大きな頭と福耳が特徴で、かみしも姿で正座する「福助人形」。
江戸時代に作られ始め、幸福を招くとされている。実は、福助はモデルとなる人物が実在したとされる。有力なのが、米原市の中山道柏原宿にあるもぐさ屋「亀屋佐京商店」の番頭という説だ。
↑ 福助が施された八幡瓦も展示している=米原市柏原(中日新聞より)
柏原宿歴史館では、この地域の伝承を伝える「福助の間」を設置。福助人形を収集して展示している。常設展に加え、12月22日(日)まで企画展「福助さん大集合!」を開催。県内の収集家から寄託された132点の福助人形と、常設展示の人形を合わせて205点を並べている。
柏原宿歴史館
09:00~17:00(入館は16:30まで)。月曜休館(月曜が祝日の場合は、火曜休館)。入館料は大人300円、小中学生150円。
問い合わせ:柏原宿歴史館=0749(57)8020
もぐさ屋・亀屋佐京商店は、1661(寛文元)年創業。歌川広重が「木曽街道六十九次」に描き、司馬遼太郎は著書「街道をゆく」で「単一の商品をあつかう商家としては、あるいは日本最古の家であるかもしれない」と記している。
「亀屋佐京」についてはこのブログでも紹介済みである。
【滋賀・近江の先人第40回】伊吹もぐさのPR名人・松浦七兵衛(亀屋左京)(米原市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/46dad9bb6bc3f0400aea14f9dddf3337
商店の番頭だった福助はかみしもを身に着けて扇子を持ち、旅人にもぐさを勧めて店を繁盛させたと伝わる。活躍したのは江戸後期で、福助人形が誕生した時期とも重なる。
モデルについては、他にも大きく二つの説がある。
一つが大阪の農民説。身長二尺(約60cm)ほどで、頭が大きかった農民の佐太郎が「見せ物」に出されて人気になり、佐太郎に模した人形が作られたというものだ。
京都の呉服屋の主人との説もある。身長が低く頭が大きかった呉服屋「大文字」の主人は働き者で店を繁盛させた一方、貧しい人への施しにも熱心だった。この主人にあやかって人形を作り祈ったことから、福助人形が誕生したと伝わる。
<中日新聞より>