記事が殴り書きですが、いつもの事なので気にせずUP。
少し重い話し。けれど明るい備忘録です。
昨日は、義母、家族をつれて
浦戸桂島に行ってきました。
JRの東日本パスを使っての日帰りです。
目的は、お墓参りと被災して仮設住宅にいる親類に会いに...
時間があれば、東北六魂祭も行こうかと思っていたのですが、前日の混雑状況をテレビでみて早々に諦めました。
東京→仙台
仙台駅は東北六魂祭の開催日という事もあり、とても賑わっていました。
見上げると震災で落ちた天井などは、写真のように外していたり、所々その爪跡が残ります。
あの混乱の状況下、短期間で復旧させた苦労も並大抵ではなかっただろうと思います。
仙台での昼食後、仙石線に乗り本塩釜に向かいます。
通り過ぎる町並みは、屋根瓦が落ちてブルーシートで応急処置をしていたり、修理している家を多く目にしました。
そして、本塩釜に到着です。
この辺り一帯も津波により大きな被害をうけたところです。
今も多くの爪跡が残っていました。
ここでも、亡くなられたがいらっしゃるとの事..お悔やみ申し上げます。
駅のエレベータ等は使用できません。
外に出ると1F部分が破壊されたビルや家を目にします。
信号機も1/3位でしょうか。未だ使えない状態で、幾つかの交差点では警察官の方の手旗信号。
街路樹などは塩害で枯れていて、くしゃげいているベンチなどもあります。
そんな部分も残りますが、復旧は大分進んでいるようで
水没したイオンもドラッグストアも、通常通り営業できるまでに回復していました。(商品も普通の状態に戻っています)
その中で、撮影しながら歩くテレビクルーや、カメラ手に歩きまわっている人を幾度と無く目にしました。
(親類によると、各局がインタビューに来ているそうです)
日常と非日常が共存している。そんな状態です。
徒歩で本塩釜駅からマリンゲート塩釜まで。
テレビでもやっていますが、ここも地震による沈下の影響で、大潮になると潮が上がってくる状態でした。
定期船に乗り、桂島に...
塩釜の辺りは、まだ海の色が濁っている状態ですが、少し沖に出れば以前の綺麗な海の色です。
ただ、未だ、松島湾内は色々物が沈んでいたり、ビールケース等が浮かんでいたりします。
そのような状態で航路が制限されている為、普段の倍の時間をかけて島に向かいます。
親類から聞いてはいましたが...
島の景色は、あの日から時間が止まっていました。
自分の知っている ぼくの夏休み に出てくるようなあの居心地の良い島。
聞こえてくるカッコウや虫の音。心地の良い潮風。
でも、景色が全く変わってしまった現実がここにありました。
(幸い、この島の皆さんは非難が早く、負傷された方はいらっしゃいません)
親類宅も、形は残ってはいましたが、
地割れなどもあり、住める状態にはなく、いずれ取り壊すことになるとの事でした。
ここでは、ボランティアの方々が復興のお手伝いをされていました。
頭が下がる思いです。
その後 墓参り、物の搬出を少しお手伝いした後、最終の定期船で塩釜→仮設住宅に。
仮設住宅は、駐車場の上に建てられており、住環境としては必要最低限の印象を受けました。
仕方はないのだけれど... 以前のような暮らしに戻れる日を願ってやみません。
・・・
その後、帰りの便まであまり時間が無かった為、話しもそこそこに帰路につきました。
ここからは、明るい話し。
そんな大変な状況ではありますが
親戚、子供たち、
そして、仙台、塩釜で出会った方々 皆明るい笑顔で前向きに取り組んでいました。
(仙台は大賑わい)

(仙石線 009懐かしい)

(松島の観光遊覧船も復旧しています)

(かっぱえびせん 必須!)

(流されてしまった牡蠣の養殖も順調に再起しているようでした。陰ながら応援しているので収穫が楽しみ。)
(18日塩釜みなと祭りの準備)
(仙台と言えば...牛タン)
(お土産もたんまり)
東北は元気です!!
皆で盛り上げていきましょう。
松島湾の絶景 拝まにゃ損