奥崎謙三 神軍戦線異状なし

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第一三章 ゆきゆきて神軍 後編

2008-02-06 15:26:49 | 奥崎謙三物語
話を元に戻そう。山田氏の勇気ある告白によって「ゆきゆきて神軍」の日本での撮影は迷走しながら一段落付いた。次はニューギニアでの撮影となった。原は低予算のため、ニューギニア政府にカメラを持ち込むことを申告しなかった。つまり無許可撮影だ。これが後に致命傷となる。撮影隊一行は昭和五八年三月、成田からジャカルタ経由でジャンプラヤに飛んだ。
コーディネーターである現地人のイスカンダルは実に一行によく尽くした。
当時、インドネシアは民族解放ゲリラと闘っている最中で、目的地は危険地帯に指定されていて許可が下りなかった。しかも、許可は警察と軍事警察と管轄が別れていることもあり、手続は煩雑だ。そこで、現地で奥崎が強引な交渉をした。アルソーで死んだ戦友の母親が、ニューギニア行の直前に亡くなった。その母親の写真を胸のところにゼッケンみたいにして、奥崎がつけて『これは戦友の母だ』。なおかつ自分はニューギニアで九死に一生を得た人間だと、泣き、わめき、叫んで日本語でまくしたて、大芝居をうつ。奇跡が起きた。許可が取れたのだ。
第一の目的地はアルソー。奥崎所属の独立工兵三六連隊が死の行進をスタートした地点だと言われている。警察官を同伴して現地に赴くのだが、既に開発が進み、当時の面影がすっかりなくなった状態に奥崎は愕然とした。
次はアベパンダイの日本兵慰霊塔へ。奥崎は亡くなった戦友達のために、海が見えるように村人に頼んで周囲のバナナの木を伐採した。
最終目的地は奥崎が捕虜になった地だったが、遂に一行はたどり着けなかった。それもそのはずで、奥崎の拙い記憶のみで手探りでの探索では困難な作業であるということは言うまでもない。しかも、政情不安定の地で自由に行動できないのである。全く関係のない村落でなし崩し的に撮影はクランクアップされた。
原はこれで開放されると安堵した。しかし、ニューギニアロケの最終日、最悪の事態が起こった。政府にカメラを発見されたのだ。奥崎はいつもの調子で
「取れるものなら、取ってみろ、キサマッ」
と、威嚇するが、反対に逆効果だ。こういった発展途上国での警察機構は日本のそれよりも、自尊心がすこぶる高い。土人などと見くびって不遜な態度を取っていると、最悪な事態を招く。事実、そういった傍若無人な態度で現地官憲を怒らせて、いつまでも日本に帰れない不心得な者も大勢いるのだ。原は、一部だけ差し出して、残りは隠そうと魔が差すのだが、スタッフに咎められた。結果的にフィルムは全て没収され、ニューギニアでの原の努力は水泡に帰した。

ニューギニアから帰国する頃になると、奥崎と原との関係はとても険悪なものとなっていた。奥崎は常日頃から原に対して、
「原さんが私を演出するのは一〇年早い」
「原さんは本当にダメ方ですね」
と言っては、原に無理難題を押しつけていた。原は奥崎の注文によく応えていた。しかし、遂に限界の日がやってきた。ニューギニアから帰国して、東京に帰るバスの中で奥崎は怒りながら
「原さんはですね、何故私のことを「先生」と仰られないんですか?原さんがですね、私のそばにおって、私の判断、行動を見られとろわけですよ。そうしますと、一番最初に私の事を「先生」と言ってくださるんじゃないのかなあ、と思っていたんですが、今まで一度も仰られない。警視庁の刑事が「先生」と呼んでくださるのにですよ。原さんはポリ公以下ですね。私を心から尊敬していると「先生」と言えるはずなのにね」
原は、奥崎のことを「先生」と呼ばされる日がいつかやって来るとは覚悟はしていたが、奥崎を「先生」と呼ぶのは絶対に出来ない相談であった。それ以降、原は奥崎との接触を極力避けた。
失意の下、原はフィルム奪還に全力を注ぐのであったが、遂にフィルムは戻らずじまいに終わる。色々なルートで交渉するが、相手の言い値が、百万、二百万と回を重ねる毎に止めどもなく上がっていくのだ。原はフィルムを諦めざるを得ない。ニューギニアでの記録はインドネシア情報局により没収という無味乾燥なテロップにすり替えざるを得なかった。
更に事件は起こる。奥崎が村本氏の息子を襲撃したのだ。奥崎は山口県の岩国でレンタカーを借り、三回、広島の村本宅を訪問したのだが、三回とも村本本人はいなかった。犯行の日、いつも車を止めていたところに別の車が止まっていたので、奥崎は公安の車だと思い、いなくなるのを待った。
手みやげを持ち、村本宅に行くと、応対したのは今まで居なかった長男だった。身の危険を感じた村本がボディーガードの代わりとして長男を呼んでいたのであろう。奥崎は
「お父さんおられますか」
長男は居ないと答えた。奥崎は村本本人がいないのなら、村本の妻を殺そうと思った。最初から長男を殺す機は無かったのだ。
「お母さんおられますか」
同じく、居ないと返事が。奥崎は長男の顔つき口ぶりから、村本は居留守を使っていると判断した。その時、奥崎にある思いが巡った。村本もニューギニアで他人の長男を殺している。と。奥崎は長男を油断させるために、手みやげの「岩おこし」を渡した隙に、隠していたピストルで長男の胸を打ったのだ。
「コノヤロー」
と言いながら、長男は家の外に逃げていった。奥崎は手応えを感じながら、シズミと最期の握手を交わして警察に自首した。長男は、たまたま担ぎ込まれていた病院で開腹手術の用意があったことが幸いし一命を取り留め、軽傷で済んだ。しかし、長男はその後に精神を病み、通院を余儀なくされる。

実は原は以前に奥崎より神妙な面持ちで
「私は村本を殺そうと思うんです。村本を殺す場面を撮影してください」
その時は原も妻の小林も必死に奥崎を説得し、殺人を思いとどまらせたのだが、遂に奥崎はやってしまった。更に、現役の最高裁判事である宮崎梧一氏にも犯行予告をしていた。(といっても遠藤弁護士主催の酒の席上ではあるが。)奥崎は広島拘置所に収監され、再度囚われの身になるのであった。

奥崎は犯行前に衆議院議員選挙に兵庫一区より立候補した。奥崎の政見放送はNHKの電波に乗り、全国に放映されるが、誰が奥崎が犯行を犯すことを予測できようや。一二月一八日の投票では、定数五に対し九〇二票と、七人の候補者中最下位だった。
「昭和六一年奥崎シズミ死亡」
「昭和六二年奥崎謙三は殺人未遂の罪で懲役一二年の実刑判決」
このテロップを最期に「ゆきゆきて神軍」はラストシーンを迎えた。

奥崎が犯行を実行する前に放映された政見放送の中身は次のような内容だった。カメラの前の奥崎はどこかとなく落ち着かず、目が宙を浮いているような状態だった。

落選確実なこの私が、三度参議院選挙に立候補したのは、国民の一部であります資本家・労働者・サラリーマンの地域住民の利益代表として、国会議員になった政治家には、利益と安全を確保することはもちろんのこと、国民の利益と安全を確保することも出来ないという自明の事実を一人でも多くの人に知っていただき、人類全体の利益と安全を確保できる社会構造を実現できる世界を一日でも早く実現させたいと思っているからなのであります。
政治家と政治が造り守っている国家と国法は、神によって万人が一体に生きるように定められております人類を、対立分立競争させ万人を安泰に生きるようにさせるものであり、人類全体の安全を確保することを大いに妨げる神と人類とを憎むべき敵であります。
だから人類は今日まで、政治家国家国法によって行われた戦争と政治のために、最も多く損害を得てきたのであります。政治家国家国法が今日まで人類に与えてきた損害と比較すると暴力団と犯罪者が今日まで人類に与えてきた損害は中流の生き物にもたらない微々たる者であります。暴力団や犯罪者は政治家が、国家国法によって人類を差別し分裂対立競争させているために発生している結果の一つであります。ですから暴力団や犯罪者をなくす方法は政治家国家国法を無くす以外には無いのであります。
人類の世界に発生する全ての難問題は、人類を差別し、分裂対立競争させる政治家国家国法を原因として発生した結果でありますから、政治家国家国法をなくすことができればなくなるのであります。政治家国家国法の奴隷として今日まで生きてきました人類は、一人残らず無知蒙昧な野蛮人であり、重傷のキチガイでありますから、政治家国家国法が全ての難問題を発生させる原因であるという事実を未だに知っておりません。だから原因の政治家国家国法をなくさないで、結果の不幸と難問題をなくそうとしてきたのであります。
全ての不幸と難問題をなくすために最も必要なことは、全ての不幸と難問題を発生させる原因は政治家国家国法であるという事実と、政治家国家国法をなくさなければならないという事実を知ると言うことであります。
以上の事実を、人類を何回も絶命させることが出来る、大量の核兵器を作り出した無知蒙昧な野蛮人であり、重傷のキチガイであります人類に知らせる手段として、無知蒙昧な野蛮人で重傷なキチガイな人類を象徴している、天皇裕仁と田中角栄と殺したいと私は思いましたが、政治家国家国法を守り飯を食っている警察官の警戒が厳しく、殺すことが出来ませんので、おぼれる者は藁を掴むような気持ちで、無駄徒労に終わると思いましたが、無知蒙昧な野蛮人であり、重傷なキチガイである人類を啓蒙し正気に戻すために、借金をして三度国会議員に立候補したのであります
生まれてから一度も政治家に投票してこなかったことを、誇りに思う私は、政治家や政治家に投票してきた人よりも、正気に近い軽傷のキチガイでありますから、政治家国家国法の正体を見破ることができたのであります。
政治家国家国法のために、私が所属しておりました独立工兵三六連隊の将兵は、ニューギニアにおいて全滅し、生き残った戦友二名は、敗戦後軍法会議にも掛けられず上官によって銃殺されました。
私がニューギニアから生きて帰れましたのは、政治家国家国法を守らず上官を多く殴ってきたのであります。ニューギニアで餓死した戦友の霊を慰めるために、私は戦友を殺した政治家国家国法を討ち滅ぼし、人類全体が一つになって生きていける社会構造を作るために、刑罰を二度受け助力してきました。
しかし人類の無知と怯懦によって守られている政治家国家国法の力は強く、私の弱い力では討ち滅ぼすことはできません。弱い私に力を貸すために投票してくださる、正気に近い軽傷のキチガイの人が兵庫一区の有権者の中に果たして何名いらっしゃるのでありましょうか。
最期に願いまして、人類全体の利益と安全を追求することは無限にできますが、人類の一部の利益を追求することは、無限に出来ないということは出来ないと言うことをお知らせしておきます。
以上で私のへたくそな政見放送は終わります。

天皇を殺す旨の演説をそのまま流して良いのだろうかと疑問に思うが、昔は牧歌的な所があったのだろう。