旅の途中・・・

食と音と人の旅

戦艦大和(夏島にて)

2006年06月11日 20時44分36秒 | 
10Kgオーバーのバラクーダーを釣った。トローリングでメタルジグをながす。ガツンと当った、急いで巻き上げる。糸が90M位なので手巻きでもまだたいしたことはない。ん~いきなり軽くなった。ばれたか!とおもいしや、おー、凄い力で引っ張られていく。重い。今までの中で一番ヘビーだ。日差しもはんぱじゃない。暑い。ここはチューク島、旧名トラック島、ほぼ赤道直下、ミクロネシアである。戦争当時海軍の司令部だったところなのだ。山本五十六、戦艦大和、戦艦武蔵等おなじみの戦艦がここに在った。
在住30年の末永さんに今回私たちの面倒をみていただいている。トラックの風俗、歴史等とても興味深い話をたくさん聞いた。竹島のそばに沈んだ零戦を見た。ひっくり返っていた。パイロットはどうなったんだろう。この辺りは三十数隻の船が沈んでいるらしい。
オローラ島という無人島(実際はダイビングショップの人がいる)
で一夜を過ごす。南十字星と北極星が同時に見える。夜も更けて来て末永さんの話は核心にふれた。戦争当時の事。考えさせられた。ぽっかり浮いたのどかなヤシの木が風に揺れる島にアメリカの空爆がはじまった。想像した。映画の様にグラマンやらが爆弾を落としていく。2日で壊滅した。地形が変わる程。多くの日本人(日本軍も含む)が住んでいて、そこそこの街が出来ていた(料亭もいくつかあるくらい)。今も日本人と結婚した現地の人がいて、森や林という名字を持つ人が多い。戦争の惨さに胸が痛い。30年もの間末永さんは慰霊に来る方を案内してきた。たくさんの関係者の話を聞いて来た。末永さんの思いは計り知れない。当事者達はもっとだ。口に出せない事もあったようだ。つらかっただろう。そしてその事を忘れて行く私たちは今ここにいる。歴史だから仕方が無いけれど、この事を知っておくことは大切だと思った。出来る限り伝えようと思った。日本のためじゃなく日本人と世界の人の為に。戦争で死んでいった全ての人が残してくれたものに感謝した