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【滋賀・近江の先人第4回】ヤンマー創設者・山岡孫吉(長浜市)

山岡孫吉(1888~1962)74歳没は、滋賀県出身の大正・昭和期の発明家、実業家 ヤンマーディーゼル社長。世界初の小型ディーゼルエンジンを開発した「ヤンマー」の創業者である。
 
 
私が小さい頃のヤンマーは、小型耕耘機のイメージだった。成人後になってデイーゼル発電機の会社であることを知った。
また、当時テレビの天気予報番組で「ヤンマーのマー坊」が有名だったのを覚えている。しかし、ヤンマーが滋賀出身の会社とは知らなかった。
 
山岡孫吉は、明治21年(1888)、滋賀県伊香郡南富永村東阿閉村(現長浜市高月町東阿閉)で、農業の山岡忠三郎と妻くにの間の10人兄弟の6番目(湖北の農家の四男坊)として生まれた。
 
山岡の郷里、湖北の村、滋賀県伊香郡南富永村東阿閉(あつじ)(現長浜市高月町)は、北陸本線の長浜から北へ三つ目、高月駅の西側にある村落である。
琵琶湖の東岸に横たわる近江平野の最北端部が伊吹山脈と、賎ヶ岳から湖岸沿いに南下する低い山並みとのはざ間で尽きる辺りで、淀君の母、お市の方で名高い、浅井長政の小谷城の跡も近い寒村である。
 
小学生のころ高月駅へ日清戦争に出征する兵士を見送りに行ったことがあったらしいが、この頃は二男、三男はみんな京都の呉服屋か染め物屋へ奉公するものと相場が決まっていた時代である。
山岡家の家計は決して楽ではなかったが明治33年(1900年)、13歳の春に尋常高等小学校を卒業した。案の定、明治36年(1903)15歳で、大阪のメリヤス問屋に奉公に出て、その後、大阪ガスの作業員を経て、明治38年(1905)17歳の時、ガスエンジンに出会い、技術を学ぶ。明治45年(1912)24歳で、大阪で吸入瓦斯発動機販売業を始め、大正6年(1917年)山岡発動機工作所を設立した。
大正9年(1920年)日本初の農業用石油エンジン(3馬力)の試作品を完成、“トンボ印”と名づけたが、商標侵害が問題となり、トンボの親玉のヤンマにちなみ“ヤンマー”の商標に変更。昭和8年(1933年)には世界初の小型ディーゼルエンジン(3馬力)を完成した。戦後は新設計の船舶用エンジンなどを開発し、昭和27年(1952年)に社名をヤンマー・ディーゼル株式会社と改称、亡くなるまで社長を務めた。
 
山岡孫吉は、故郷への感謝の思いを持ち続け、貧しい農家に生まれて農作業を手伝って育った経験から、故郷の人々の暮らしがよくなるように、故郷の近くの町にいくつもの工場を建て、人々の働く場を作った。
また、故郷の子供達が安心して勉強できるようにと「山岡育英会」を設立し、奨学金の給与などの運営も始めこれは今も続いている。
平成25年(2013)には、ヤンマー創業100周年を記念して、長浜市三和町に「ヤンマーミュージアム」を開設している。中央研究所は米原市にあり、本社は大阪である。
 
ヒストリー
明治33年(1900)12歳、地元の尋常高等小学校を卒業。
明治36年(1903)15歳、大阪のメリヤス問屋に奉公に出た。
明治38年(1905)17歳、大阪瓦斯の作業員として働きはじめ、ガスエンジンに出会い、技術を学ぶ。
明治45年(1912)24歳、中古ガスエンジンブローカー業を開業し、
大正6年(1917年)29歳、「山岡発動機工作所」(現ヤンマー株式会社)を創業した。
大正9年(1920年)32歳、農業用小型石油エンジンを開発し、商標を豊作の使者であるトンボの親玉であるオニヤンマにちなみ「ヤンマー」とした。
昭和37年(1962)74歳没
 
ヤンマーの歴史HP
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