Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

伊坂幸太郎「残り全部バケーション」

2016-02-23 21:15:10 | 読書感想文(小説)


当たり屋や強請りといった裏稼業で生計を立てている岡田と溝口。ある日、岡田は先輩格の溝口にこの稼業から足を洗いたいと申し出る。
すると溝口は岡田にある条件をつきつけた。適当な電話番号の相手にメールを送って、友達になれというのだ。溝口の言う文章で岡田がメールを送ったところ、相手から返信が返ってくる。その相手とは、浮気が原因で離婚寸前の中年男だった。岡田は中年男とその妻、高校生の娘とともにドライブにでかけるのだが…。

裏表紙の紹介文に「裏切りと友情で結ばれる裏稼業コンビの物語」とあるので、岡田と溝口のバディものなのかと思いきや、全部で5つある小説の各章で岡田と溝口が行動を共にする場面はさほどありませんでした。なので、半分くらい読み進めた時は、裏表紙の紹介文は詐欺なんじゃないかと思ったのですが、最後まで読むと「これはやっぱり岡田と溝口のコンビの物語だ」と思い直せたのだから不思議です。いっしょに行動しなくても、そう思わせるだけの描かれ方をしていたけれど。

5つの章は、時間も場所もバラバラで、岡田や溝口が他の登場人物の視点で語られることが多かったのですが、その中のあちこちにストーリーをつなぐヒントがパズルのピースのようにちりばめられていて面白かったです。「あの時のアレはコレだったのか!」と膝を打つことが何度もあって。私は大ざっぱな性格なので、おそらく一度読み通しただけでは見落としている箇所があるだろうから、次に読み返したときに新たな発見をするのがいまから楽しみです。(←いやその前に大ざっぱな性格を直せ)

この小説の主人公たちもそうですが、伊坂幸太郎の作品には当たり屋とか殺し屋とか死神とか、ちょっと(?)変わった職業の人物がよく出てきます。普通、当たり屋や殺し屋といった裏社会の話は、普通血なまぐさくて陰鬱な雰囲気が漂うように描かれると思うのですが、伊坂作品の場合はそういったじめじめした感じはなくて、割とからっとしています。からっとしてはいるけど、その代わりからっぽで、行き場のない閉塞感があるから面白いです。

「残り全部バケーション」というタイトルを最初に見た時、ひと山あてて悠々自適に過ごそうと狙っているアグレッシブな人の話かなと予想していたら、全然違っていたので驚きました。でも、主人公のくせに何かを成し遂げようと企まず、地味に淡々と日々を過ごしていくことを目標にする岡田の姿に、なぜだかほっとしました。そういうのもあるよねって。いや、岡田が地味に淡々と日々を過ごせているかどうかは、小説の最後まで読んでもわからないんだけど。

強引で乱暴な溝口と、主体性が感じられない岡田のコンビのどこに友情があるのか、溝口が岡田をどう思っていたのかは最後の章まで語られることがなかったのですが、クライマックスでそれらが一気に押し寄せてきたとき、ものすごくカタルシスがあってすかっとしました。だからといって、カタルシスの波が過ぎ去って小説が終わるわけではなく、そうなる前にギリギリの寸止めでぶったぎって終わるのですけど。その分、強烈な余韻が残って後を引きます。いやあ、この後、2人はどうなったんでしょうねぇ。続きは劇場で!ってわけじゃないでしょうしねぇ。多分。

映像化が決まったわけじゃないけど、岡田と溝口を実写化するなら誰が適役かというのは何度も頭をよぎりました。今のところ、岡田は映像化された伊坂作品の準レギュラーの岡田将生(苗字も一緒だし)、溝口はチンピラをやらせたら日本一の波岡一喜がぴったりかなあと思うのですが、岡田はともかく溝口はもう少し年齢言ってる人の方がいいかも、と思います。あと、伊坂作品レギュラーの濱田岳は、第四章の「小さな兵隊」に出てくる、岡田の小学校の同級生役で。前に映画で小学生の役やってたから、濱田岳ならいけるでしょう!



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