Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

ダニエル・フリードマン「もう年はとれない」

2017-03-14 21:03:47 | 読書感想文(海外ミステリー)


ダニエル・フリードマンのミステリー小説、「もう年はとれない」を読みました。
おじいちゃん評論家のナイトウミノワさんのツィッターで見かけたのがきっかけです。おじいちゃん映画好きなら、きっとこの小説も好きになれるはず…と期待して読んだのですが、ハードボイルドなだけにおじいちゃんをゆるふわに愛でるだけでは済まされない内容でした。いや、結局は愛でてるんですけど。


バック・シャッツ、87歳。元殺人課刑事。ユダヤ人。元同僚のジムから、今わの際に衝撃の事実を告白される。
かつて、捕虜収容所でバックに対して“親切とはいえなかった”ナチスの将校が、まだ生きているかもしれないというのだ。
ジムの言葉を振り捨てようとしたバックだったが、将校が金の延べ棒を大量に隠し持っているということをかぎつけた連中が騒ぎ始め、孫のテキーラとともに宿敵と黄金を追うことになり……


主人公は87歳の老人で、元殺人課の刑事。現役時代はダーティー・ハリー並みに強引な捜査方法でぶいぶい言わせていた男も、寄る年波で体は言うことをきかず、日々の楽しみはテレビのトーク番組を見ることで、車の運転その他諸々は孫のテキーラにまかせている。けれどラッキー・ストライクは手放せない。第2次大戦中にナチスから受けた屈辱も忘れない。体の自由がきかなかったりインターネットがよくわかってなかったり、ちょっぴり気の毒に思えるところもありますが、それ以上に頑固でふてぶてしいので、その点では読んでてセンチメンタルになってしまうことはありませんでした。バックが自分の老いを自覚していて、忘れたくないことをメモしたり、自分の主張を押し通さずに孫のテキーラに譲歩したりするのは、主人公なのにと寂しい気もしましたが、そのおかげで物語がご都合主義にならず、面白く読むことができました。いや、だからといってこの小説に出てくる老いの描写が重くないわけじゃないですけど。バックが宿敵のハインリヒ・ジークラーと相対する場面は、認知症で状況を理解できないジークラーに憐れみを感じていいのか戸惑ったし、バックの“忘れたくないこと”メモの内容は、彼のような高齢者の内面を現しているかのようで、いろいろと考えさせられました。後期高齢者と暮らす身として。またいずれは同じ道をたどる身として。いやー、うちにもバックみたいな人いるからね!体に悪いからやめろって言っても、言うこときかない人がね!

バックとテキーラが金を手に入れるくだりは、どうなるんだろうと期待してたのに割とあっさりというか力技で押し通されてしまったので、そこはがっかりしました。スプラッター映画ばりに猟奇的な連続殺人事件も、真相の暴かれ方が2時間ドラマでいうところの開始から1時間30分経った頃に出てくる、断崖絶壁の場面みたいであまりいい印象は残りませんでした。その後、真犯人とバックが対決するところはハラハラしてよかったんですけどね。映像化したらどうなるんだろう。

というのも、この「もう年はとれない」は、映像化されることが決定したそうで、いつになるのかはまだわからないけど、どんなキャストになるのか楽しみです。バックを演じるおじいちゃん俳優は、誰になるんでしょう。ベテラン老俳優のスケジュールを押さえるのは、いろんな意味で大変そうですが…。

小説を最後まで読んでもはっきりしなかったのが、バックの息子ブライアンの死の理由。作中のあちこちに意味深な言葉がちりばめられていましたが、ホントのことはわからずじまいでした。これは続編の「もう過去はいらない」を読んだらはっきりするのかなー。近いうちに続編も読むつもりですが、その時までにこの小説の内容を忘れないようにしないと。私もバックみたいにメモ書こうかしら。



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