皆様こんにちは。ものすごく暑い中、皆様どのようにお過ごしでしょうか。管理人です。今日は海外で、クリップで、家を手に入れた人物のお話です。
カナダの青年が「赤いクリップ」を次々と大きな、価値のあるものにかえて今月12日には、寝室が3部屋もある家を手にいれた。
カナダのモントリオールに住むフリーターのカイル・マクドナルドは、将来の事を考え、同棲中のガールフレンドに「家を持とうと思う」と告げた。しかし家を買うお金は無く、カイルの趣味のインターネットオークションは、家賃程度の収入しか得られず、とても家を買う事は出来なかった。
そんなある日カイルは、オークションで「売る」のではなく、「物々交換」をしていって、家を手に入れることは出来ないだろうかと言うとんでもない事を思いついた。カイルは早速クリップの写真を自分のホームページにのせ、無料掲示板には、「これより大きいもの、もしくは良い物に取り替えてくれませんか。」と乗せて交換の募集を募った。
カイルがホームページを立ててすぐに、記念すべき交換者が現れた。交換者の名前は、3600km離れたカナダに住んでいるラウニーとコリーであった。ラウリーとコニーは、魚型のペンを持っていたのだが魚の形が嫌いで、交換してくれる人を探していた。そしてカイルのホームページを見て、すぐに電話をして交換したと言う。カイルはすぐに、交換に応じた。そして魚型のペンを幾度と交換していき、2006年7月12日に寝室が3部屋もある家を手に入れた。
カイルは9月に恋人と新居に引っ越す予定で、「サスカチュワン州最大の入居パーティー」を行う予定だという。
この記事のソース元、
「ネットマジック! 交換を繰り返しペーパークリップを家に」
コメント
まさに、現代のわらしべ長者。クリップが、家を手に入れるなんて、まさに奇跡といえる出来事。この事を考える事態すごい発想力だと思います。ちなみに魚型ペン移行の交換経路は補足説明をお読みくださいませ。
補足説明
カイルはモノを交換の際、交換してくれる人の家まで出向き交換したと言う。その際、3600km離れたカナダに住む魚型ペンの持ち主は、交換のために3600kmを横断してきたカイルに驚き喜んだという。そして魚型のペンは、アメリカのワシントン州シアトルに住む子供が作った奇妙なドアノブと交換され、奇妙なドアノブは、アメリカのマサチューセッツ州アムハーストに住む変わったドアノブを探している男性によって、有名メイカーのキャンプ用のコンロと交換さた。その後アメリカのカリフォウニア州サンクレメントに住むアメリカ海軍のデイビッド軍曹と発電機と交換した。
このより後の交換は、特にすごい。カイルのホームページに「カイルウォッチャー」と言うマニアが現れた。そのマニアの一人、ニューヨークに住むマーシン・オルコヴィックは、いつもカイルのホームページを見ているだけだったのだが、カイルが交換した発電機が欲しくなった。実はニューヨークでは停電が多く、発電機は必需品だからであった。すぐに、発電機をビール樽とネオンサインのパティーセットと交換して欲しいと申し出る。その条件にカイルはすぐ了承し、交換相手の待つニューヨークへ向かった。ここでの交換の際、ちょっとしたハプニングが起こった。この時カイルは交換相手を待つ間、発電機をホテルのフロントに預けて外出していた。そのころホテルのフロントでは、「フロント周辺がガソリン臭い」と通報を受けフロント係が調べた。調べた結果カイルの発電機から、ガソリンの臭いがすると言う事がわかった。カイルの事情を知らないフロント係は、発電機が故障していると思い、消防に連絡し発電機を引き渡してしまったのである。実はニューヨークでは、故障した発電機は危険物とみなされ、公共の場に持ち込むと500ドルの罰金が課せられてしまうのである。カイルはフロント係この事を聞くと、すぐに交換相手に交換の一時中止を申し出て消防署に出向いて、事情を必死に説明して何とか発電機を返してもらうことに成功する。そして2005年11月16日に、無事に発電機とパーティーセットの交換をしたのであった。
パティーセットと交換から2週間後、「パーティーセットとスノーモービルと交換したい。」というメールが届いていた。カイルはメールを読んで、何かのイタズラだろうと思った。しかし、差出人の名前を見てビックリする。何と差出人は、「ミッシェル・ブレッド」と言う有名なアナウンサーだったのである。ミッシェルもカイルウォッチャーの一人で、パーティーセットとスノーモービルの交換に快くOKしてくれた。この時カナダの公共放送CBCがカイルに取材をおこない、カイルの話が全国ネットで放送されることになった。また新聞や雑誌にも紹介され、カイルは一躍時の人となった。この時の取材で、「交換のためなら、世界中どこでも行きますか?」と尋ねられ、「世界中何処でも行きます!ヤーク以外なら。」と答えた。ちなみにカイルがクリップからスノーモービルにするまで、約五ヶ月かかった。
CBCでカイル事が全国に放送されている時に、交換を申し出る電話があった。交換する相手が居る場所は、なんとカイルが行かないと言ったヤークからである。交換相手のケリー・シェルボンは、スノーモービルとヤークへの旅行券を交換しようと提案してきた。カイルは、スノーモービルとヤークへの旅行券に交換するため。ヤークに行くことになった。しかし、ヤークはモントリオールから3200キロ離れている上に、最寄の空港から5時間かかる。また、一年の大半が雪に覆われているため。向かうことが非常に困難であった。
カイルが悩んでいるとき、モントリオール大手のユニホーム会社、シスタンス社の幹部プルーノ・タイユフェール氏もカイルに注目していた。注目していたのはカイルともう一つ、カイルの着ている服であった。注目した理由は、カイルのいている服がシスタン社の制服だったからである。カイルは知らない内に、会社の宣伝をおこなっていたのである。カイルの話によると、シスタン社に勤めていた叔父からもらい、気に入っているのでいつもきていると言う。そこでブルーノは、「そんなにシスタン社のマークが気に入っているなら、一番大きなマークが付いているシスタン社のトラックと交換しよう。」と申し出てきたのであった。しかしスノーモービルは、すでにヤークにいるケリーと交換することになっていた。しかし、ブルーノは旅行券と後から交換すれ良いといって。シスタン社のトラックで、スノーモービルをヤークまではこんでくれるという。こうして、無事にヤークでスノーモービルと旅行券を交換した。その後ブルーノとの約束通り、旅行券とトラックを交換した。
トラックと旅行券を交換した頃、トロントのとあるスタジオでブランダン・マクレーンは、楽器運搬用の安いトラックを探していた。そしてカイルが交換を募集しているトラックに目をつけ、すぐさま交換の電話をかけた。交換するものは、スタジオでアルバムを製作するためのバックアップと、スタジオまでの交通費と宿泊費であった。歌手になる気はなかったが、面白そうなのですぐに飛びついた。こうしてトラックは、レコーディングの権利に交換された。
レコーディングの権利を得て2ヵ月後、アメリカ・アリゾナ州フェニックスに住む歌手のジョディ・グランドから電話があった。彼女はレコーディングの権利と、自分の家を交換して欲しいという。その条件を聞いた瞬間、まさかこんなに早く家が手に入るとは思わずびっくりしたと言う。それにフェニックスは、アリゾナの中心にある治安の良い高級住宅街だった。しかし、この交換には一つ大きな条件があった。交換は、「一年間家を借りることができる権利」だったのだ。だからこれは最終目的ではなく、カイルは一軒家を手に入れるまで交換し続けると話した。
そして「一年間家を借りる権利」は、ロック界のカリスマとも言われるヘヴィメタル歌手、
アリス・クーパーの半日レンタル権に交換され、有名歌手の半日レンタル権は、コービン・バーンセン主演の映画『ドンナ・オン・デマンド』に出演する権利になり、そしてクリップの交換から約一年後、寝室が3部屋ある家の交換に成功するのであった。
この現代のわらしべ長者は、
「one red paperclip 」と言うブログサイトを立ち上げています。ぜひこちらも、ご覧ください。
コメント2(※バカな事も書いています。)
すごい努力と根性のあるかただと、おもいました。それにインターネットやブログによる人と人の繋がりが良くわかる事例だとおもいます。正直に、感動しました。
カイルさんに習って、私も何か交換したいとおもいます。どなたか私を交換品としてもらってくださる、20代の女性はいらっしゃらないでしょうか?
プロフィール:私の年齢は、20代です。体格は、非常にポッチャリ系です。趣味はサイクリングと空を眺めることで……。えっ?そんな素性の知れないポッチャリさんは要らない?そうですか、正しい判断だと自分でもおもいます。
参考文献
奇跡体験アビリーバボー「現代のわらしべ長者物語クリップ元手に家を目指せ」より