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【東近江・寺社総巡り】第112回・徳昌寺(東近江市上羽田町)

 9月25日(水)午前、上羽田町の「徳昌」を訪れた。広い敷地の森の中にある。また、ここは昔の居館の風情があり、土塁らしきものが残っている。

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徳昌寺
所在地 東近江市上羽田町2285(旧八日市市)
 
■宗派 臨済宗妙心寺派
■山号 多福山
■開基 慶安2年(1649年)護谷(曹洞宗)により中興
■寺歴 眉山隆和尚開祖。実質的に雲居により徳昌寺の妙心寺末寺化。
 「徳昌寺」は元は「徳生寺」で、京都東福寺の末寺であった、近世初期曹洞門の「護谷」が復興し、曹洞宗の末寺であった。この復興で曹洞宗「万安英種」一派が支配した。
 その後、万安派追放事件があり、徳生寺は無住寺院となり、瓦屋寺中興の「香山祖桂」が住持となっている。この時、妙心寺派になり、徳生寺から徳昌寺に名跡変更となっている。
徳昌寺は伊達藩の庇護もあり、伊達家の菩提寺的性格を持っていた。
元禄13年(1700年)に香山祖桂の弟子「湖南希鑑」が中興した柏木町の正寿院は徳昌寺の末寺である。
■本尊 阿弥陀如来。雲居国師木像安置
 
徳昌寺遺跡
臨済宗妙心寺派の徳昌寺境内には、寺の伽藍とは似つかない城郭遺構が良く残っている。
寺の山門前西側と本堂裏手の北側には東西80m×南北60mの長方形の居館と思われる遺構があり、北から南にかけてL字形に土塁と堀が残っている。
山門前西側の遺構も北側の遺構ほどの規模ではないが西から南へと土塁と堀が残る。 これらの遺構から、二つの隣接した居館跡とも思われるが、寺の山門内も含めた複郭式の館城であったらしい。
尚、 徳昌寺遺跡は築城年代や築城者など詳細ことは定かではない。
徳晶寺一帯は伊達藩の領地で、領主伊達忠宗の庇護を受けていたし、徳晶寺は伊達家の菩提寺的性格を持っていたので、この地に伊達藩の居館があってもおかしくはない。
 
付近の寺院
 円通寺 徒歩 6分(426m)
 光照寺 徒歩 6分(445m)
 正寿寺 徒歩 14分(1.1km)
 光明寺 徒歩 16分(1.2km)
 浄念寺 徒歩 17分(1.3km)
 福生寺 徒歩 21分(1.7km)

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