Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

アン・モーガン「わたしはヘレン」

2017-10-06 20:59:10 | 読書感想文(海外ミステリー)



イギリスの作家、アン・モーガンの「わたしはヘレン」を読みました。本国で発表されたのが2016年、翻訳版が出たのが今年の7月。このスピード感、いいですね。

出たばかりの本なので、なるべく内容の核心に触れないように感想を書こうと思います。何年かして、もう一度読み直したときに掘り下げた感想を書けるといいのですが、時間を置いて読むと感想ががらっと変わってしまうことも多々あるので、さてどうなるやら。


一卵性双生児のヘレンとエリー。7歳の夏、ヘレンはエリーにあるゲームを提案する。服装や髪形を交換して、お互いになりすますのだ。
しかし、2人が入れ替わったことに、母親も友人たちも気がつかず、そのまま日々が過ぎて行った。周りから、鈍重な妹のエリーとして扱われることで、ヘレンは次第に心を病んでいった。その一方、ヘレンになりすましたエリーは充実した日々を送り、周囲から称賛を集めていた。エリーへの憎しみを募らせていくヘレンだったが…


文庫の帯に「あなたはこの理不尽に耐えられますか?」と書いてあったのですが、はい、私だったら

絶対耐えられませーん!

ていうか、入れ替わった後の理不尽さよりも、それ以前にヘレンとエリーが置かれていた境遇に、耐えられるかどうか自信がありません。2人が置かれている境遇について語られる部分は、視点が7歳のヘレンなので、あまり悲壮感はないのですが、不穏な雰囲気は充分すぎるくらい伝わってきて、漂う空気の重さに読んでるだけで陰鬱な気分になりました。その“不穏な雰囲気”の原因は何かというと…

この本の最初のページに「ママへ」と書いてあったので、最初見た時は作者が自分の母親への感謝の気持ちを込めて、献辞として載せたのかなと思ったのですが、最後まで読み終わってからもう一度冒頭の「ママへ」を見たら、がらっと意味が変わりました。

一卵性双生児といえど、ヘレンとエリーが入れ替わっていることに誰も気がつかないのには、違和感がありました。なので、読み始めてしばらくの間は、「もしかして本当は入れ替わってなくて、エリーが自分をヘレンだと思い込んでるのでは」とか、「双子じゃなくて二重人格なのでは」とか、「実はヘレンは既に死んでいて、本人は気づいてないのでは」とか、入れ替わりを否定する方向で、いろいろ推理してました。だって、母親が気づいてないのですから。2人が入れ替わってることに。一番長い間、一番近くにいた母親が。

そして、謎だったのは入れ替わったエリーが、ずっとヘレンのふりをし続けたこと。確かに、小説の冒頭で、ヘレンは妹のエリーに随分ひどい仕打ちをしていました。ヘレンが、鈍重なエリーのことを見下してからかい、もてあそぶ様子は読んでてとても不愉快でした。ちょうど、自分が子供の頃にされた事を思い出して、怒りがふつふつと…いや、これは余計ですね。でも、いくらいじめられたのがつらかったにしても、何年も何年もずっと成りすまし続けられるものなのか?と疑問に思いました。そこまで憎み続けられるのか?と。

それら2つの疑問の答えは、物語の終盤で明らかになるのですが、正直言ってわかっても全然すっきりしませんでした。謎が解けてもあまりカタルシスがないので、ここで小説の評価がわかれそうです。詳しいことはまだ書けませんが、モヤモヤする人はきっと多いと思います。私もしてるし。

多少モヤモヤするものの、この小説は「ヘレンという、双子の妹にアイデンティティを奪われた女性の、絶望から再生までの物語」であり、名前を変えてさすらうヘレンの旅は、暗い展開ではあるものの、次に何が起きるか予想がつかないくらいスリリングで、読みごたえがありました。小説の構成が、7歳からスタートするヘレンの過去の物語と、“スマッジ”と名乗り、どん底の生活を送る、成長したヘレンの現在の物語が、ほんの数ページの短い章立てで交互に出てくるので、読みやすかったからというのもあります。現在と過去を行き来しながら読むのは多少混乱することもありましたが、読み進めるうちにヘレンとスマッジの距離が縮まって行って、最後にピタッと重なって1人の人物になるのは気持ちがよかったです。

何より惹きつけられたのは、心を病んだヘレンが、もがけばもがくほど追い詰められていく様子が、これでもかとばかりに描かれていたこと。自分はエリーではなくヘレンだと訴えようとするたびに、躓いて失敗し、更に不利な状況に追い込まれる。妄想と現実の区別がつかなくなる。アルコールに溺れる。それらの過去を捨てて新しい人生を送ろうとすれば、過去が追いかけてきてすべてを奪われる。若い頃の私なら、ヘレンのことを自業自得だと切って捨ててたかもしれませんが、40を過ぎた今の私には、ヘレンは、与えられるべき愛情とアイデンティティを奪われた少女として、憐れみと同情を感じずにはいられない存在に思えました。ヘレンだけでなく、エリーも。

エリーは物語上のある理由から、何を考えているのか、なぜ入れ替わりを続けたのか、本人の口から語られることはほとんどありません。なので、ヘレンの視点で語られる物語の中から、ヒントを拾い集めて、エリーの内面を想像するしかないのですが、これがなかなか難しかったです。ヘレンの視点で語られる以上、小説の中に出てくるエリー像には、ヘレンのフィルターがかかっていますから。ただ、具体的に「エリーはこう思っていたはず」と決めつけられなくても、エリーの夫のセリフなどから、エリーはエリーで苦しんでいたのだろうな、と感じることはできました。

小説の結末は、終盤の怒涛の展開の末、「え、これで終わり?」と呆気にとられるほどあっさりした終わり方なのですが、その潔いほどのあっさり感が、自分探しの旅を終えたヘレンの未来を示しているようで、読んでるこちらもすっきりした気分になりました。

「まあ、いろいろあって大変だったけど、生きてるんだからいいじゃない、なんとかなるよ、きっと」

と、背中を押してくれているような感じがして。

意外だったのは、ヘレンの「内なる声」が、最後まで消えなかったことでした。ヘレンが、心の病を克服するのではなく、病と良好な関係を築くことで終わったのに好感を持ちました。心の病をどう扱うかはデリケートな問題なので、強引に解決されなくてすんでよかったです。


昨日、イギリス文学作家のカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞したので、次はイシグロ氏の本を買って読もうと思います。ハヤカワepi文庫は高松の書店でもあまり置いてないんだけど、ノーベル賞効果で手に入りやすい今のうちに、気になる本はまとめて買っておこうかな…でもまとめ買いすると逆に読むのが先延ばしになるんだよな…悩む。



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