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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第10回)サファリルックが似合ったタラワ島(Gilbert Is)での英国人

 1976年、この旅行ではEllice諸島のFunafuti(フナフチ)=現ツバル(Tuvalu)とGilbert諸島のTarawa(タラワ)=現キリバス(Kiribati)が目的地であった。

 この旅を陰でサポートしてくれたのは英国人(Wales出身)で国連機関の専門家であったR氏であった。彼はGilbert&Ellice諸島の政府機関に働いていて、我々が現地で実行する許認可権を持っていた。

 彼自身も同じ趣味仲間であり、過去、シンガポール、マレーシアが独立前のマラヤにも同様の専門家として滞在していたことがある。
1946年から1948年にかけて、この地域はマラヤ連合としてイギリスの直轄支配を受けていた。
 *マラヤ連邦(マラヤれんぽう、Federation of Malaya、Persekutuan Tanah Melayu)は、11州によって構成されるマレー半島の連邦。1948年1月31日にマレー半島9州とペナン、マラッカによって結成された。

 R氏は親子ほどの年が離れていたが日本人の我々にも公平かつ親切に対応をしてくれた。現地での必要なアレンジをしてくれていた。
 行く前には手紙等でやり取りしていたが勿論、会ったこともなかった。フナフチからタラワに戻って来た時に出迎えてくれていた。
彼の家に連れて行き奥さん会い挨拶もした。その後、宿泊先のホテルに届けてくれた。
 目的以外の時間はタラワの散策も行った。(第9回のブログで既報)

タラワのボンリキ国際空港

 タラワには5日間滞在したが島を離れるとき、彼はBetio港まで連れていってくれた。空港へは直接行けず、港から空港まで船で行くのである。
 彼はいつものように「白のシャツ、半パンツにロングソックスの典型的なサファリルック姿」だった。すらっとしたカッコいい英国人が我々の船が見えなくなるまでずっと見送ってくれていた姿を今も鮮明に覚えている。まるで映画の1シーンのような場面であったが彼の親切と優しさに感謝した。1976年春のことである。

 その彼とは20年後1990年代に、彼の故郷ウエールズで再会を果たしたのだった。ウエールズの時の思い出は別途書く予定だが、その時も彼にお世話になり彼の家に泊めて貰った。そんな彼と奥さんはそれから後年に亡くなったので夫妻は今はもいない。
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