奥崎謙三 神軍戦線異状なし

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第一七章 神軍凱旋

2008-02-06 15:37:45 | 奥崎謙三物語
 一九九七年八月二〇日、午前五時。府中刑務所の前には報道陣がチャーターしたタクシーが数台停車している。釈放の瞬間を目撃しようとした一般人も数名おり、今かと待ちかまえている状態だった。三〇分後に通用門が開き、ヨロヨロと出てきた老人。それが奥崎だった。腰は「くの字」に曲がり、やや痛々しい。歯も抜け落ちて総入歯だ。軍服調にあしらった看護服を身にまとっている。胸には「GWCA万人が一様に生きるゴッドワールドを作る会 神軍平等兵」と書かれている。もうそこには以前の勇姿はなかった。
テレビカメラに向かって奥崎はまくし立てた。
「ありがとうございます。朝早くからご苦労様です。神軍平等兵、奥崎謙三、ただ今凱旋いたしました。」
「私のようなマズいツラを撮っていただいて感謝いたします。光栄です皆様、お礼を申し上げます皆様、皆様は罪人なんですね、神様の法律では。私は国家の法律では罪人ですけど、神様の法律では公人なんです、私は」
「私がこういう一般の犯罪者であれば皆様にお迎え頂けません。一般の国民であればこういうお迎えもいただけません。私は特殊犯罪者、特殊国民なんですね。つまりね、国家・法律に最も従わず、古今東西でね、最も神様に従ってきたんです。医学・法律・政治・国家これは全てインチキです。皆さんはまた間なんですね。だから皆さんは人からも尊敬されません。だから皆さんはもっと本当のことを知ってください。」
「私は一二歳の頃から住み込み店員で二〇軒も三〇軒も住み込み店員になりました。兵隊に行くときも誰にも挨拶せずに一人で行きました。この世界では一様には生きられないです。ゴッドタウンというのは、モデルは刑務所なんですね、ところが刑務所じゃないわけですね、塀もなければ鍵もなく、衣食住一体です。通勤・通学・一切無いです。ラッシュアワーも何にもないわけです。」
次第に取材陣が色を失っていく。その空気を奥崎は感じるや
「みなさま、私の言うことは全部受け止めずに、どうか取捨選択して書いてくださいね」
フォローを入れていた。奥崎の放免祝いの場はファミレスに移された。奥崎は取材陣に気を遣い、
「何か召し上がってください。もっとお金があれば、良い物を御馳走できるんですが、独居房で四年間働いて六万円貰ったので、一人千円位のモノしか御馳走できませんがね」
刑務所で作業すると、作業賞与金というなにがしかの金が貰える。受刑者はこれを元手に社会復帰を目指すが、いかんせん少なすぎる。受刑者からピンハネした賃金は全て国庫に納入されるシステムだ。奥崎の会話は止まらない。隣で一緒に食事していた見沢知廉氏にも
「あなたは文学賞を取ったからといってね、何も偉くないんです。しかし、きれいな顔をされてますね、こういう美男子とはあまり、お目に掛かったことは無いんです。ホモホモされているんじゃ?」
見沢氏はたじたじとなる。見沢氏は高校の時から新左翼組織に加入し活動していたのだが、三島由紀夫の自決を機に右翼に転向。新右翼組織、一水会で活動中、殺人事件を起こた。逮捕され、 懲役一二年の判決を受け、川越少年刑務所と千葉刑務所と八王子医療刑務所で一九九四年一二月まで服役。八王子医療刑務所の懲罰房で三千日(八年近く)のあいだ服役していた。暗号を使って外部にいる母親と連絡を取り合い、少しずつ原稿を母親に渡し、爪の先に火をともすような努力をしながら、小説を発表し文学賞を受賞した経緯がある。見沢は奥崎に大変興味を示していたのだ。
食事を終えた奥崎は府中刑務所に舞い戻り、骨壺から妻のシズミの骨を取り出して、かじり始めた。守衛は敷地から出て行くように促すが、奥崎は
「逮捕するならしてみろ」
と、意に介さない。これは奥崎なりの刑務所との決別の儀式であったのだろう。翌日、奥崎は「ゆきゆきて神軍」の上映館であったユーロスペースを訪れた。社長は驚きの様子だったが、奥崎節が吠える。
「私はスーパースターになりたいんです。なれると思うんです。だからね、まずはこんな奇抜な格好をして人目を引く。そして、「ゆきゆきて神軍」のフィルムを持って全国を公演するんです。「ゆきゆきて神軍」は動員一〇万人、「全身小説家」は動員三万人だったと、プロデューサーの小林さんから聞いてます。嘘つきミッちゃんより、正直者ケンちゃんですよね」
「全身小説家」とは原一男監督が、平成四年五月にガンで亡くなった小説家・井上光晴の晩年の五年間を追ったドキュメンタリー。映画は、彼が文学活動の実践の中心に据えた伝習所に集まった生徒たちの語るエピソードや、文壇で数少ない交友を持った埴谷雄高、瀬戸内寂聴らの証言を通して、井上光晴の文学活動を捉えるとともに、撮影開始直後に発覚したガンと闘う姿を生々しく撮り続ける「ゆきゆきて神軍」とは、また違った切り口のドキュメンタリーフィルムである。九四年度キネマ旬報日本映画ベストテン第一位に選ばれた。奥崎は更に飛ばし続ける
「私はコレ(小指を立てる)を見つけたい。恋愛に年の差はないんです。こんなこと思っているから妻が夢に出てこなくなったんですよ」

出所から三日後の八月二三日(土)、新宿ロフトプラスワンで奥崎の凱旋会見がとりおこなわれた。実は杉並公会堂で開催予定であったのだが、出所日の前日であると言うことで、主役の奥崎が不在であることが明らかになり中止となった。にも関わらず、三〇〇人もの奥崎ファンが駆けつけたのであった。支援者が奥崎に入れ歯の補強剤を渡すと、


「こういうものは舞台に上がる前にキチンとしとかなぁ。ここで恥はかきたくなかったです。」
ロフトプラスワンでの奥崎は明らかに不機嫌であった。何故なら自分の凱旋講演は一千人規模のホールを希望していたのに、ロフトプラスワンのキャパは一五〇人。期待を裏切られた気持ちになったのだろう。奥崎は会場で重松氏をなじる。当時キャパ四〇〇人の杉並公会堂でも気に入らないのだ。一千人規模のところになると会場費も相当なものになる。奥崎の収入はゼロであるのに、なかなか支援者の手弁当で会場を抑えるのは難しい。無理難題である。といっても既に新宿文化センターの大ホールを断られているので、どうしようもない。
「誰があんな小さいところ借りろと言ったの。入る入らないの問題じゃないんだ」
更に奥崎を不機嫌にさせる出来事が起こる。見沢氏とその母親が会場から姿を消したのだ。実は奥崎は見沢氏の母親に好意を寄せていた。見沢知廉の「獄の息子は発狂寸前」を奥崎は獄中で読んで感激。獄の息子を叱り、励まし、五〇〇通もの手紙を書き続けた見沢の母。こんな素晴らしい女性はいない。日本女性の鑑だ。と涙を流して読んだという。
 更には、「この女性と結婚しろと」と神の啓示もあったと周囲に漏らす。奥崎は七七歳、見沢氏の母は六五歳。同じ申年だし、年回りもいい。刑務所を出たらすぐに結婚したい。そう思い詰めていたという。
「あの方は帰られましたか、私の憧れの女性は」
支援者が、急用があったので帰ったと答えると激変した様子で
「こんなチャンスは二度と無いんだ。だからこいつのように、顔のエエ奴はダメなんだ。俺の欲しいのは精神的美人なんだ。美人というのは女だけではない。男だって人と書くんだからね。そりゃ精神美人であると同時に肉体美人の方が結構なんですけど。」
「私お金あったら、皆さんに幾らかでも差し上げたい。だから聞きたくない方はお帰り下さい。かえりたけりゃ皆帰れ。帰れ言うんで。帰れ帰れ帰れ。気にいらん奴は」
おそらく振られてしまったことで、恥ずかしいところをこれ以上見られたく無かったのだろう。奥崎節は続く。
「もう随分ムリしてるんです。私は、これもね、娑婆に出る前に、一番最初に皆さんに、こんな少ない人じゃなくて、千名の皆さんに、いの一番に、お会いしようというのがこれなんですね。私、この方(重松)にお願いしてね、私が娑婆に出た際に、最も最初に千名以上お願いしたことは、高いところから失礼ですけど、遅くなって失礼なんですけどね、ちょっと辛いんですけどね、このまま座って申し上げますけどね」
「あの野郎、失礼だと思う方は帰ってください。人待たせて、飯喰らいやがってね、帰りたいようなら帰ってください。一番最初に出所してしたかったことは、立てませんので失礼しますが、(血栓溶解法をやりだす)」
「親指挟みましてね、敷き布団の上とか畳の上でこうするんですよ。皆さんに出来れば世界中の方に、アタマを更に敷き布団の外、畳の上に一段低くして頂くんです。私はそれを過去に二万五千時間ほどやってきたんです。独居房でやってるやつは一人もおらんです。毎日一五時間ほど、去年の三月から、娑婆に出るのが近いからね。運動にも出ず、去年の大晦日から回覧の朝日新聞も読まず、トイレとご飯食べてる時と、歯を磨く時と、それ以外の時間はずっとやってます。今年になって(血栓溶解法)徹夜は一〇回ぐらいしてます。まあ、時間に縛られて、皆さんには聞いては頂きたいしね。こんな事しとったら、皆さんお金使われて、この馬鹿話聞いて店の営業妨害にならんかと。」
その後は奥崎自身が血栓溶解法を実演して相当後味の悪い結果で講演の幕が下りた。それからは本当に体調が悪くなって、
「ここは刑務所より暑い」
悪態をつきながら五階にある事務所に担ぎ込まれ、支援者達は次の日の朝まで奥崎の独演会に付き合わされるのであった。

ところで見沢氏の母親については勝手な奥崎の思いこみのように思われるが、実は奥崎と見沢氏の母親を引き合わせることを企んだのは民族派右翼一水会の鈴木邦夫氏によるものであった。鈴木氏は代表を退き、河合塾で講師をしている。身元引受人である重松氏に今の結婚相手を紹介したのは鈴木氏である。
「鈴木さんのお陰で結婚できました」
鈴木氏によると、ただ奥崎の世話をしたいという女性を重松氏に紹介したに過ぎないらしい。その重松氏から
「奥崎さんが見沢さんのお母さんと結婚したいと言ってるんです」
と聞いた鈴木氏は、
「殺人犯の父親なんてイヤですよ」
嫌がる見沢氏にともかく二三日、ロフトプラスワンにお母さんを騙して連れてこいと言った。そして当日、
「この人が憧れの女性ですよ」
見沢の母親を紹介した。奥崎は感極まり
「本当はこんな所で喋りたくない、早くホテルに帰って一緒に寝たい」
とおかしな事を言い出した。周囲は
「おめでとう」
拍手喝采。計られたと気づいた見沢氏の母親は
「バカ息子一人でも大変なのに、こんな凄い夫が出来たらとてもとても」
顔面蒼白。鈴木氏は却って円満な家庭が出来ると説得したが、親子共々逃げ帰った。このことが元で鈴木氏と見沢氏との関係は険悪なものになったということは言うまでもない。このイタズラは流石に度が過ぎていた。