Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

マーガレット・アトウッド「侍女の物語」

2018-09-15 17:44:45 | 読書感想文(小説)


マーガレット・アトウッドの「侍女の物語」を読みました。SNSでドラマの感想を目にするようになって以来、気になっていたのです。たまたま書店で置いてあるのを見かけて、読むことが出来ました。それにしても海外小説は文庫でも1000円以上するから、読みたい本をぽんぽん買って読むことができないのがつらい…図書館にも入りにくいし。みんな、みんな貧乏が悪いんや…。

あらすじは、


ギレアデ共和国の侍女オブフレッドの役目は、配属先の主である司令官の子供を産むこと。しかし彼女はかつて夫と幼い娘と暮らしていた時代、仕事を持ち、財産を持ち、自分の決断で行動できたかつての時代を忘れることが出来ずにいる。監視され、束縛され、逆らうものは処刑される恐怖の生活の中、ある日、オブフレッドは自分と同じ侍女の役目の女から思いがけない話を聞かされる。それは、恐怖に支配された世界に抵抗する者たちからの誘いの言葉だった-


作中で語られるギレアデ共和国のディストピアぶりが、近年耳にする差別の問題と非常にリンクしているので、この小説が書かれたのは最近、少なくとも21世紀に入ってからかと思いきやまさかの1985年発表だったので驚きました。もう30年以上も前です。この頃取り上げられた差別の問題が、いまだに解決しておらず、今現在も世界のあちこちで議論と弾圧が行われている事に落胆もしました。とはいっても、80年代に比べると風通しがよくなったことも
あるとは思いますが、「昔はよかった」と時代を逆行して、差別と抑圧を復活させようという向きもあるのが残念です。

ギレアデ共和国というのは架空の国で、ある宗教勢力が起こした宗教国家ですが、その成り立ちについてや国家組織がどうなっているのかは詳しく描かれていません。民衆を支配するのは白人男性で、有色人種やユダヤ人は迫害され、健康な女性は「侍女」という名で子供を産むための道具として管理されています。教育も与えられず、読み書きも、自分の考えでものを言うことも許されず。産んだ子供は司令官の「妻」である女性に取り上げられ、また次の配属先へ行くだけ。「妻」と「侍女」以外にも、女性はそれぞれの役割をあてはめられ、そこから逃げることが出来ない。逃げようとした女性、逆らった女性は、「不完全女性」と呼ばれる人たちとともに、環境汚染の進んだ収容所で強制労働をさせられます…とまあ、オブフレッドの独白から想像して、手探り状態で読み進めた結果、だいたいこんな感じだと思います。小説の最後の章で詳しい歴史的背景(?)が説明されるのですが、ここを先に読んでしまうと台無しになってしまうので、これからこの小説を読む人はぐっと我慢してください。

ただ、小説を読んでいて、ギレアデ共和国がどういう国なのか、そこにいる人々がどういう生活をしているのかがよくわからないことで、情報がシャットダウンされて自由のきかない、狭い空間に閉じ込められたオブフレッドら侍女たちの状況をよりリアルに感じることはできました。ニュースは上層部の都合のいいように改竄された状態で配信され、民衆は認知をゆがめられる。往来には、教義に反したという罪で処刑された人が吊るされ、恐怖を刷り込まれる。逆らわないように、自我を持たないように。なんでしょう、フィクションの世界の話のはずなのに、そんな気がしません。背筋が寒くなります。

恐ろしいのは、ギレアデ共和国では男性が女性を支配し抑圧しているけれど、国家にとって都合のいいように女性を再教育することは、同じ女性にさせているということです。女性が女性を支配する、でも支配する側の女性の背後には更に力を持った男性がいる。これも既視感。侍女を教育するのは「小母」と呼ばれる女性たちですが、彼女たちの振る舞い、教育のための施設で行われていることはあまりにおぞましくて、読んでいて眩暈がしました。彼女たちにそこまでさせている理由はなんなのか、ということも。もしかしたら、小母たちは自分たちが正しいことをしていると信じているのかもしれないけれど。

主人公オブフレッド以外の女性の登場人物には、司令官の妻のセリーナ、オブフレッドと同じ施設で侍女の教育を受けたモイラとジャニーンなどがいます。セリーナは侍女たちよりも高い身分の女性なのでしょうが、侍女が子供を産まないことでいら立っている。モイラは小母たちに反抗的で、ジャニーンは過去に性暴力の被害に遭って中絶したことで、施設にいる全員から罵倒される。オブフレッドが語るには、ジャニーンの話は嘘かもしれないとのことですが、それでもジャニーンが罵倒され、「悪いのはわたしです」と懺悔させられるのを読んで、気分が重く沈みました。これは本当に85年に書かれた小説なのか。2018年の今だって、性暴力の被害者が「おまえが悪い」と罵倒されているじゃないか、と。

女性についてばかり書きましたが、男性についても少し。男性の登場人物は、オブフレッドの夫のルーク、司令官、司令官の邸宅に「保護者」として配属されているニック、そして最後の章に出てくる…ここは省略。男性は1人を除いて、不快な発言をさらりと悪気なくやらかしてくれるので、出てくるとかなりの確率で殺意がわきます。オブフレッドの夫のルークでさえそうです。ある意味清々しいです。皆、女性を貶めようとか傷つけようとか思ってやってるのではなく、それが当たり前である、正しいことであると信じているのが厄介です。細すぎてどうしても抜けない、けれど触れると痛い、指に刺さった棘のように。小説の終わる、最後の最後まで、それは続きます。ちなみに私が一番ムカついたのは、主人公がタバコを買いに行った店のレジにいた男です。なぜムカつくのかは、小説を読んでいただければわかると思います。こういう男性店員いるよね!

環境汚染で子供が生まれず、健康な女性が強制的に子供を産ませられるというのはSFではよくある設定ですが、その手法が人工授精とかではなく普通の性行為というのは、85年の作品といえどもいささかアナログに感じましたが、原始的なやり方を用いることで女性が非人間的な扱いを受けていることを強調しているのかもしれないなと後で気づきました。性行為の場に、当事者である司令官と侍女だけでなく、妻も同席しているというのは、妻である女性への侮蔑でもあると取れるし。

小説はオブフレッドの独白として書かれていますが、登場人物、特に女性の登場人物それぞれの視点で読んだら、また違った面白さを発見できそうです。世界観が独特で、予想外な結末含めまだ消化しきれていない部分もあるので、また近いうちに読み返そうと思います。ドラマもできれば見てみたいのですが。1990年に制作された映画は、あらすじを読んだ感じだと小説と内容が随分違ってそうなのでこれはスルーかな…。うーん、Huluかぁ、どうしようかなぁ。


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