桜前線が北上する中、一足も二足も早く咲き出す梅の花ですが、
蕾も沢山あり、まだまだ見頃が続いています♪
白梅も元気ですσ(゜ー^*)
でも、こんな場面を目にすると寂しいです・・・
ここは市内にある「赤坂お茶屋屋敷跡」
江戸時代に五街道に整備された将軍家の宿泊施設で、宿場の本陣の原型となったものといわれています
明治維新時に払い下げられて以来「宿本陣」であった「矢橋家」が現在管理されています
中山道に残る「お茶屋」としては唯一の遺構で、土塁・空壕などの遺構が竹薮で囲まれた敷地内に残されています
1976年(昭和51年)屋敷跡が岐阜県の史跡に指定されました
朝陽を浴びる屋敷内
茅葺きの門から中に入ると、左手には整然と竹藪がならび、ヒンヤリとした空気が漂っています
夕暮れになると、こんな感じです
右手には「お地蔵様」がお祀りされている休憩所のような場所があります♪
ご近所の方々が毎朝お参りにみえます(*^^*)
後方の小高い山は金生山(かなぶやま)
後方に見える赤坂中学校建設の為、敷地の一部を提供されましたが、残りの土地は現在ボタン園として有名です
後方は体育館
蕾も沢山あり、まだまだ見頃が続いています♪
白梅も元気ですσ(゜ー^*)
でも、こんな場面を目にすると寂しいです・・・
ここは市内にある「赤坂お茶屋屋敷跡」
江戸時代に五街道に整備された将軍家の宿泊施設で、宿場の本陣の原型となったものといわれています
明治維新時に払い下げられて以来「宿本陣」であった「矢橋家」が現在管理されています
中山道に残る「お茶屋」としては唯一の遺構で、土塁・空壕などの遺構が竹薮で囲まれた敷地内に残されています
1976年(昭和51年)屋敷跡が岐阜県の史跡に指定されました
朝陽を浴びる屋敷内
茅葺きの門から中に入ると、左手には整然と竹藪がならび、ヒンヤリとした空気が漂っています
夕暮れになると、こんな感じです
右手には「お地蔵様」がお祀りされている休憩所のような場所があります♪
ご近所の方々が毎朝お参りにみえます(*^^*)
後方の小高い山は金生山(かなぶやま)
後方に見える赤坂中学校建設の為、敷地の一部を提供されましたが、残りの土地は現在ボタン園として有名です
後方は体育館