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”スローライフ滋賀” 

【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第24回) ザンビアでポリスカーの運転騒動

 私はザンビアでポリス車両の正式運転免許を受けていた。
国際運転免許証は1年で切れることもあり、現地の一般車両の運転免許は得ていた。試験は実地運転と口頭試問だったが現地の運転法規を熟知しておらず、日本の法規の内容で答えたが合格だった。飲酒運転のことを聞かれ、飲んだら運転できないと答えたが試験官は苦笑しいた。果たして正解だったのか分からない。

 ザンビアはイギリスの植民地だったので日本と同じ。車は左側通行で、右ハンドルである。実地運転で戸惑ったのはハンドル操作は「送りハンドル」が正解で日本の教習所で教えられたハンドル操作はバツとなる。ロード運転では縦列駐車をさせられたことを覚えている。

 また、仮免の取得はお金さえ支払えばある一定の期間乗れ、その期間に自分で運転に慣れ、免許を受ける人が多かった。勿論、日本のように教習を受ける制度もあったが高いので現地人は仮免を得て取る人が大半だったように思う。

 ところで、ザンビアでの警察関連業務のためポリスカーの運転をするには試験に合格し、警察庁官報の公示が必要であった。特別な試験を受けた記憶はないが現地の上司が申請してくれていた。公示までは数カ月は掛ったと思う。

 ポリスカー運転時、笑えない(今となっては笑い話であるが)ハプニングが発生したことである。
 それは業務でポリスの車で本庁に帰る時のことである。「中国人がパトカーを盗み逃走中」と非常線を張られたのである。この時私はオーストラリア製の4000ccモトローラのパトカーを運転していたのである。現地ザンビア人は日本人と中国人の区別は勿論できず、モンゴロイド系人種は皆中国人(チン)と呼ばれていた。チンがパトカーを運転できるとは想像できず、この光景をみて届け出ていたのである。

 非常線のあるポイントで静止させられたが銃を構えた緊張したシーンだった。自分の身分証明書を見せ説明したら納得してくれ直ぐ放免され、敬礼して見送ってくれた。銃を構えて待機していたシーンは本当は笑い事ではないのである。
 1977-1979年当時、ザンビアと隣国のローデシア(現ジンバウベ)が独立前でゲリラの一派をザンビアはサポートしていたためザンビアも巻き込まれ治安が悪化していた。一時期、ザンビアは灯火管制と夜間外出禁令が出ていて、警察や軍の検問をされていたのだ。
 そんな時、チンがポリス車両を強奪し逃走しているかのような疑いを持たれても仕方がない危ない出来事、シーンだったのである。一歩間違えば銃撃の可能性はあったのだ。今となっては昔の笑い話である。

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