったのだが、井出氏の実兄が国会議員でもあることにより、入国許可が下りやすくなったのだろう。旅行は六泊七日の日程で、インドネシアの首都ジャカルタから、西イリアンの首都ジャヤプラを経由する行程である。
西イリアンとはニューギニア島の西半分。かつてはオランダ植民地だったが、現在ではインドネシア領で、パプア州(二〇〇二年まではイリアンジャヤ州)と呼ばれている。オランダ領からインドネシア領に移行する間の七ヶ月間、国連暫定統治機構(UNTEA)による暫定統治が行われ、国連西イリアン保安隊(UNSF)が停戦監視と治安維持のために派遣された。奥崎は、その道中ショッキングな話を同行者から聞くことになる。
 同行者は、アメリカ軍の攻撃を受けて、後方基地に敗走する途中で、
「飢えをしのぐために日本兵の肉を食べた」
と、淡々と告白した。他の同行者からも、
「捕虜としていたアメリカ兵を、台湾高砂族の軍属がくれというので引き渡したら、翌日になると肉の多くを切り取られていた死体に変わっていた」
という体験談も聞くことになる。奥崎は食欲をなくすと共に、ニューギニアで日本軍はかなりの人数で人肉を食べていたという事実を痛感する。この事実は奥崎の名を世に知らしめさせる「ゆきゆきて神軍」の一大ファクターとなろうとは、当の奥崎も到底、気づかなかったのではないだろうか。
 この旅で奥崎は、祖国に帰りたくても帰れない無念の思いで餓死した戦友を偲ぶため、もう一度西イリアンへ再訪することを堅く心に刻む。次回はジャカルタを経由せずにポートモレスビー経由で行き、大戦中に自分が彷徨い歩いたコースと同じ場所を歩く心づもりであった。