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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第35回) ガーナのアクラ空港到着時、ガーナはクーデター発生中

 1979年8月、西アフリカ第1番目の訪問国のカメルーンの次に2番目に「ガーナ」を訪れた。



 カメルーン最大の都市の「ドゥアラ」空港に到着し、これに次ぐのが国土中央にある首都の「ヤウンデ」の主管庁まで出向く必要があり、許可が不確実だったことからトランジットでパスして、翌日の便で、「ガーナ」に飛んだ。

 ガーナのアクラ空港に到着したとき、全く予期しないことが発生していた。それは軍による「クーデター」だった。
空港は一般人には見た目、平穏であったが市内に入って行けば治安などどうなっているのか分からなかった。
 今回の西アフリカツアー目的は趣味の運用であり許認可が必要である。事前の発給はされなかったが現地到着後申請すれば許可を内諾していたので思案した。
到着時、外国人にはその時の国内事情、治安など全く不明でこのまま滞在するか空港で即思案した。「クーデター」は未経験であり、許認可の過程で余計なことに巻き込まれないようこの時はガーナから即離れることを決心した。

 次の国は隣国の「アイボリーコースト(象牙海岸)」である。
その時のトラブルはチケットの予約である。空港ではクーデターもあってか空港のカウンターはごった返していた。
 そんな中でトラブルは発生した。アクラ空港のガーナ航空では私のチケット予約がされていないのである。航空チケットは間違いもなく発行されているのに航空会社には私の名前はない。そんな馬鹿な。
訴えたが初めは取り合ってもらえない。私は離国するためチケットを翳し、必死で強くまた執拗に対応を求めた。これは私の落ち度ではないと訴えたのである。
 次の便のフライト時間が迫ってきて、どうなるか全く分からなかったが最後の最後になって搭乗出来ることが出来た。ごたごたの最中、袖の下を渡し、搭乗できるように対応しようかとも考えたが初めての国でやり方も分からず結局しなかった。
よってガーナはアクラ空港しか知らない。
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