Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

大石先生と私 壺井栄「二十四の瞳」を読んで

2012-08-24 00:29:03 | 読書感想文(小説)


わが地元小豆島を舞台にした小説「二十四の瞳」は、木下惠介監督・高峰秀子主演の映画で有名な作品です。
この小説・映画のおかげで地元は全国的に有名になり、木下監督の「二十四の瞳」の後も田中裕子主演で映画化し、
またドラマや舞台、アニメなどさまざまな形で映像化されました。田中裕子主演の映画は、近所で撮影された
場面に当時小学生だった私もエキストラで出演したので、いろいろな意味で印象に残っています。

で、そういうわけで我々小豆島島民にとって、「二十四の瞳」は非常になじみ深い作品なわけで、その内容についても
詳しく理解していて当たり前…な気分でいたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。

私の中では、大石先生は心優しい、何よりも子供たちのことを考える、真面目で誠実な女教師、のイメージでした。
物語の最初から最後まで。

ところが。

岬の分教場に赴任した当初の大石先生は、師範学校(この当時の女性としては高学歴)を出たての、子供たちのことを
一番に考える、理想に燃える教師でした。私のイメージ通りの。

しかし、大石先生は若かった。青かった。そして…痛かった。

岬の分教場に赴任し、あれやこれやと頭を悩ませているうちに夏休みが終わり、2学期がやってきたその日。
ブルーマンデー気分でくさりきっていた大石先生は、自転車で岬の分教場に通う途中に、要約すると

“入り江の海を迂回するのではなく、自転車で海を渡って分教場につけば、村の人たちは驚くぞフハハハハ!見ろ、人がゴ●のようだ!!”

という内容の、まるでム●カのような、先生の中の中学2年生が爆発した妄想にかられます。
大石先生も、煮詰まっちゃうととんでもないこと考えちゃうんですね。映画やドラマでは描かれなかった大石先生の
こどもっぽい一面が見られた場面でした。
きっと、妄想中は口の端がかなり緩んでいたことと思われます。子供たちに見つからなくてよかったねぇ。

まあ、こんな風に茶化してしまうのは、子供たちのために頑張っていた大石先生に失礼ですね。ただ、最近私の周りで
大石先生を「理想の教師像」として神格化しすぎている風潮が見られるので、先生の人間臭い部分を強調してみました。

それはさておき、子供たちのために一生懸命頑張る大石先生は、壺井栄が考える「理想の教師」だったのでしょう。
けして神様ではありませんが、大石先生の目は、子供たちだけでなく同じ時代、女性の地位がいまよりももっと低かった
時代に生きる女性たちにも愛情深く注がれています。貧しい村の貧しい家に生まれ、友達と遊びたいのを堪えて弟妹達の
世話に明け暮れる少女に、思い描いた将来への夢をあきらめなければならなかった少女に…なかでも特に印象に残ったのは
四十の声が聞こえてきた(つまりアラフォー)の女性教師・後藤先生のことを、本校の校長先生が
“老朽で来年はやめてもらう番”とのたまうた場面でした。
校長先生の上記の言葉を聞いて、驚きのあまり「まあ、老朽!」と叫んだ大石先生と同様、私も激しくショックを受けました。

「老朽!四十になったらもう老朽!!そんなこと言われたら私はどうなるの(涙)!?」

と。(でも冗談抜きでこの問題は現代にも引き継がれていると思う)

大石先生が壺井栄の考える「理想」なら、頑なに先生を受け入れようとしない岬の人々、小さな島にも迫りくる
戦争の足音、軍国主義の影、それらはつらく悲しい、なおかつ逃げ場のない「現実」でした。壺井栄が、大石先生の
目を通して綴った「現実」には、暗く、重く、なすすべもなく流されていく人の弱さが描かれていました。壺井栄自身も
大石先生同様「現実」にある時は悩み、ある時は戦い、そしてまたある時は受け入れてきたのでしょう。

初めて教壇に立ってから18年後、戦場であるいは戦争からくる貧しさゆえに家族を失い、教え子を失った大石先生は、
かつての後藤先生と同じように周りから憐れまれていると知りつつ、岬の分教場に戻ってきます。
けれど、つらく悲しい「現実」に洗いざらされたかのように見えた岬は、空も海も18年前と何も変わってなかった。
希望に満ちた子供たちの顔さえも。人間の欲が生み出した「現実」のつらさも、岬と岬の子供たちを変えることは
できなかったのです。年をとって涙もろくなった先生は、子供たちから「泣きみそ先生」とあだ名をつけられます。
けれど、岬の分教場で先生が流す涙は、けして悲しみだけからくるものではない。人は強い。何度でもやりなおせる。
どんなにつらくても、どんなに悲しくても、岬の空と海は変わらずにそこにあるから。きっと。




大石先生の十二人の教え子の中に、仁太という男の子がいました。ちょっぴりお調子者で、おっちょこちょいで。
しかし、同級生が皆、岬の分教場から本校に通う四年生になっても、仁太の姿は本校にありませんでした。
その理由は、

「四年生になってもはなたれがなおらんから」

でした。それがどういう意味なのか、想像するしかありませんが、仁太が1人落第して分教場に残されたと聞いたときは、
仁太を心配する大石先生の姿に私も胸が痛くなりました。同級生から置き去りにされた仁太。一つ下の弟と同じ教室で、
もう一度三年生をやりなおさせられる仁太。仁太がどんな気持ちでいるのか。仁太のような子供がどんな気持ちで日々を
過ごしているのか。

大石先生に憧れ、学校の先生を目指している人、学校の先生になった人。あなたたちが仁太のような子供に出会った時、
どうか、その子の気持ちに寄り添ってほしい。大石先生がそうしたように。少しでもいいから。仁太を切り捨てないで。
どうか。どうか。




おまけ:今年の3月に見た、ミュージカル「二十四の瞳」の感想。


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